アンコール遺跡群(3) <4日目>8時少し前、この日の観光に出発。 まず、向かったのはバンテアイ・スレイ。967年に当時の王の重臣の菩提寺として建設されたとされるヒンドゥー教の寺院で、バンテアイ・スレイとは「女の砦」という意味だそう。赤砂岩とラテライトを用いて建造されたこじんまりとした寺院だ。 1997年3月当時、僕が訪れた1997年3月には、この地区の治安はまだ安定しておらず、遺跡の入り口には観光客を護衛する兵士が数人いた。
まずは建物の写真を並べてみたが、実は自分がバンテアイ・スレイに行って、建物の見学もそこそこに最初に探したのは「東洋のモナリザ」と呼ばれているデバター。 当時の『地球の歩き方』は現在のものほど観光地情報・解説が詳しくなかったと思うが、「東洋のモナリザ」については、中央祠堂の北側にある塔の壁面にあるという情報が載っていた。それで、まず北塔を見た。
ところで、バンテアイ・スレイのデバターについては、1923年、事件が起きている。この年、フランスの作家アンドレ・マルローがカンボジアを旅した際、ここバンテアイ・スレイのデバターのレリーフを切り取って奪うという事件が起きたのだ。マルローはプノンペンで逮捕され、デバターは当初プノンペンの国立博物館に置かれ、その後、バンテアイ・スレイに戻された。ただ、この事件と「東洋のモナリザ」という呼び方に直接の関係はなさそうで、「東洋のモナリザ」と命名したのは、アンコール遺跡群の研究者である石澤良昭氏とのこと。氏の書いたものを読んでいないので、何とも言えないが、もしかすると、バンテアイ・スレイの特定のデバターをさして「東洋のモナリザ」と呼んだわけではないのか? なぜ、そういう疑問をもったかというと、web上にある様々な旅行記を見ると、けっこう異なるデバターを「東洋のモナリザ」としているからである。それらは、ガイドの説明を受けたと思われる人たちの旅行記なので、「東洋のモナリザ」は意外にちゃんと特定できない存在なのかもしれず、鑑賞者それぞれが「美しい」と思ったデバターが「東洋のモナリザ」なのかもしれない。 ちなみに、09~10年版『地球の歩き方』が「東洋のモナリザ」としているデバターのある位置は、ロープをめぐらせた立ち入り禁止区域外からだと、ほぼ死角になって見えないのではないか?
バンテアイ・スレイの建造物はヒンドゥー教の神話を題材としてレリーフだらけで、かつ保存状態もよく、これがけっこう見ものだった。実は、前日アンコール・ワットで物売りからアンコール遺跡群について詳しく書かれた日本語の本(たぶん海賊版)を買っており、それを見ながらレリーフをチェックしていった記憶がある。ただ、すべての写真はとっておらず、また、見落としも相当あったと思う(以下の写真の説明は、一部詳しいですが、今後自分で調べなおすためのメモです。また、望遠レンズを使用しておらず、ただ拡大しただけなので、また光線の加減が原因で不鮮明なものも多いです)。なお、近年旅した人の旅行記に載せられている写真を見ると、もっとレリーフが綺麗に見えるけれど、その一因は観光化が進むなか、遺跡の修復、クリーニングが行われたからだろうか?
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