<目次>
 1.テヘランへ(このページ)
 2.ペルセポリス
 3.シラーズ
 4.イスファハン(1)
 5.イスファハン(2)
 6.イラン‐トルコ陸路国境越え
 7.ネムルート山
 8.ひどい食中毒症状に襲われる
 9.イスタンブール(1)
 10.イスタンブール(2)
 

  テヘランへ

1995年の夏ころから、僕は上海-イスタンブール間の陸路踏破を意識するようになっていた。そして、96年には、未踏派部分を少しでもつぶそうという方針で計画をねった。めざすはイラン-トルコの国境越え。

しかし、大きな問題があった。イランのビザである(以下は96年段階の状況であり現在の状況は変わっている)。

イランと日本はかつてはビザを相互に免除していたのだが、イラン人の日本での不法残留が問題化して、ビザを義務づけたため、イラン側もビザを義務づけるようになった。ビザが必要なだけならば、申請して取得すればよいのだが、イランは個人の旅行者に観光ビザを発給してくれなかった。

なんらかの手段はあるはずだと思って、いくつかの旅行会社をあたるうちに、(1)飛行機でテヘランから入国する、(2)現地旅行会社の空港への出迎えをつける、(3)到着日のホテルを予約する、という条件で個人用の観光ビザを取得してくれる会社を見つけることができた。ビザと出迎えのガイド、それとホテル1泊で4万と高いが仕方無い。航空会社はアエロフロート。東京発モスクワ乗換えテヘラン行き、イスタンブール発モスクワ乗換え東京行きという、すごい経路の格安チケットを入手することができた。
 

<1日目>
8月某日15時50分、定刻から3時間50分遅れて、アエロフロート機は成田を出発した。待合室で待っている間、アエロフロートの職員から、最悪の場合モスクワで乗り継げないかもしれないと言われた。しかし、順調にいけば、モスクワ時間の21時ころには到着しそうだから、21時40分発のテヘラン行きにはなんとか間に合いそうだ。

モスクワに着陸したのは20時40分。バスでターミナルビルに移動し、乗り継ぎ手続きのカウンターに着いたのが20時55分。カウンターの中のふとったおばさんは、「待っていました」とややおおげさなジェスチャー。「荷物は?」と聞くので、背中のバックパックを指差して「これだけです」と言うと、またおおげさに「おおなんとあなたは賢い」とおっしゃる。実際、荷物の積み替えをするとなると、相当時間がかかると思われるから、こう言うのもわかるが、ロシア人にはこのように愛想のいい人がけっこう多い。

テヘラン行きの便へ乗り継いだ客は僕だけで、この便は定刻通り21時40分に出発した。テヘランにはモスクワ時間で午前1時(イラン時間の午前1時30分)に到着。


<2日目>
入国審査を終わると、まだ税関を出る前にもかかわらず、旅行会社のガイドが来ていた。ガイド氏の助けをかりて税関に書類を出し、荷物の検査を受け到着ロビーに出ると、そこは出迎えの人でごった返していた。ガイド氏によると、この日は到着便がいつもより多いということだった。

3時近く、ホテルに到着。

ガイド氏は、8時頃ツアーの相談に来ると言っている。イラン国内の旅行の手配を行わせてほしいということだったので、「話だけ聞きましょう」と答えて部屋に入った。

8時すぎ、朝食を終えてロビーに行くと、ガイド氏が来ていた。イラン入国後は、基本的には、すべて自力でやろうと考えていたのだが、乗り物のチケットの手配をしてもらえるならば、その方が時間の節約になるだろうと思って話を聞いた。

しかし、話を聞いているうちに、どんどん向こうのペースにはまってしまい、結局、アケメネス朝ペルシアの首都ペルセポリスやサファヴィー朝の首都であった古都イスファハンをガイド付きでまわることにした。

当時は『地球の歩き方』のイラン編もなく、イラン国内のシステムが今ひとつよくわからなかったこともあり、また、この旅の主目的が陸路イランからトルコへ抜け、トルコの今まで行っていない箇所をゆっくりまわることにあったので、時間節約のため、この旅行社を頼ることにしたのだ。

しかし、結論からいうと、この選択は失敗だったかもしれない。確かにトルコでより多くの日数を確保できたが、同行したガイドが、ガイドというよりも単なる通訳にすぎなかったこと、そして行った先々での様々な苦労がなく、旅の印象が薄くなってしまったのは大きなマイナスだった。

最初の目的地シラーズへは、この日の夜行バスで行くことになった。

観光する時間はたっぷりあるが、夜行便の疲れをとるのと夜行バスに備えるということで、ホテルでもう一休みした。

13時30分、ホテルをチェックアウト。

テヘランではここに行かねばという感じの、国立考古学博物館へ行った。



ペルセポリスの謁見の間にあったダリウス大王謁見の図。口に手を当てているように見える人物がいるが、これは王への敬意を示す香を嗅ぐポーズで謁見の儀式でのもの。




一つ上の写真(謁見の図)のダリウス大王の後方(写真には写っていない)の衛兵(?)


   







ダリウス大王といわれる胸像とペルセポリスの謁見の間へ続く階段(階段は復元、レリーフは本物)。




階段のレリーフ。内側には献上品を持つ属国の使者(だと思う)。




階段の外側は衛兵(だと思う)。




一つ上の写真の一部を拡大してみた。




階段のもう一方の外側。




有翼人面像。




ペルセポリスの百柱の間にあった牡牛の柱頭。




ペルシアグラスの食器。