桂林(1)

<4日目>
定刻7時20分発の中国民航便で桂林へ飛んだ。
桂林の天気が悪く(霧だったか)出発が遅れた記憶がある。



広州の空港。ターミナルから搭乗機まで歩いて行った(到着地桂林でも降機後ターミナルまで歩くというパターン)。




ちょっと振り返ってターミナルも1枚。今でこそ巨大化した広州の空港だが、このころは一地方空港という感じ。



桂林への飛行機で何人かの日本人の個人旅行者と一緒になった(香港から一緒という人もいたか?)。

桂林の空港で到着口を出ると、中国国際旅行社だったろうか、馬(マー)さんという若い女性社員に声をかけられた。ホテルの手配、漓江下りの乗船券の手配、次の目的地までのチケットの手配などをしますということだった。馬さんは日本語を話し、また、とても親身になって我々のバラバラな要求(今後の予定も違うし予算も異なる)にも応えてくれる感じの良い人で、桂林でのことはこの人にお願いすることにした。

旅行会社の車で、我々は桂林市内のいくつかのホテルに送ってもらい、漓江下りの乗船券、2日後の昆明行きの列車のチケットの手配をお願いした。

当時の中国はホテルの部屋が不足気味で、とりわけ節約旅行者向けの部屋の確保が難しく、ホテル探しで消耗しなかったのは助かった。

漓江下りの乗船券の手配には何の問題もなかったが、昆明行きの列車(桂林から2泊3日)の寝台券の手配は難しいという感じだった。

当時、中国の鉄道チケットの販売はオンライン化されておらず、列車が走る経路の主要駅ごとにチケットの割り当て枚数が決まっており、乗車日2日前から販売されていた。一番割り当て枚数が多いのは始発駅で、途中駅で寝台券を買うのは至難のわざだった。そして、桂林から昆明へ行く列車は一日1本の上海と昆明を結ぶ列車だけだったので、寝台券は無理、座席指定券の確保もあやしいという状況だった。(ちなみに当時の『地球の歩き方』には「中国大陸を走る鉄道旅行入門」という章があって、コラム2ページを含めて何と22ページも割かれている)

ホテルに荷物を置いた後、桂林の街歩きに出た。



たぶん中山路。




前のページでも書いたが、この頃の僕は街中の何気ない光景を撮るのが好きだった(今も変わらないが)。こういうのが後々振り返るのによい材料となる。web上で近年桂林を旅した人の旅行記を見ると、当たり前だが、まったく違う街になっている。




車、自転車、そして馬車が混在している。この先の橋は解放橋か?




ネットで色々と写真見たが、、これは解放橋の上から漓江の南方向を望んだものと思われる。正面の丸い山は象鼻山だと思う。




たぶんこれも解放橋。霧がかかっていてわかりにくいが、画像の奥の方にいかにも桂林という山がうっすら見える。




どこだ?







伏波山(フーポーシャン)からの眺め(西を望む)。遥か昔のことなので、どこから撮ったものか、まったくわからなかったが、ネットで色々と見ていると伏波山で撮ったものということがわかった。左の孤峰は有名な独秀峰で、ここも頂上まで登れるが、独秀峰を望むことができるということで、伏波山を選択したのだと思う。




同じく伏波山から(西北を望む)。




伏波山からの写真をもう1枚(北を望む)。まっすぐ伸びる道の奥が、たぶん畳彩山(ティエツァイシャン)で右端にちらっと写っているのが漓江。