昆明の後は予定外の西安へ行くことに <10日目>朝、大理古城発昆明行きのバスに乗車。 森の中を走るという感じではなかったと思うが、山道なのでカーブが多かった。走る車の性能は様々で、遅い車をちょっと速い車が追い越し、その後ろから来たさらに速い車が追い越していき、はたまた抜かれたら抜き返すという様子が、弧の大きいカーブでは、前方で繰り返されるそうした車の追い越し合戦の様子がよく見えた。一定年齢以上の人にしかわからない例えだが、チキチキマシン猛レースのような感じだった。
途中、大休止したせいもあって昆明到着はかなり遅くなったように思う。 再び昆明飯店に行きドミトリーのベッドを確保。 腹ペコだったので、外に食べに出たが、当時の中国はかなり食事時間が限られている国で(決まった時間に3度の食事をとるという強い生活習慣があったように思う)、やっと見つけた閉店間際ではないかと思われる屋台で焼きそば(のようなもの)を食べたのを覚えている。 <11日目> 昆明から先の予定を決めなければならない。 1週間後の朝、上海から帰国便に乗ることは決まっている。しかし、まだ1週間あるといっても余裕はなかった。他の旅行者から得た情報によると、昆明から出る列車のチケットを取るのは至難の業のようだった。 旅に出た当初は、昆明から成都へ向かう列車に乗り、峨眉山や楽山(巨大な石仏がある)を見た後、成都から上海へ出ようと考えていたようだ(旅程を考えるために書いたメモが残っていた)。しかし、昆明からの列車のチケットがとれないのであきらめざるをえなかった。 ちなみに、昆明発上海行きの列車の所要時間は3泊4日(夕方に昆明を出て4日目の早朝に上海に到着するというダイヤ)。旅のガラクタ類のなかに、「3月14日、80次 昆明-上海 一張、臥没有?」と書いた筆談用のメモが残っており、上海行の列車のチケット購入をチャレンジしたらしい。「3月14日」の列車に乗ることができれば帰国便に乗る前日朝、上海に到着できるということになる。ちなみに「80次」というのは列車番号で、「一張」は「一枚」、「臥」は寝台(正確には「臥舗」という)、「没有?」は「無い?」の意味。最後の「没有?」はないことを前提とした問いになっており、半ばあきらめた状態で駅の窓口に行ったのか? 「有没有?(ある?ない?)」とすべきところなのだけれど。 メモには窓口の服務員が書いてくれたと思われる切符の額が記されており、金額から見て硬座の額なので硬座ならば買えたのかもしれない。 しかし、3泊4日硬座で移動する気にはなれず中国民航へ行ってみると、翌日の西安行きの便に空席があった。西安行きはまったく考えていなかったのだが、西安まで行けば、まる1日で上海まで行ける。恐怖の”無座”でも何とかこらえることができるだろう。ということで、西安行きを即断した。
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