ジブラルタル海峡を渡ってスペイン・アンダルシアへ(グラナダ) <11日目>この日は、まず、鉄道でタンジェへ移動。チケットは前日に購入済み。 メモがないので正確な時刻はわからないが、夕方少し前にタンジェ到着。現在のタンジェ駅はメディナまで3㎞くらいはある場所に移転してしまったが、この時は、メディナのすぐ近くにあった(メディナや港近くまでの線路は廃止された)。そして、メディナの目の前にスペイン行きのフェリー乗り場があり、鉄道からフェリーへの乗り換えはとても容易だった(その後、スペイン行きのフェリーの出航地点もタンジェ市街からかなり離れた新な港に変更された)。 終点に近づくと、通路をスペイン・ペセタを持ったモロッコ人が両替をしないかと声をかけながら歩き回っていた(終着駅の一つか二つ前の駅で乗り込んできたようだ)。最悪のレートでの両替であろうことは想像ができたので無視。 列車を降りてフェリー乗り場へ移動し、チケット売り場の列に並んだが、ここで問題が発生。モロッコディラハムがちょっと足りないことがわかった。両替してから並びなおすか? しかし、そうすると次の船を逃してしまうかもしれない。いちかばちか窓口でドルと混ぜて払うことはできないのかと尋ねることにした。結果は不可。しかし、ここで救いの神登場。その様子を見ていた旅行者(ヨーロッパの人)が不足分を出してくれたのだ。メモには、フェリーの運賃が196ディラハムで、不足分10ディラハムを借りたとある。(ドル紙幣でだったと思うが)返そうとしたが、その旅行者は「いいよ」という感じで断った。 すっかり日が暮れた頃、アルへシラスに到着。 港のすぐ近くにある安宿に部屋を取り、お勧めのレストランを聞いて夕食へ出かけた。 <12日目> この日はバスでグラナダへ移動。メモによると移動しただけで、特に観光はしなかった模様。 グラナダといえばアルハンブラ宮殿だ。 8世紀、イスラム勢力がイベリア半島を勢力下におさめたが、11世紀前半からキリスト教徒による国土回復運動レコンキスタが本格化する。そして、13世紀前半にはコルドバ、セビリアが陥落し、イスラム勢力はグラナダを中心とするアンダルシア南部を支配するだけになった。 そうした時期にイスラム勢力(ナスル朝)が首都としていたのがグラナダで、この時期に現在に伝わる形のアルハンブラ宮殿が形作られた。 レコンキスタはその後も継続され、1492年、ついにグラナダも陥落。アルハンブラ宮殿は、イベリア半島においてイスラム文化が最後の輝きを見せた時期を象徴する遺産だといえる。 <13日目> この日はアルハンブラ宮殿を見るために一日とってあるが、アルハンブラ宮殿へ向かう前に、鉄道駅に行って、2日後のセビリアからマドリードまでの寝台(クシェット)を予約。
サン・ニコラス展望台で一人の日本人長期旅行者と出会った。彼と夕日を眺めた後、街なかへ下り、夕食を共にした。目ざしたのはパエリアを出す、それなりのレストラン。パエリアは、多くの場合、2人前以上でないと、作り置きのものしか食べられないということで、2人いるしということで、そういうチョイスになった。パエリアもうまかったが、この時とくにうまいと感じたのが、ソパ・デ・アホ。ソパとはスープのことで、アホはニンニク。つまりニンニク・スープだ。けっこうガツンと来る味だったのをおぼろげながら覚えている。 |