ペルセポリス

<2日目続き>
16自45分頃、ホテルに戻り、ロビーで時間をつぶす。

18時すぎ、ガイド役のユセフさんという若い男性がやってきた。日本に出稼ぎに行っていたようで、日本語がペラペラ。

さて、ここからが旅行社に依頼したツアーの開始である。ただ、ツアーとはいっても、専用車が用意されているわけではなく、移動の都度、ユセフさんがチケットを購入したり、タクシーを拾い交渉するというもの。ホテルの予約もなく(シラーズの分が予約してあったかも)、ホテルに直接出向き部屋を確保するという形。ということで、日本語ができるイラン人の知り合いと一緒に旅をするという感じの一風変わったツアーとなった。

18時50分ころ、タクシーでホテルを出発。

19時10分ころ、バスターミナル到着。このときのバスのチケットはすでに旅行会社の方で用意していたか?



<3日目>
11時ころ、シラーズ到着。

ホテルのレセプションにある料金表示を見ると1泊20ドルくらい。ちなみに、旅行会社との交渉では1泊50ドルクラスの部屋に泊るということで、僕とユセフさんの部屋は当たり前だが別々だし(旅行会社社員は割引されるのかもとは思った)、食事代もツアー料金に含まれ、これも当然2人分、安いけれどバス代も2人分、それにタクシー代も含まれ、旅行会社の負担もけっこうあるので、4泊5日(バス車中泊2泊)で420ドルというツアー料金を「まあそんなものか」と思って飲んでしまった。しかし「1泊20ドル」というホテルの料金表示を見て、ツアー代がぼったり価格になっている可能性があると感じた。

すぐにシャワーを浴び、その後、昼食。

この日はペルセポリスへ行くことになっているが、日が高い時間帯は酷暑だということで、タクシーでホテルを15時に出発。運転手との交渉はもちろんユセフ氏。

16時ころペルセポリス到着。

ユセフ氏は日本語は達者なものの、遺跡に関する知識はあまりなく、なんだかよくわからない状態で遺跡内を歩いた。

ペルセポリスは、アケメネス朝ペルシャ(BC550頃~BC330)の首都で、ダリウス大王が建設に着手したもの。「がっかり遺跡」という評判もあるようだが、建造物などの残存状態がよくなく、ヨルダンのぺトラやシリアのパルミラなどと比べると、予備知識がないと「がっかり」する遺跡だと思う。自分も遺跡に到着した時、正直「えっ? こんなもん?」と思った。



遺跡の入口にあたるクセルクセス門。門の東側、西側それぞれにレリーフがほどこされているが、写真は東側のもの。西側から遺跡に入場するのだが、入場時、門の全容は西側のレリーフの写真は撮らずに通過してしまった。



以下、写真を撮った順番に並べますが、かなり適当に歩き回ったので、ペルセポリスへ行ったことがある人から見ると、「どんな歩き方してるの? この人」という感じだと思う。



双頭の牛(だと思う)。







百柱の間だと思う。




ライオンと王の闘争の図だと思う。




どの辺で撮ったものだろうか? ペルセポリスの人物レリーフは一方向を向いて歩いているものが多いのだが、これは一人が後ろを振り返っている。ネットで他の旅行者の写真を色々と見て回ったが、2021年7月段階では遺跡内のどのあたりにあるレリーフかわからない。




玉座に座るダリウス大王と息子クセルクセスだと思う。







クセルクセス1世宮殿(だと思う)。右に見えるレリーフは王と従者。







謁見の間の東側大階段のレリーフ。各国からの朝貢使節が描かれている。服装や朝貢品には国ごとに特色があり興味深いのだが、このときは予習ぼぼゼロで行ったので、ちゃんと見られなかった。事前に色々と調べて行けばよかったと後悔。ちなみに、写真の上の段はバビロニア人、下の段はシリア人らしいが、ネット上にある旅行記によってさまざまな記述があるので、わけがわかりません。




謁見の間。




謁見の間。













一つ前の写真のレリーフはこの基壇(謁見の間の基壇?)に施されたもの。




遺跡を出る前に、クセルクセス門の西側のレリーフも撮っておいた。



この遺跡に関する予備知識がなさすぎたことと暑さにやられたため、かなり駆け足で遺跡と遺跡内にある博物館を見学して、次の目的地ナグシェ・ロスタム(ダリウス大王以降の王の墓所)へ向かった。



ダリウス大王の墓(だと思う)。




ナルセ一世叙任式の図(?)。




ササン朝ペルシャ王が捕虜にした東ローマ帝国皇帝を馬上から見下ろす図。後方はダリウス大王の墓。ササン朝ペルシャは3世紀前半から400年ほど続いた王朝なので、墓とはまったく異なる時代のレリーフということ。







クセルクセス一世の墓。



18時半ころ、シラーズ市内に戻ったが、ホテルに帰る前に、ハーフェズ廟というところに寄った。



ハーフェズ廟。ハーフェズは14世紀に活躍した詩人で、シラーズの美しさを称える詩も沢山作っており、彼に対するシラーズ市民の敬愛は大きいとのこと。現在の廟の建物は1938年に完成したもので、写真の建物の下にハーフェズの墓石がある。ハーフェズについてはまったく知らなかったし、建物自体には歴史的な価値は少なそうなので、かなりいい加減に見物したと思う。ユセフ氏はシラーズの「花」推しだったか?