大理

<8日目>
朝7時過ぎ、列車は定刻より少し遅れて昆明に着いた。

できれば、翌日、白族(ペー族)という少数民族の街である大理の郊外の沙坪というところで開催される月曜市というのを見たいと思っていた。しかし、それは無理だった。当時、昆明から大理まではバスで約12時間かかり、昆明に着いた時には1日1本のはずの大理行きのバスはすでに出た後だったのだ(その後、高速道路も通り今は5時間くらいしかかからないらしい)。

昆明への車中でも、何人かの日本人と出会った。総勢で6~7人くらいにはなっていたか? 皆、月曜市に行きたいようだったが、それはあきらめて昆明飯店に向かいドミトリーのベッドを確保した。

皆が思い思いに休息をとっているなか、街に出かけた一人の元気者がいて、大理行きの夜行バスがあるとの情報を持って戻って来た。体調は悪いが行かなければ後悔するだろう。でも、夜行バスだ。体にいいはずがない。けっこう葛藤があったと思う。しかし、結局、ホテルで一休みして皆と出発することにした。

バスの切符を買いに行くと席は補助席しか残っていなかった。悲惨である。

19時、昆明出発。窓の外は手に取れそうなほどの星空だったが(補助席からもけっこうよく見ることができたのだ)、ゆっくり見ている余裕はない。もがくようにして体勢を変えながら一晩を過ごした。



<9日目>
まだ、夜が明けきらないなかバスが停車した。乗客のなかにいた日本人女性(たぶん中国に留学している人)が運転手に「ダオラマ?(「到了マ?」、「マ」は漢字が出ないのでカタカナで書いておく)=到着ですか?」と聞いた。この時、「ダオラマ?」の意味はわからなかったのだが、中国を旅しているうちに、あの時の彼女が発した言葉がそういう意味だとわかった時に、微かに残っていたあの音が脳裏に深く刻み込まれた。

バスが停車したのは、下関(※)賓館というホテルの前だった。てっきり大理古城まで行くと思っていたのだが。。。これからさらに大理古城まで移動しなければならないが、早朝のためバスが走っておらず、下関賓館のロビーでバスが走り出すのを待った。

※「下関」は大理市という行政区域の中心で、「シャークワン」と発音するのだが、僕ら旅行者はちょっとふざけて「しものせき」と呼んでいた。

大理古城に着いた僕らが向かったのは、大理第2招待所。当時、大理で外国人旅行者が宿泊を許されたのはここだけで、行ってみると日本人だらけだった。皆のお目当てはやはり月曜市だった。

この年、勤務校の図書新聞に旅行記を寄稿したことは前ページに書いたが、それには次のように書いてある。
「大理に着いた僕は大理第2招待所という名のボロホテルにベッドをとり、だるい体、重い頭を押してバザールへ出かけ、そして自転車で街を走った。体は何とかもったようだが、3日間の疲れがドッと出た。コカコーラという文明の味も置いてある西洋人相手の食堂での夕食から帰った僕は、星の見える(屋根が無い)トイレで用を足し、やっとまともな眠りについた。」

大理が外国人に開放されたのは1984年で、まだ3年しかたっていなかった。現在はどうなのか知らないが、当時西洋人のバックパッカーはいち早くこういうところを見つけて、そこに集まる傾向があった。そうすると、必然的に西洋人好みの食べ物を提供するレストランができる。僕らは、雲南省の奥地には似つかわしくない、そうしたウエスタナイズされた店で夕食をとったのだが(僕はピザもどきの食べ物を食べたのだったろうか)、何とそこには、当時、都市部でも特定の場所でしか手に入らなかったコカ・コーラが置いてあったのだ。
 
 
*ここから先は日記とかメモなどがないので、写真を並べただけという感じになります。



たぶん大理古城。前を歩く一団が夜行バスで一緒だった(昆明までの夜行列車でも一緒だった)人たちだと思う。改めて写真を見ると山の感じが良かったのだなあと思う。



たぶんこれも大理古城。




これも大理古城か?




沙坪だろうか?




沙坪。月曜市へ向かう人たちが沢山写っている。



月曜市へやって来た人々。構図に馬がちゃんとおさまっていれば良かったのだが。。。この先、この日撮った写真のほぼすべてを並べることにします。




売り場の準備をする人たち。




写っている少年はしっかりカメラ目線。




左側にチラッと写っているのが洱(さんずいに「耳」)海。




豚を売りに来たのか。それとも買って帰るところか?




肉屋。
















洱(さんずいに「耳」)海と沙坪の街。










ちょっと市から離れて、市へやって来る人々の様子を見てみた。




沙坪の街の民家。皆、けっこう立派だった。




洱(さんずいに「耳」)海。小舟が沢山出ていた。何か漁を行っていると思うが何をとっているのか?







すごい人の波。







靴屋。




市での買物(売り買い?)を終えて帰途につこうとする人たち。トラクターみないなものに引っ張ってもらう乗り物だったろうか?



雲南省では少数民族の定期市がけっこうたくさんあり、『地球の歩き方』でも紹介されているが、手もとの2015-16年版の『歩き方』には、この沙坪の月曜市は載っていない。ネットを見ると、市はまだ存在しており、そこを訪れたときのことを記す旅行記もあるようだが、『歩き方』に載せられなくなったということは、観光地としての魅力が減退したからなのだろうか?

広大な国土を持つ中国だが、著しい経済発展を遂げるなか、人々の生活が全国的に均一化して、伝統的な市もすたれていく傾向なのかもしれない。



この日の午後はレンタサイクルで大理古城とその周辺を走った。写真は大理古城の南門。




一つ上の写真を拡大してみました。




たぶん城壁の上から撮ったもの。左側の遠くに三本の塔が見える(通称三塔寺)。9世紀建立とも。素朴な雰囲気の街並みだが、現在はすっかり観光地化されて昔の雰囲気は残されていないみたいだ。




三塔寺(大理嵩聖寺)。




三塔寺の入場券。