マカオのカジノでひと勝負

<11日目>
この年(1997年)7月の中国への返還前の香港を見ておく。そして、こちらも1999年に中国へ返還されることになっているマカオへも行っておきたいので、ハノイは泊るだけにした。

7時にホテルをチェックアウトして、タクシーで空港へ。

9時55分、ハノイ出発、12時半、香港到着。この当時の香港の空港は啓徳(カイタック)空港。離着陸、とりわけ着陸の際はビル群のなかに降りていく感じがして、とてもスリリングだった(滑走路への侵入角度がとても急でパイロットにとっては着陸が難しい空港だったとか。余談だが、2019年からだったか羽田空港は発着数を増やすために、東京の都心上空を通って発着するルートも使われるようになったが、この着陸の際の降下角度が啓徳空港のそれと同等かそれ以上という急角度であり、また、航空機の脚を出す際に機体に付着した氷塊が落下することがあるらしいが、それが人口密集地上空でなされることの危険性も指摘されている)。

この日はまず、マカオへ向かった。

空港からエアポートバスでマカオ行きのフェリー乗り場へ移動し、13時45分発のフェリーに乗船(ジェットホイルというやつだったろうか?)。

14時40分ころ、マカオ到着。

ホテルを確保した後、マカオの街歩きに出た。



セナド広場の近く(ここもまだ広場なのか?)。




セントポール天主堂跡。ファサードだけが残っている。




セントポール天主堂跡。




セントポール天主堂跡からマカオの街を眺める。




たぶんモンテの砦から撮った写真。




セナド広場。



マカオでの目的の一つはカジノ。

大学生のころパチンコをちょっとやっただけで、競馬もやったことがないし、ギャンブルにはほとんど縁のない生活を送っているが、マカオのカジノで”大小”というゲームをやってみたかった。

沢木耕太郎の『深夜特急』で主人公がマカオのカジノでやったのが”大小”というゲームだった。この本のなかでは、”大小”というゲームの内容、賭ける際の主人公の心理だとか、かなりのページが割かれていた印象がある。

この日の夜、とあるカジノに入った。なんとなくうらぶれた感じで、客も地元のオヤジたちのよう。ただ、この日は見物だけ。照明が暗かったが、さして広くはないフロアで、すぐに”大小”というゲームが行われている場所がわかった。”大小”は、3つのサイコロの目の合計数の4~10までが小(同じ数字が三つ並ぶものは別の枠なので「3」は小ではない)、11~17を大として賭けるもので(6が三つ並ぶ「18」は大ではない)、当然、賭け方はそれ以外にも色々あり、サイコロの目の1つを当てるもの、2つを当てるもの、3つを当てるもの、合計数を当てるものなどなど。倍率も様々で一番低いのは大小を当てる2倍。詳しいことは忘れてしまったが、ディーラーがサイコロをちょっとした機械仕掛けの攪拌ケースのようなもに入れて、結果が示されるまでの制限時間内に、客が張り台(ルーレットの張り台みたいなもの)にチップを置いていく。



<12日目>
まず向かったのは媽閣廟(だと思う)



媽閣廟(だと思う)。




天井からつるされた線香が珍しかった。




たくさんの善男善女がお参りに来ます。







漢字とポルトガル語の表記が混在する空間。



昼食後、コロアネ島にある聖フランシスコ・ザビエル教会へ行った。



1928年、ザビエルを顕彰するため建てられた聖フランシスコ・ザビエル教会。




聖フランシスコ・ザビエル教会。



この日の夜、ホテル・リスボアのカジノに入った。当時、マカオで最も有名だったカジノである(今はどうなのだろうか?)。ドレスコードはなくジーンズでも問題なかった。

前日の場末感溢れるカジノと違って、リスボアのフロアは広く、また、客でごった返していた。ちょっと緊張しながら目ざす大小のテーブルの脇に立った(その前にチップを購入したのだったか?)。

ゲームを見ているだけだと、賭ける客の邪魔になるということで、ディーラーから注意される。僕はすぐゲームに入っていった。

返還前の観光ブームで高騰していた香港のホテル代を稼ごうというもくろみであったが、その考えは甘かった。ちょっとはプラスになる局面もあったり、また、倍率の高い目が出て大興奮ということもあったが、最終的には日本円で1万円くらいの敗戦。ここいらが潮時であろうと判断してフロアを後にした。

しかし、負け始めると、あれよあれよという間にチップが減っていく。そして、それを取り返そうという気持ちも起きてしまう。ギャンブルというものの怖さを知ることが出来てよかったと思う。



<13日目>
7時、ホテルをチェックアウト。

8時半のジェットフォイルで香港へ向かった。

9時40分ころ、香港到着。

上で書いた通り、香港のホテル代は稼げなかった。ということで、香港では重慶大廈(チョンキンマンション)でホテルを確保した。重慶大廈は小さな安宿が沢山入っている大きなビルとして有名である。ビル内にホテルが沢山ありすぎて、どう選んでよいのかわからないので、『地球の歩き方』を参考にしながら部屋を確保した。僕が泊った部屋は、トイレ・シャワースペースを入れて3畳強くらいしかなかったが、この広さでトイレ・シャワーがついているのがある意味すごいと思った。しかし、そんな部屋にもかかわらず料金は日本円で7~8000円くらいだったか? 恐るべき返還前の香港のホテル料金の高騰だった。

ホテルに荷物を置いた僕は香港散策に出かけた。ヴィクトリア・ピークに登ると、今はなき啓徳空港発着の航空機の姿を見ることができた。



道路の上にはみ出す看板群に香港を感じる香港初心者だった。




九龍側から香港島を望む。




ヴィクトリア・ピークからの眺め。ここから今はなき啓徳空港(カイタック空港)発着の航空機が見られた。飛行機の中にいると、着陸時は、翼がビルにかするんじゃないかというぐらい、ビル群の中に突っ込んでいく感があるのだが、当たり前だが、遠くからみるとそんな感じはなかった。画面中央やや右の少し開けているあたりが空港で、海上から滑走路に侵入していくという感じだった。




ヴィクトリア・ピークと山麓を結ぶピークトラム。




スター・フェリーの九龍側ふ頭。



この日の夕食は、なぜかイタリアンを選んだ。メニュー表にあった「二人的世界」だったか? ”二人の世界”というカップル向けのセットがあったことが、何となく記憶に残っている。日本でもイタ飯ブームみたいのがあったが、香港でも似たようなことが起きていたのだろうか?


終わり。