西安(1) <12日目>定刻10時15分発の便で西安へ向けて出発。 昼過ぎには西安の街に入ったか? 向かったホテルは解放飯店。4人部屋が相部屋前提で使われており、チェックインするとすでに日本人の先客がいた。学生2人組だったか3人組だったか、そのうちの1人が印象に残っている。”感傷旅行”に来たのだが、中国の旅がハードすぎて”感傷”にひたるどころではないと嘆いていて、友人から「中国に感傷旅行で来るのは間違っている」とからかわれていた。 その夜だったか、翌日の夜だったか、もう1人印象深い旅行者と出あった。同室だったか、他の部屋から自分たちの部屋を訪れたのだったか忘れたが、水色のダウンを着た彼は、ヨーロッパからずっと旅を続けており、ネパールからヒマラヤを越えてチベットに入り、西安まで来たと話していた。 当時のネパール-チベット間の旅は交通機関の問題があり、かなりハードでヒッチハイクをしながらなんとかチベットにたどり着いたとか(現在は別の意味でこのルートの旅行は困難だが)。ヒマラヤ越えの旅など考えてもいなかったが、この時のこの出会いが11年後のカトマンズ-ラサの旅のきっかけの一つとなった。 さて、ホテルは確保した。次にやるべきことは上海までの足の確保である。 どういう順序で訪れたかは完全に忘れてしまったが、中国民航に行ってみた。しかし、上海行きの便に空席はなし。 西安駅へも行ってみたが、ものすごい人。たぶんチケット売り場の列に並ぶのはあきらめ、市内にある鉄道のチケット売り場へ行くか、解放飯店の担当者に依頼するかしたのだと思う。そして、2日後の夜に西安を出て、その翌日夜に上海(上海駅ではなく真如駅到着)に到着する列車の軟臥の切符を手に入れることが出来た。かなりラッキーだったと思う。 <13日目> この日は主に中国人観光客を対象にしている西安の東側郊外をめぐるツアーに参加した。
続いて行ったのは始皇帝陵。 ただの人工の山にしか見えなかった。
実はこの時の旅では一眼レフとコンパクトカメラを持って行ったのだが、撮影順がはっきりしない。おそらく始皇帝陵の後に兵馬俑坑博物館へ行ったのだと思う。
最後に行ったのは華清池。唐の玄宗が楊貴妃としばしば訪れ、白楽天の長恨歌でも詠まれている温泉として、また、張学良が蒋介石を監禁して共産党との内戦停止と国民党・共産党が一致しての抗日を要求した西安事件の現場としても有名。しかし、寒かったことと、このあたりで食べた水餃子のことしか記憶にない。ちなみに水餃子だが、美味かったという記憶ではなく、一人前がとてつもない分量だったことをよく覚えている。
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