<目次>
 1.取りあえずパリにやって来た(このページ)
 2.ベルサイユ宮殿で足を棒になる
 3.パリでもう1日
 4.マラケシュはいんちきガイドに疲れる
 5.アトラス山脈を越えてワルザザートへ
 6.ザゴラのオアシスを歩く
 7.フェズの迷路を味わえず
 8.ジブラルタル海峡を渡ってスペイン・アンダルシアへ(グラナダ)(予定)
 9.セビリア(予定)
 10.マドリード、セゴビア(予定)
 11.バレンシアの火祭り(予定)
 12.バルセロナ(予定)
 13.マドリード、アランフェス(予定)
 

  取りあえずパリにやって来た

今は昔の1991年3月、パリからモロッコへ飛んで観光、さらに海路スペインに渡って観光という旅をした。これを書いているのは2021年10月で、実に30年以上の歳月が過ぎている。

記憶はかなり薄れているが、旅のメモが残っており、ところどころで、そこそこ詳しく書き記しているので、コロナ禍で旅をできないなか、ずっとやっている過去の旅の振り返りとして旅行記を作成することにした。

この旅の主要な目的地はモロッコとスペインだったが、日本からモロッコへの直行便はなく、日本からモロッコまでの通しの航空券も販売されていなかった(たぶん-もしかしたらアエロフロートだったらあったのかも)。

ということで、いったんヨーロッパのどこかへ行き、そこでモロッコへの移動手段を確保しなければならなかった。

パリまで行けば、モロッコのカサブランカなどへの便がかなり飛んでいたので、そこで安い航空券を探すというのが、当時、多くの旅行者がとっていた方法だが、パリにはあまり興味がなかったので、当初はまずスペインに入り、そこからモロッコへ移動、そしてまたスペインに戻って帰国という腹積もりだったと思う。

しかし、ちょうど良い日程で買うことができた航空券は、成田-パリ、マドリード-成田のJAL便で、まずは、あまり考えていなかったパリ観光をすることになった。


<1日目>
16時40分ころ、JAL便がシャルルドゴール空港に到着。

成田から約12時間のフライトだったが、まだ、長時間の飛行機移動には慣れていなかったので、けっこうきつかった。

パリは雨だった。

初めての街で雨は最悪である。傘をさしながら地図を開いてホテルを探して歩くのはなかなか疲れる。ということで、空港でホテル紹介を頼んだのだが、1泊300フラン(約8000円)が最低額だと言われた。予算オーバーなので空港バスで、当時エール・フランスのターミナルがあったマイヨ―広場へ移動した。

ガイドブックに載っていた、ターミナル近くのリーズナブルな料金のホテルは改装のため休業中。ということで、近くをあてずっぽうに歩いて最初に見つけたホテルのドアを開けた。

料金は朝食付きで1泊328フラン。高いがこれ以上歩く元気はない。結局、空港で予約できるホテルと同じような料金のホテルに泊ることになった。

ホテルに落ち着いたのは18時半頃で、そろそろ夕食でもという時間だったが、この時の自分は長時間フライトでけっこう疲れており、シャワーを浴びてすぐに寝てしまった。

眠っていると水が流れる音が聞こえてきた。何事かと思って起きると、ベッドの頭がわの壁伝いに、本当に水が流れている。ちょろちょろというレベルではなかった。どうやら上の階でシャワーを使っていて、そのお湯が漏れているようだった。

急いでフロントに連絡して部屋を変えてもらった。


<2日目>
朝食のため食堂に行くと、朝食担当のマダムが「ボンジュール」と明るく、すがすがしい挨拶。夕べの水漏れはひどかったが、濡れることもなく実害はなかったし、マダムと交わした挨拶やクロワッサンにカフェオレという朝食で「ああフランスだ」という感慨がわいてきたのを覚えている。まったく単純である。

朝食後、チェックアウト。中心部のもうちょっと安い部屋を探そうと思った。

泊まっていたホテルは凱旋門が割と近くにあり、その近くのインフォメーションで地図をもらって、メトロでカルチェラタンの方へ向かった。



凱旋門。映像でしか見たことがないので、ここでも単純に感動してしまった。



サン・ミッシェルという駅でメトロを降り、一つ星クラスのホテルとモロッコへの格安航空券を扱っている旅行会社を探した。

「マラケシュ1400フラン(37000円強)」という貼り紙のある旅行社をみつけたので、そこへ飛び込んだ。ところが、あいにく土曜日で、その会社と航空会社の間に入る旅行会社が休みで、月曜にもう一度来るように言われる。

ホテルの方は一つ星で1泊200フランの部屋を見つけることができた。



セーヌ川を渡る橋。




ノートルダム大聖堂。何も調べてきていないが、パリに来ておいてここをパスするわけにはいかない場所。ということで「表敬訪問」




ファサードの彫刻は細かく見ていくと色々と見所があるらしいが、何も調べて行かなかったので、なかなかすごいというありきたりの感想を抱いただけ。




内部は暗くてちゃんとした写真を撮るのは困難だった。現在ならばデジカメで高感度撮影が可能だが、この頃自分が使っていたフィルムの感度はISO100。手持ち、超スローシャッターでの撮影は厳しかった。




薔薇窓。ステンドグラスの色はもっと美しかったのだろうけれど。




ノートルダム大聖堂内部の彫刻、




一つ上の写真と同じ彫刻を正面から。どれが何の場面なのかわからないなので、適当に1枚。



ノートルダム大聖堂を出た後は、同じシテ島の裁判所の敷地内にあるサント・シャペルへ行った。

こちらはパリ最古のステンドグラスを持つ教会とのこと。



サント・シャペル。




同じくサント・シャペル。ステンドグラスが美しい。




たぶん、シテ島のどこか。






シテ島を出た後、ルーブ美術館へ行った。

お目当て中心は”モナリザ”

入館してみると「モナリザ」だけは特別扱いだった。展示室の一角に「彼女」を納めるスペースがあり、ガラスの外から見るようになっていたのだ。当時のメモには「まるでルパン3世に狙われているかのようだ」と、今読むと何を馬鹿なことを書いているんだと苦笑してしまうような一言が書かれていた。

見学者から隔離するような”モナリザ”に対し、ミロのヴィーナスは周囲にロープをめぐらせているだけだった。

ルーブルでは中世以降の美術作品よりもエジプト関係の展示に目を奪われた。前年、エジプトを訪れ、帰国後古代エジプトに関する本をいくつか読んだりして、少しは予備知識があったからからだろうか?

ルーブルは展示物が豊富すぎて、まじめに見ているときりがなかった。適当なところで切り上げて、この日の観光は終了した。

夜はホテルの近くにあるレストランに入った。

少し歩き回ったなかで見つけた、49フランという安い定食のみを出す質素な感じがする店だった。

この店の夕食時は午後7時で、開店直後に入ったが、すでに客がおり、自分が注文を終えるころには、5つくらいしかないテーブルがほぼ埋まった。適当に選んだ店だが、割と人気の店だったのかもしれない。

上にも書いた通り、メニューは定食のみで、前菜、メイン、デザートのそれぞれ3品が記されており、その中から一つずつ選ぶという感じだったと思う。飲み物は当然ながら別。

フランス料理の予習はゼロ、メニューもフランス語のみなので、料理の素材が何であるのかもわからない。ということで、適当に指をさして注文。

出てきた料理はさすがフランス。ちょっと凝っていて、前菜は、何かの肉のパテみたいなものに茹でたジャガイモ(こまかくしてあった?)が載せられていて、そこにドレッシングがかけられたもの。メインはグリルした鶏肉に何か豆入りのソースをかけたもの。デザートはプリン。これに少量のパンがつく。

デザートはちょっと甘すぎという感じだったが、街角の日本でいう定食屋みたいな店(テーブルクロスは紙)で、49フラン(1300円くらい)でここまでのものが食べられるのか。さすが美食の国と、やはり単純に感動してしまった。(日本は先進国内において物価上昇が極めてにぶい国=経済が停滞している国だが、フランスは経済発展に伴って物価もけっこう上昇しているので、今ならばこんなに安く食べるのは不可能だと思う)

ちなみに、その後、何度かパリを訪れた際、この手の定食屋がないか探したのだが、時代の流れなのか、探し方が悪かったのか、このような質素な感じがする店は見つけることができなかった。