マドリード、セゴビア

<16日目>
セビリアからの夜行列車は3時間遅れてマドリードに到着。

旅のメモがスカスカすぎて、この日の行動の詳細はわからないが、午後、闘牛を見に行った。

スペインといえばフラメンコと闘牛。まったくありきたりなイメージしか持っていなかったわけだが、フラメンコはすでに見た。じゃあ次は闘牛だろうという発想だったと思う。

闘牛は3月から10月まで基本日曜・祭日ごとに開催されるとのことで、この日はちょうど日曜日。行くしかないだろうということで、地下鉄でラス・ベンタス闘牛場へ向かった。



写真ではわからないが、まだ寒く震えながらの見物となった。観客もまばらで本格的なシーズンまではまだだいぶ間があるのだなという感じ。




何とか闘牛らしい動きのある一枚が撮れた。まとまって座っている観客は団体ツアー客だろうか?




<17日目>
この日は鉄道でセゴビアまで日帰りで行って来た。



セゴビアといったらこれ。1~2世紀ころに建造されたローマ水道橋である。が、まずアルカサルに向かった。




カテドラル(高い塔のある建物)遠景。カテドラルには行ったのだろうか? 記憶がない。




アルカサル。1474年、イサベルがカスティーリャ王国の女王としての戴冠式を行った城である。ディズニーの白雪姫の城のモデルになった城として有名らしい。




アルカサルからカスティーリャ地方の大地を望む。例によって当時の『地球の歩き方』の文章は臭さ満点で(くさしてはいません)、カスティーリャのトレドのところで次のように記す。「カスティーリャとは女王イサベルの故国。赤茶けた家並みの、荒涼とした土地だが、統一スペインになった後も、首都をこのカスティーリャの古都トレドに置いたのはなぜだろう? 確かに戦略的には難攻不落の城塞都市で。(略)けれど、もっと温暖で交通の便の良いところ、これからの平和と繁栄を享受しようとするスペインの首都として、もっとふさわしいところがあったはずなのに、と思う。きっとイサベルが、自分の故郷を首都にしたい、と願ったのだろう。”見知らぬ土地に行くのはイヤ! この荒涼としたカスティーリャが私の生きるところ…”とフェルナンド(夫でアラゴン国王)に言ったかどうかはしらないが、たしかに激しい生き方をしたふたりには似合いの土地かもしれない。そのふたりも今は肥沃な南の土地グラナダで永遠の眠りについている。ボクは今、カスティーリャの大地に立って、そして彼らの休息の安らかさを願っている。あぁスペイン! 嗚呼、カスティーリャ!」
ところで現在の『歩き方』の文章はどうなっているのだろうか? そのうち確認してみよう。




アルカサル内部。




アルカサル内部。




アルカサルの内部だと思う。



アルカサルの見物後、ローマ水道橋へ。



ローマ水道橋。とても弱々しい感じがする石橋だ。よく崩壊せずに残ったものだと思う。よほど理想的な構造なのだろう。1991年当時は水道橋下は普通にバスや車が行き交う道路だったが、現在は公園のようになっていて車両は通行できないようになっているようだ。



昼食ではセゴビア名物仔豚の丸焼きを食べた。節約旅行者にとっては高嶺の花なのだが、この時はセビリアで知り合ったドイツ在住の日本人夫妻と偶然再会し、「せっかくですから食べていきましょう」と誘われ、ご馳走になった。