イラン‐トルコ陸路国境越え <6日目>早朝5時、テヘランに戻った。 5時半、テヘラン中心部のホテルにチェックイン(シラーズ、イスファハンのツアーをお願いした旅行会社が部屋を確保してくれた)。 3時間ほど寝てから朝食。 12時ころ旅行会社へ行き旅行代金の支払い(完全後払いだったのか出発前に一部支払い、残りをこのとき支払ったのか?)。それから、その夜のタブリーズ行きのバスのチケットの手配をお願いした。 ホテルのランクが当初の予定よりも下がったのでイスファハンからツアー代を下げるべきという苦情の電話の成果だと思うが、この日のホテル代、タブリーズ行きのバス代、ホテルからバスターミナルまでのタクシー代は払わなくてもよいということにしてくれた。 ちなみにツアーは次のような旅程でこなしたことになる。 1日目:夜、テヘランを出発。(車中泊) 2日目:ペルセポリス観光。(シラーズ泊) 3日目:シラーズ市内の観光後、イスファハンへ移動。(イスファハン泊) 4日目:イスファハン市内の観光後、テヘランへ向けて出発。(車中泊) 5日目:朝、テヘラン帰着。 個人で旅行した場合、上手くいっても、もう1日、下手すると2日余計に要したと思うので、効率的に回るという点では旅行会社を利用したのは間違いではなかったのかもしれない。 旅行会社を出たあと、神学校の見物(なんという神学校だったかは不明)。
14時ころホテルに戻り、またひと眠り。 16時半、旅行会社を訪れ、バスチケットを受け取る。その際、19時頃、ホテルに迎えに行くと言われる。 18時40分、送迎車(タクシー)でバスターミナルへ向かう(19時の約束だったが早く来てくれた)。 19時、ターミナル到着。 さて、これで日本出発後6日目で3度目の夜行バスである。イラン入国日もほとんど寝ていないのと同じ状態だから、かなりの強行軍だ。おまけにイランの暑さで体力は消耗している。テヘランで休息をとるべきなのかもしれないが、9月の始めには帰国しなくてはならない。トルコ入国後の観光のことを考えると、1日でも早く国境を越えておいた方がいい、ということであえて強行軍を選択したのである。 20時15分、タブリーズに向けて出発。ここからがこの旅の本番だ。バスは、左側の座席が2列、右側が1列という広々としたタイプで、僕の席は、右側の一番前(ドアのすぐ後ろ)。昼間ならば前方が見える特等席だが、足を前に投げ出すことができず、眠るには今一つだ。しかし、疲れがたまっているせいか、すぐにうとうととした。 <7日目> まだ夜が明けきらない6時、タブリーズ到着。熟睡はできなかったが、かなり眠っていたらしく、あっと言う間だった。 タブリーズからは、さらにバスを乗り継ぎマクーという街へ行かなくてはならない。バスのチケット売り場へ行くが、アルファベット表示は一切なく、窓口で「マクー」「マクー」と連発する。すると、その窓口でよかったらしくチケットを売ってくれた。1万リアル札を出すと、5000リアルと少しおつりが帰ってきた。公定レートでは、1米ドルが3000リアルだから、日本円で200円弱といったところだろうか。日本的感覚からいうと格安なのだろうが、この旅では自分で物を買うということをほとんどしていないので、イランの物価というものがつかめていない。これも、旅行社に観光を任せたデメリットだと思う。 マクー行きのバスは何時に出るかわかならい。アラビア数字(ニョロニョロ文字)は一応読めるのだが、チケットに書いてあるどれが出発時刻なのかわからないのだ。すぐにバス乗り場に行くが、どれに乗ればいいのかもわからない。その辺にいる人にチケットを見せて尋ねる。幸いまだ朝早いせいか、停車しているバスの数が少なく、容易にマクー行きは見つけられた。 バスは6時半に出発した。順調である。 10時すぎマクーに到着。ここからボーダーまではタクシーに乗った(6000リアル)。 10時半ころボーダーに着いたが、そこはボーダーの入口といった方が正確な場所で、税関や出国審査は山の上だ。イラン・トルコ国境は峠の頂上にあるのである。 日も高くなり暑くなってきたなか、てくてくと歩いていく。何か交通機関はあるらしいのだが、歩いているときはそれらしい車はみかけなかった。 11時すぎ、国境に到着。大型トラックがたくさん停車している。通関手続き待ちをしているのだろうか。 通関を待つ人たちの列が税関の建物の外まで伸びていた。相当時間がかかりそうだ。 列はほんの少しずつしか進まず、検査場まで1時間半を要した。列が進まないのも道理で、検査の台は4つか5つあるうちの2つしか使っておらず、しかも検査がしつこく、荷物はバックの隅々まで調べられた。 荷物検査だけでは終わりではない。台を通り過ぎるとカーテンでしきられた場所があって、そこで財布の中身のチェックを入念にした。何のためにここまで入念にやるのかよくわからないが、おとなしく従うよりほかない。 税関を抜けてやれやれと思って前へ進むと、今度は出国審査の窓口まで長い列が続いていた。そして窓口は何と一か所しかないではないか。結局、出国審査が終わるまでさらに1時間余りを要した。 トルコ側のチェックは30分ほどで終わった。まず健康チェックの用紙に名前などを記入させられ、それが終わると入国審査。税関に進む前に入国スタンプのチェックを受けたが、その係官が、僕が日本人だとわかると、両手で防御の姿勢をとっておどけてみせた。「カラテ」とか何とか言っている。いかにも親日国らしい。僕も一応空手のポーズで応えておく。税関はノーチェックだった。 建物の外に出ると、目の前にアララット山がそびえていた(写真を撮っておけばよかったと悔やまれる)。ドゥバヤズィットへやって来たのである。(トルコ時間の13時半ころか?) ここで、イラン側の出国手続きの長い待ち時間で顔見知りとなったイラン人たちと別れ、これも国境で出会ったドイツ人とタクシーをシェアして、ドゥバヤズィットの町へ降りていった。 これで今回の旅の目的の一つは完了。 次の目的は、ネムルート山をはじめとするトルコ内での未訪問遺跡の訪問だ。
<8日目> 8時15分ころ、ホテルをチェックアウト。ドゥバヤズィットは2度目の訪問なので、すぐに次の目的地である、ネムルート山観光の拠点キャフタへ向けて出発した。 まず、この辺の中心地な街であるワンまでドルムシュで移動(9時半出発、12時40分ころ到着)。 ドルムシュはワンのオトガル(バスターミナル)へは行かなかったので、さらにドルムシュを乗り継いでオトガルへ移動。 この後のメモには若干の混乱があり、出発時刻はわからないが、たぶん14時少し前、ディヤルバクル行きのバスに乗車。
20時40分頃、ようやくディヤルバクル到着。しかし、バスターミナルから中心部は離れており、タクシーで街の中心まで移動。 21時少し前、とあるホテルにチェックイン。ディヤルバクルは暑いこと有名な街らしいが、この夜は本当に暑かった。 <9日目> めざすキャフタまでは、まだ大分ある。 8時45分頃のバスでシャンルウルファに向けて出発。順調に進むかと思っていると、途中で群れからちょっと離れてしまった牛をはねて50分くらいストップ。 12時20分にシャンルウルファに到着。 すぐにドルムシュをつかまえ、アドゥヤマンに出て、さらにキャフタへと移動し、16時ころ、ネムルート・ツアーズ・ホテルという小奇麗なホテルに投宿した。 |