アンコール遺跡群(3)

<4日目>
8時少し前、この日の観光に出発。

まず、向かったのはバンテアイ・スレイ。967年に当時の王の重臣の菩提寺として建設されたとされるヒンドゥー教の寺院で、バンテアイ・スレイとは「女の砦」という意味だそう。赤砂岩とラテライトを用いて建造されたこじんまりとした寺院だ。

1997年3月当時、僕が訪れた1997年3月には、この地区の治安はまだ安定しておらず、遺跡の入り口には観光客を護衛する兵士が数人いた。



リンガが立ち並ぶ参道を背中に朝の陽ざしを受けながら進んでいく(この寺院は東向きに建てられている)。この先に三重の周壁の囲まれた祠堂・経蔵などがある。ただし、一番内側の壁はない(崩壊した?)




参道を進んだ後、こういう場所を通り、さらに第二塔門へ。




第二周壁の門。写っている観光客の姿から小さな建造物であることがわかる。




第三周壁の門。




上の門にあるレリーフ(踊るシヴァ神)。




第三周壁の門を横から見たところ。第三周壁の門ではあるが、上述の通り周壁はない(崩壊したのか?)。現在は第三周壁にあたる部分から内側は、遺跡保護のため立ち入り禁止とされている(第三周壁と第二周壁の間から祠堂などを見学するようになっている)。




左=第三周壁の門、中央奥=北塔、右=経蔵。




右=第三周壁の門、中央奥=南塔、左=経蔵。




奥が中央祠堂で、そのすぐ左手前が南塔(つながっているように見えるが離れている)。




web上にある近年ここを訪れた人が撮った写真を見ると手前にある像は綺麗に修復されている。




南塔の前の像の中は空洞(焼物だと思うが、オリジナルの像?)。像の後ろ左が南塔、右が中央祠堂。




経蔵(北側?)。三頭の像に乗るインドラが描かれた壁画があるっぽい。


まずは建物の写真を並べてみたが、実は自分がバンテアイ・スレイに行って、建物の見学もそこそこに最初に探したのは「東洋のモナリザ」と呼ばれているデバター。

当時の『地球の歩き方』は現在のものほど観光地情報・解説が詳しくなかったと思うが、「東洋のモナリザ」については、中央祠堂の北側にある塔の壁面にあるという情報が載っていた。それで、まず北塔を見た。



最初、これが「東洋のモナリザ」と呼ばれるデバターだと思って撮ったが。。。




どうやら、これが『地球の歩き方』が「東洋のモナリザ」として書いているデバターのようだ。




一つ上の写真をちょっと拡大してみた。確かに、他のデバターと比べて美しさが際立っていると言えなくもない。



ところで、バンテアイ・スレイのデバターについては、1923年、事件が起きている。この年、フランスの作家アンドレ・マルローがカンボジアを旅した際、ここバンテアイ・スレイのデバターのレリーフを切り取って奪うという事件が起きたのだ。マルローはプノンペンで逮捕され、デバターは当初プノンペンの国立博物館に置かれ、その後、バンテアイ・スレイに戻された。ただ、この事件と「東洋のモナリザ」という呼び方に直接の関係はなさそうで、「東洋のモナリザ」と命名したのは、アンコール遺跡群の研究者である石澤良昭氏とのこと。氏の書いたものを読んでいないので、何とも言えないが、もしかすると、バンテアイ・スレイの特定のデバターをさして「東洋のモナリザ」と呼んだわけではないのか? なぜ、そういう疑問をもったかというと、web上にある様々な旅行記を見ると、けっこう異なるデバターを「東洋のモナリザ」としているからである。それらは、ガイドの説明を受けたと思われる人たちの旅行記なので、「東洋のモナリザ」は意外にちゃんと特定できない存在なのかもしれず、鑑賞者それぞれが「美しい」と思ったデバターが「東洋のモナリザ」なのかもしれない。

ちなみに、09~10年版『地球の歩き方』が「東洋のモナリザ」としているデバターのある位置は、ロープをめぐらせた立ち入り禁止区域外からだと、ほぼ死角になって見えないのではないか?



中央祠堂にある兵士(だと思う)像。



バンテアイ・スレイの建造物はヒンドゥー教の神話を題材としてレリーフだらけで、かつ保存状態もよく、これがけっこう見ものだった。実は、前日アンコール・ワットで物売りからアンコール遺跡群について詳しく書かれた日本語の本(たぶん海賊版)を買っており、それを見ながらレリーフをチェックしていった記憶がある。ただ、すべての写真はとっておらず、また、見落としも相当あったと思う(以下の写真の説明は、一部詳しいですが、今後自分で調べなおすためのメモです。また、望遠レンズを使用しておらず、ただ拡大しただけなので、また光線の加減が原因で不鮮明なものも多いです)。なお、近年旅した人の旅行記に載せられている写真を見ると、もっとレリーフが綺麗に見えるけれど、その一因は観光化が進むなか、遺跡の修復、クリーニングが行われたからだろうか?



カイラス山で瞑想するシヴァ神(写真の上の方)。その後ろに小さな顔が見えるが、妻のパールバティ。下には20本の腕と10の顔を持つ魔王ラーヴァナが瞑想の邪魔をするためカイラス山を動かそうとしている。それを怖がるバラモン僧やトラ、ライオン、象、鹿などの様子も描かれている。ここを訪れた際、もっとも面白いと思ったレリーフ。




上の写真を拡大してみた(シヴァとパールバティ)。




ラーヴァナ(上の写真を拡大)。




ラーヴァナにおびえる動物たちがユーモラスに描かれている。




猿王兄弟ヴァリーンとスグリーヴァの戦い。




悪魔を殺すクリシュナ。




水牛に乗るヤマ(上段・下段の両方にレリーフがある)。古代インドの神で死者の王、漢訳されたのが閻魔。ヒンドゥー教では世界の南方を守る神とされ、死者の審判者とみなされた。




アルジュナ(インドの叙事詩『マハーバータラ』の主人公の一人)とシヴァ。どっちがシヴァ神だ?




カンサを殺すクリシュナ(中央部)。宮殿の中とかいう設定か?




瞑想するシヴァ神(上部中央)と妻のウマ(上部左)。その下の人々はバラモン僧(だと思う)(バラモン僧が争って世界が混乱に陥っているさまが描かれているらしい)。




一つ上の写真を拡大してみた。中央はシヴァ神で、その右側によく見ると弓を射ようとしているものの姿がわかる。これは愛の神カーマ。




カンサを引き裂くクリシュナ。




出口(東門)に向かう途中、撮ったヴィシュヌ神の化身ナラシンハが阿修羅王をくみ伏すし殺害しようとしている。