イスファハン(1)

<5日目>
イスファハンといえば、何といってもイマーム広場(王の広場)だろう。16~18世紀にサファヴィー朝の首都となり「世界の半分」と形容されるほどの繁栄を誇ったイスファハンの象徴ともいえる場所だ。ということで、勇んでイマーム広場へ行ったのだが、ラフサンジャニ大統領を迎えての大規模な集会のため入ることができず。



どこなのか、イマーム広場へ行く前か、その後か不明。



一つ上の写真と同じ場所。




これも同じ場所。



イマーム広場はまた後で行くことにし、街の中心部から少し離れたミナール・ジョンバンへ向かった。



ミナール・ジョンバン。ミナール・ジョンバンとは「揺れるミナレット」という意味。一方のミナレットに登って揺らすと、もう一方のミナレットも揺れるという構造になっている。




ミナール・ジョンバンの上からの風景。正直、「揺れるミナレット? ふーん」という感じだった。




イラン人(だと思う)の団体のガイドが、説明しながら実際にミナレットを揺さぶって見せていた。



次へ向かったのはバンク教会。サファヴィー朝のシャー・アッバース大帝はアルメニア人の職人・商人の能力を利用するため、彼らをイスファハンに招いたが、そのキリスト教信仰の自由は保障した。アルメニア人の居住区には教会が建設され、その最も有名なものがこのバンク教会で、その建築様式はキリスト教の教会とモスクをミックスさせたもの。



バンク教会。




バンク教会。




バンク教会。




バンク教会。モスクっぽいドームもある。



続いて向かったのは、イスファハン最古のモスクであるジャーメ・モスク(金曜のモスク)。



ジャーメ・モスクへ向かうタクシーの中から。道路の上に下げられた肖像はハメネイ師か?




ジャーメ・モスクに隣接する市場(だと思う)からモスクを望んだものか?




モスクに隣接する市場だと思う。




ジャーメ・モスク。このモスクはイスファハン最古のモスクで8世紀創建。創建当時の建物は一度焼失し、11~12世紀のセルジュク朝期に再建。写真は日干しレンガ(?)っぽい感じなので、11世紀に再建された部分か?







質素な感じ。




ミフラーブ(メッカの方向を示すもの)。ブレブレですが、せっかく撮ったので載せておきます。




このモスクは11世紀から15世紀までの建築様式が混在しており、こちらは15世紀に建てられた部分か?




角度を変えてもう一枚。グーグル・アースを見ていて分かったのだが、建物に囲まれていて(ミナレットがあるのは写真に写っている部分だけ)、写真を撮った場所は中庭のようになっている(すっかり忘れていた)。「四方をちゃんと撮っておけよ、自分」という感じだが、一番見たかったイマームの広場の見物があやしくなっていたので、観光意欲がそがれていたのか?