マラケシュのいんちきガイドに疲れる <5日目>自分が乗るマラケシュ行きエールフランス便の出発時刻は9時15分。出発空港はオルリー空港。早朝、まだ夜が明けぬうちにRERに乗り空港に向かった。 オルリー空港に関する予習はゼロで、空港に着いたものの出発カウンターがわからなかった。インフォメーションで尋ねると、オルリーにはビルが2つあり(現在のことは調べてません)、国際線は南ビルだという。空港内の連絡バスに乗るとあっという間に南ビルに到着し、バウチャーと航空券を引き換えてチェックイン。 マラケシュ行きの便はカサブランカ経由の便だった。 9時15分、定刻通り出発し、乗客の大半は経由地カサブランカで降りた。 12時15分ころ、定刻通りマラケシュ到着。国際線は飛んでいるものの、やはりカサブランカが主要な出入国地点なので、とても小さな空港だった。 入国審査、税関ともに何の問題もなく通過し、さて両替と思ったが、両替所が開いていないではないか。 モロッコの通貨ディラハムは当然持っていない。近くにいた空港職員に両替について尋ねてみたが英語が通じなくて問題は解決せず。 幸い少額のドルキャッシュを持っていたので、それを見せながらタクシーの運ちゃんに「これで(マラケシュの中心地)ジャマ・エル・フナ(フナ広場)に行ってくれないか」と頼んだ。運ちゃんは最初50ディラハム(6ドルくらい)とふっかけてきたが、こっちが2ドルしか持っていないとわかると、しぶしぶ引き受けてくれた。 フナ広場近くにホテルが固まってあるエリアがあり、タクシーを降りるとすぐにそちらの方向に歩き出すつもりだった。 しかし、タクシーを降りたとたん1人のモロッコ人につかまってしまった。『地球の歩き方』に書いてある”自称ガイド”だと思ったので、懸命にふり払おうとしたが、とにかくしつこい。盛んに「いいホテルを知っているから」と言って離れてくれない。 まだ明るい時間なので、ゆっくりホテル探し(選び)ができると思っていたのだが、結局、『歩き方』に載っているホテルに逃げ込むようにチェックインした。「あんたの世話でホテルを見つけたのではなく、自分で見つけたんだ」という形にしなくてはいけないと思った。この手の連中は「俺がホテルを探してあげたんだからガイド料をよこせ」と言い出しかねないので。 ホテルの部屋は確保したが、まだ、ディラハムがないし腹も減った。 ホテルエリアにいた警察官に「3時にモロッコ銀行が午後の営業を始める」と聞いたので、3時に部屋を出て銀行へ向かうと、さっきの男にまたつかまってしまった。彼をふり払うことはできず、一緒にモロッコ銀行に行くと閉まっていた。さっきの警官からの情報は何だったのだ? 仕方がないので、さっきからコバンザメのようにふっついて離れない男に言われるまま別の銀行に行き、何とかディラハムを入手。 助けを借りてしまったので、そこでその男に「はいさようなら」というわけにはいかなかった。 大きなドーナツのようなものを買い、その男とカフェの席につき、ミント・ティーを飲んだ。 男の名前はムスタファ。大学生だという。「この街には悪質なガイドがたくさんいて、連中はハッシッシをやっている。ほらあそこにいるだろう。あの3人」「とにかくガイドには気を付けた方がいい」 「あんたも信用できないよ」と心の中で言いつつ、しばらくムスタファと話した。 彼の話の中心は「メディナを案内するよ」というものだったが断り続けた。 1時間も話しただろうか。彼は「大学に行かなければならない」ということで、ようやく解放された(大学生というのは本当だったのだろうか?)。 カフェのお茶代は当然のことながら僕の支払いだった。 夕食を食べに入った店で二人組の日本人旅行者と出会った。 その一人に「疲れた顔をしている」と言われた。「”自称ガイド”にうんざりしているでしょう」という感じの話をされたような記憶がある。 「マラケシュはよくないけれど、タフロウトはいいですよ」というようなこと言われたことを覚えている(「タフロウトはよかった」という話が頭の隅に残っており、後年タフロウトを訪れることになる)。 食後、フナ広場へ行った。 広場を歩いていると、民族衣装を着た女性に、ブレスレットを強引にプレゼントされそうになった。「お金はいらない。私、日本人が好きだからあげるのよ」と言いながら(別に日本人だと話したわけではないが、1991年当時、モロッコを旅する東洋人はほぼ日本人だけだったから、彼女もそのように声をかけてきたのだろう)。 これをきっかけに何だかんだ売りつけようという魂胆が見え見えだった(もちろん受け取らなかった)。 翌日も、違う女性にプレゼントされそうになってしまった。「お金はいらない。あなたの目の感じが好きなの」とか言いながら。う~む、こんな見え透いた手にひっかかる人間がいるのだろうか? 子供が大道芸の押し売りに来たり、猿を連れた男が(猿と)記念撮影をしないかと声をかけてきたり、蛇つかいがコブラを出して「見ていけ」と声をかけてきたり、とにかく疲れる広場だった。 その後、別の旅の際に何度かフナ広場に行っているが、こんなにうざったいめにあったのは、この時だけだったと思う(自分の心持のせいだったのだろうか?)。 <6日目> スークを歩こうとフナ広場を通りかかると、たちまち若い男につかまった。これがまたかなりしつこかった。「スークへ行ったらガイドが多くて、トラブルの連続だから俺が案内してやる」と言う(すでにあんたがトラブルなんだが)。「金はいらない」とも(どうせどこかで土産物でも買わせて、その店からいくらかもらうのだろう)。 とにかくしつこく、離れてくれる気配がみじんも感じられないので、仕方なくその男とスークへ入って行った。
いつお土産屋に連れていかれるかとずっと身構えていたが、予想通りお土産屋に連れていかれた。「買い物をする気はない」と言っても「最初は皆そう言うけれど、後で気が変わって買っていくよ」と言う。しかし、気が変わるわけもなく、何も買わず。 何かを買わせようという気満々のこの男のせいで、スーク内をゆっくり歩くことはできなかった。 「金はいらない」と言っていたのに、メディナを出るとついにお金を要求してきた。お金を出さないと離れてくれない感じだし、かといって現金を出すのは癪にさわる。ということで、カフェをおごって、表向きの友好関係は崩さずに別れた。 マラケシュでは何も買う気はなかったし、さっきの兄ちゃんに「何も買わないよ」と言った手前、スークでは土産物に興味を示すわけにはいかなかった(どこかで見つけられて「やっぱり買ったじゃん」と言われる恐れもある)。 しかし、午後に行った伝統工芸館で気が変わった。ここではモロッコの伝統工芸品の製作実演が行われ、販売もされていた。木製のスプーンやフォークなど変わった型のものがあり、ちょっと興味を持った。軽いしかさ張らないし、こういうところなので製品の品質は大丈夫だろう。そして値札がついていてぼったくられることもない。ということで、オリーブ用のスプーンなど何本か購入。 工芸館では職人さんたちにお茶をご馳走になりながら、若干の交流もした(僕が日本人だとわかり、彼らが漢字で自分の名前を書いてほしいと頼んできた)。フナ広場などメディナ内では、いついんちきガイドに捕まるかと身構えていたので、ほっとできる時間を過ごすことができてよかった。 この後、バイア宮殿へ行った。 バイア宮殿は外観は”宮殿”という感じではないが、中は豪華だった。 入場料を払って入ると、ガイドが登場。やや緊張する場面である(また自称ガイドか?)。しかし、こちらはきちんとしたガイドで説明も簡潔でわかりやすかった。ガイド料の請求もなし(後年再訪した際にはガイドはいなかったような。。。)。
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