<目次>
 1.香港から中国へ(このページ)
 2.広州の食品市場
 3.桂林(1)
 4.桂林(2)
 5.桂林から昆明へ
 6.大理
 7.昆明の後は予定外の西安へ行くことに
 8.西安(1)
 9.西安(2)
 10.上海(1)
 11.上海(2)
 

  香港から中国へ

1987年3月初旬2度目の中国旅行へ出かけた。

華北・東北地方やシルクロード方面は寒い季節なので、目的地の中心は中国南部(華南)。

中国南部を旅するならば、香港から深セン(「土」偏に「川」)に入るのがよいだろうということで、HISで成田-香港の航空券、香港のホテル1泊、中国ビザ、上海-成田の航空券がセットになった個人自由旅行用のツアーに申し込んだ。

当時、中国旅行をするにはビザが必要だったが、ビザ取得には中国の知り合い・受け入れ機関などの招聘状が必要だった。つまり個人でビザを取得するのは基本的には困難だったのだ。ということで、個人で中国を旅しようとする人は、中国旅行を扱っている旅行会社にかなり高い手数料を支払ってビザ取得を依頼するか(航空券の購入などとセットになる)、香港まで行き、そこで香港の旅行会社にビザ取得の代行を依頼するかしていた。

中国政府は外国人が中国を自由に歩き回ることを好ましく思っておらず、パッケージツアー以外の旅は行きにくい状態にしていたようだが、世界中にちらばる華僑ら(中国籍とは限らない)の入国は拒むことはできず、個人のビザ取得のルートは残していて、その一つが香港だったという話だ。

日本の旅行会社はそうした仕組みを利用して個人で安く自由旅行をしようとする客のために、上述したHISのようなパッケージ商品を販売していた。これを利用すれば、香港で旅行会社を訪ね、ビザ取得の代行をお願いするという手間と時間が省けるというメリットがあった。


<1日目>
14時35分、成田空港のユナイテッド航空のチェックインカウンターあたりに集合して、航空券を受け取り、搭乗手続きをした後に出国手続き。



成田空港(現在の第一ターミナル)。



16時35分、香港へ向けて出発。

香港到着の少し前、飛行機は突然の揺れに襲われ、何と酸素マスクが天井から出てきた。機内では悲鳴も起きたが、ほどなく揺れはおさまり、無事啓徳(カイタック)空港に着陸。啓徳空港への着陸は摩天楼のなかに突っ込んでいくような感覚が感じられるものとして有名だったが、酸素マスクが出て来るほどの揺れの記憶が強く、外の光景はあまり印象に残っていない。

普通のツアーだと、入国後、現地の担当者が到着ロビーで待っていて、専用車でホテルへ移動という手順になるのだろうが、この時のツアーはさすが個人旅行用のもので、指定のホテルまで自力で移動するようになっていた。

ということで、入国後、両替をして香港ドルを入手した上で、タクシーで九龍にあるホテルまで移動してチェックイン。

チェックインする際、HISから渡された封筒とパスポートをレセプションに預けた。

部屋に入ってみるとびっくり。窓のない部屋だった。一晩寝るだけなので全然問題ないのだが、このツアーで使用することになっているホテル3つのうち、もう2つはそこそこの設備が整っていそうなホテルだったので不運だったように思う。



<2日目>
8時15分、指示された通り、ホテルのロビーに出る。その際、胸にHISのバッジをつける。ツアーという感じになってきた。

出国前にHISから渡された旅程を書いたプリントには、「ホテルから国境まで係員(香港のHISの職員)がご案内します」とあったので、専用車で移動かと思っていると、鉄道駅(九広鉄道の九龍駅か?)に連れていかれ、電車で国境の羅湖まで移動した。

ここでオリエンテーション(どのような説明がなされたかはすっかり忘却)と昼食。そしてビザのスタンプが押されたパスポートが返却された。(たぶんこの時、深センから広州までの列車のチケットも渡されたのだと思う)



この時乗車した羅湖行き電車。




羅湖駅。写真の奥の方へ向かって歩いた。



中国入国後、12時35分深セン発の特快列車で広州に向かい出発。



中国入国後、深セン駅に移動する途中撮った深センの街。現在はビルが林立し、まったく違う街になっている。その後、何回かこの場所を通ったので、その際、写真を撮っておけばと悔やまれる(この先、再び訪れる機会がゼロというわけではないが)。




広州行きの列車。各車両の入口には、その車両担当の服務員がいて乗車券のチェックをする。




逆方向も撮っておいた。




乗車した車両は軟座車。一等座席車といったところか。車内には中国の音楽(胡弓が奏でるゆったりとした旋律)が流れ、中国旅行気分が盛り上がったことを覚えている。



14時58分、広州到着。

上記の出発・到着時刻ともにHISがくれた旅程表にあるが、手もとにある1985年版『全国鉄路時刻表』の記載と合致する。なお、この時刻表は、旅行か何かで上京した際、東京の神保町にある中国関係の書籍を専門に扱う内山書店で入手した。

なお、深セン-広州間は147㎞あり、そこを2時間20分強かけて走ったので(途中停車駅は無し)、平均速度は時速63㎞くらい。ものすごくゆっくり走っていたという記憶があるが、そこそこ頑張って走っていたのだなあと思う。

広州に到着してまずやったのが、桂林行きの航空券の確保だったと思う。

当時、中国では飛行機、鉄道ともにチケットの確保がとても難しく、駅でも航空会社でも、まず行列を覚悟。割り込む客との闘いをくぐりぬけやっと窓口に到達して希望の列車や便を告げると、たった一言「没有(メイヨウ)=無い」といわれて退散、ということが頻繁に起こっているという情報だった。

ということで、かなりの覚悟で桂林行きの航空券の購入に向かったのだが、運よく2日後の便の席が確保できた。当時、桂林はすでに人気観光地で、桂林行きの便の数が多かったからかもしれない。

広州でのホテルは珠江沿いの少し高め(とはいっても日本円で一泊4500円くらい)のホテルを確保。



<3日目>
この日は広州の街を歩いた。観光地巡りというより、広州の人たちの生活の雰囲気、街の雰囲気を感じようというのが目的だった。



ホテル近くの繁華街の通り。向かったのは文化公園(だと思う)。




文化公園か? さすが卓球王国中国。




上半身裸の男性が手前の男性に刃物(のようなもの)を持たせ、それで「自分の腹をたたいてみろ」と言ってたたかせている。刃物(のようなもの)が写っておらず残念。中国は当時の僕にとって「不思議の国」というイメージがあったが、街歩きに出てすぐにそんなシーン出会ったのだった。







太極拳(だろうか)をする人々。あ~自分は今中国にいるのだなあ、という感慨に浸っていた。海外旅行に慣れ切った現在ならば、そんな感覚にはならないのだろうが、そういう感じはとても大切だと思う。(ここまでの写真がたぶん文化公園)




美容室。開店前? それとも店をたたんでしまったのか? こんなものにも関心を持ちながら街歩きをしていた。