アンコール遺跡群(2)

<3日目続き>
バイヨン寺院の後は、アンコール・トム内のバイヨン寺院の北側にある遺跡に案内された。



パプーオン(11世紀半)。空中参道といわれる円柱の上に敷石が載せられた参道が200mあり、その先にピラミッド型の中央祠堂がある。上の写真は空中参道の上に立って撮ったもの。両側に水(池)があり、雨季には増水して参道が浮かんだように見えたとか。





中央祠堂に近づいたところで1枚。中央祠堂は修復工事真っ最中だった。




空中参道の下の部分がよくわかる1枚。




ピミアナカス(11世紀初め)。王宮の城壁に囲まれたなかに築かれた寺院。3層の基壇の上に祠堂が載せられている。




ピミアナカスの中央塔の上から。




ピミアナカスを見上げる。




王宮前のテラスか?




王宮前の「象のテラス」と呼ばれるテラス。「象のテラス」というくらいだから、象の姿が刻まれているのだけれど、肝心の場所を撮り忘れた模様。ガジャ(象)の頭とシンハ(獅子)の体を持つ神獣であるカジャシンハがテラスを支えるという形のレリーフがずっと続いている。



次にアンコール・トムの勝利の門を出てすぐの所(アンコール・トムの東側)にあるトマノンへ行った(おそらくトマノンの南向かいにあるチャウ・サイ・テボーダにも行ったと思うが写真を撮っていない)。



トマノン(12世紀初め)。




デバターがたくさん。




トマノンの中央祠堂内にある有名らしいレリーフ。中央にガルーダがいて、その上にヴィシュヌ神が立っているのだけれど、写真がぶれていてよくわかりません。




シェムリアップ川に水車が。ドライバーがなぜここに連れて行ってくれたのかは忘れてしまいました。



シェムリアップ川を渡ってちょっと東へ行ったところにタ・ケウという寺院がある。



タ・ケウ(11世紀初め)。アンコール・ワット造営の試金石とされた寺院。11世紀初めジャヤヴァルマン5世によって造営が始められたが、王の死によって建設が中止された。




タ・ケウ。



タ・ケウを見学した後は昼休み。いったんホテルに戻った。

昼食後、郵便局へ行って絵葉書を出す(例によって自分宛のものも)。

14時半、観光再開。まず、向かったのはアンコール・ワット。



やってきましたアンコール・ワット(12世紀前半)。南北約1300m、東西約1500mという広大な敷地で、かつ見どころもたくさんのこの寺院を午後のちょっとした時間だけでちゃんと見学するのは不可能なので、ポイントを絞って見学することにする。アンコール・ワットは西向きに建てられた寺院なので、午後になると順光で見られる(ということで午後の見学となった)。写真は西塔門。塔門越しにアンコール・ワット中心部の塔が見えるが、参道を進んでいくといったん塔が見えなくなる。




西塔門横の回廊にあるヴィシュヌ神像。




西塔門を抜けるとこんな眺めが。まだ観光客の数が多くはなかった時代でした(時々団体客が入って来たちょっとにぎわうという感じだったか?)




アンコール・ワット中心部から西塔門方向を望む。




アンコール・ワット第一回廊の東側にあるヒンドゥー神話「乳海攪拌」の図のレリーフの中心部。神話の概略は次の通り。神々と阿修羅が相談して不老不死の薬を手に入れるため、大亀クールマの背中に大マンダラ山をのせ、その中腹にヴァースキ(ヒンドゥー教における蛇王、ナーガの王の一人ということらしいが詳細は知りません))をからませ、それを両側から交互に引き合うことによって山を回転させ、大洋をかきまぜた(大洋をかきまぜることによって不老不死の薬が生ずるとされていた)。この攪拌によって大洋は乳の海となり、海中から様々な創造物が生まれ、最後に不老不死の薬が得られた。




「乳海攪拌」の図の一部。阿修羅が大蛇の胴体を引っ張っている。




そこかしこにあるレリーフ。これはアプサラダンサー?




自然とレリーフに目が行く。




一つ上の写真を拡大してみた。




アンコール・ワットはこのようなジャングルの中にある。階段が急なさまがよくわかると思う。現在は昇り降りできる階段は限られていると思う。




中央祠堂から西塔門方向を望む。午前中にも訪れて、西塔門を眺められるとよかったが。







アンコール・ワットの急な石段。



アンコール・ワットを見学した後は、夕日を見るためプノン・バケンへ行った。



プノン・バケンから望んだアンコール・ワット。プノン・バケン山はプノン・クロム山、プノン・ボック山とともにアンコール三聖山の一つに数えられている。60mある山というか丘の頂上には寺院遺跡(9世紀末)がある。




プノン・バケンから見た夕日。今一つだった。