<目次>
 1.アンコール遺跡群(1)(このページ)
 2.アンコール遺跡群(2)
 3.アンコール遺跡群(3)
 4.アンコール遺跡群(4)
 5.カンボジア~ベトナム、水・陸路移動
 6.ミトーでメコン川遊覧
 7.ホイアン
 8.フエ(1)
 9.フエ(2)
 10.マカオのカジノで一勝負

  アンコール遺跡群(1)

1997年3月、初の東南アジア旅行に出かけることにした。目指すはカンボジアのアンコール遺跡群。当時のカンボジアは、内戦は終結したものの完全に治安が安定したとはいいがたい状況だった。しかし、バイヨン寺院、アンコール・ワットなどを擁するカンボジアは、巨大遺跡偏愛旅行者の僕にとってはとても魅力的な国だった。アンコール遺跡群だけの旅ならば5日くらいあればよいという感じだったが、旅行に使うことができる日数は2週間強。カンボジアだけ見て帰国するのは勿体ない。ということで、カンボジアの後、ベトナムへ行き、さらに帰りに香港・マカオに寄るという計画を立てた。

手配したのは成田-バンコク-プノンペン、香港-成田といういわゆるオープンジョー航空券と、ハノイ-香港の片道航空券。プノンペンからアンコール遺跡群最寄りのシェムリアップへはプノンペン到着後、飛行機に空きがあれば飛行機で、なければ船でと考えていた。



<1日目>
まず、成田を13時40分の便で出発し、18時40分バンコクに到着。入国後、空港近くのホテルで1泊。



<2日目>
11時20分、バンコクを出発(定刻は11時)、12時30分、プノンペン到着。

入国手続きを終えるとすぐに国内線のチケット売り場へ向かった。しかし、チケット売り場に職員はおらず、長期戦を覚悟。少し待っていると空港職員が来て、空席待ちをしろと言われる。言われるままにセキュリティ・チェックを受けてチェックインカウンターのところへ行き、スタンバイ・リストに名前を書いた。5番目だ。はたして乗れるのか。チケットは乗れることになってから買えばよいと言われた。

飛行機の出発予定時刻は14時40分(だったと思う)。14時をすぎると、予約のある乗客が搭乗待合室に向かって動き出した。チェックイン・カウンターに行き、乗れるのか乗れないのか。いつごろわかるのかと尋ねると出発20分前だという。

地上職員とそんな会話をしていると、横にいた青年が「スタンバイか?」と尋ねてきた。そうだというとさらに話しかけてきた。シェムリアップに自分のホテルがあるという。1泊15ドル。もし飛行機に乗れることになったら自分のホテルに泊れという。空港の人間でもないものが、セキュリティ・チェック後のスペースに入ってきているのが不思議だったが、途上国ではよくあるパターンだった。非常に誠実そうな青年で彼の話にのることにした(ちょっと危ない気もするが)。それで、どのようにしてホテルに連絡をとるのだろうと思っているとおもむろに携帯を取り出して連絡を始めた。これを書いている2022年(3月)であれば、そんなのは普通に行われていることだが、1997年のカンボジアでこういう経験をするとは思ってもみなかった。

首尾よく飛行機には乗れた。自由席のおかげで窓側にすわれ、空からアンコール・ワットを一瞥することもできた。そして、空港では僕の名前を書いた紙をもった青年がちゃんと待っていた。シェムリアップでの観光の足は、結局、この青年の運転する車を使うことにした。

案内されたホテルはまだ新しく、部屋も小ぎれいで非常に気持ちのいいものだった。



シェムリアップで泊ったホテル。




ホテル前の通り(国道6号線だと思う)。




ホテル前の通り(国道6号線だと思う)。椰子の木で東南アジア気分が盛り上がったのだったろうか?




ちょっと歩く、地元の人々の信仰を集めているらしい像を見かけた。




この像はミス・ジェイ・テエット像というらしく、人々の信仰も厚いようだった(実在した女性で鶏を備えると願い事をかなえてくれるとか)。驚くのは何と本物の鶏が供えられていたこと。2012年にシェムリアップを再訪した際、ここにも足を運んでみたが、像を覆う祠のようなものが作られ、像に衣装が施されていた。そして、現物の鶏の供え物はなく、鶏の像が置かれていた。




<3日目>
まず、アンコール・トムへ向かった。アンコール・トムは一辺3キロ、高さ8メートルの城壁に囲まれ、このなかにバイヨン寺院をはじめとする数々の遺跡がある。



アンコール・トムの南大門の前にやってきた。まず、度肝を抜かれたのが巨大ナーガ(一番手前にある扇のような形をしたもの)。ナーガとは、インドの神話を起源とする蛇神でヒンドゥー教の神としても崇められている。




アンコール・トム南大門へ向かう通路。左右に石像が並べられているが、向かって右側がアスラ(阿修羅)、左側がデーヴァ(神々)の像でナーガの胴体を引っ張っている。




アスラ像と南大門。アスラの胴体が何かの上に載っているように見えるが、巨大ナーガの胴体を抱えて引っ張っているさまが表されている。これは乳海攪拌の神話を描いたもの。乳海攪拌については、アンコールワットのレリーフのところでふれる予定です)




南大門を見上げます。ジャヤヴァルマン7世が信仰した観世音菩薩像が刻まれている。この先、観世音菩薩だらけです。




南大門の横の城壁に登ってみました。




城壁の上から南大門前へ通じる通路を眺めました。




バイヨン寺院。12世紀末、ジャヤヴァルマン7世によって建てられた仏教寺院。







バイヨン寺院はレリーフもなかなかのもの。ただ、何も調べていかなったので、適当にカメラに収めていった。戦い(クメール王朝とチャンパ)関係が多めだったか? これはクメール王朝軍。







生贄にされる水牛。




船を使った戦いの場面。




魚とか動物とか人々の生活などのレリーフも(魚にかみついているワニも見える)。木(陸上)の上に魚という構図になっているのはどうしてだろうか? そのうち調べてみなければと思いつつ、そのままになっています(忘れたころに追記するかも)。




たぶんチャンパの水軍。




写真だと今一つインパクトが感じられないかもしれないが、観世音菩薩の顔・顔・顔という感じ。




何故か左側が不自然にカットされた構図(修復中だった?)







一つ上の写真の上部をアップにしてみた。レリーフのモチーフとしあちこちで見られるアプサラダンサー。




やっぱり観世音菩薩の顔にカメラを向けてしまう。




デバター(女官や踊り子をモデルとしたものでアンコール遺跡群には本当に「無数」にある)と観世音菩薩。




バイヨン寺院最後の1枚も観世音菩薩の顔をセレクト。