メキシコシティ きっかけは両親のところに送られてくる某旅行会社のツアー紹介誌に載せられていた写真だった。そのツアー紹介誌、これがかなりのすぐれもので、ただツアーを列挙してその内容を紹介しているものではなく、世界各地の注目すべき観光スポットを特集で紹介したりしている。その特集でたまたま目にしたのが、グアテマラのティカル遺跡のジャングルの密林の中にそびえ立つピラミッドの写真だった。 この写真に強く動機づけられて、2000年3月の旅ではグアテマラへ行くことにした。 しかし、グアテマラは小さな国である。確保できた旅行日程は2週間くらい。それくらいの日にちがあれば、お隣のメキシコも少しだけ巡ることができそうである。そこで、メキシコシティ・イン、カンクン・アウトの航空券を確保し、メキシコ-グアテマラ-メキシコの航空券は現地で手配することにした。 <1日目(3月2日)> 夕方、JALの成田発、バンクーバー経由、メキシコシティ行きの便で出発(成田-メキシコシティなどという便があったのだ)。 同日、夕方17時半すぎにメキシコシティ到着。 到着口にあるホテル紹介所で市内のホテルを予約して、タクシーでホテルへ向かった。空港からメキシコシティ中心部までの所用時間は25分くらいで、意外と近かった。 <2日目(3月3日)> メキシコシティに来たからには、何をおいても、最大の見所(と自分では思っている)国立人類学博物館に行かねばならない。しかし、問題がひとつあった。当時のメキシコシティの治安は非常に悪く、公共交通では、スリ・強盗の被害が非常に多かったのだ。(ちなみに2022年8月、この旅行記を作成するにあたってメキシコシティの治安について調べてみたところ、その後相当改善されたようだ) 地下鉄や市バスでやっかいなのは押さえつけスリと呼ばれるもので、数人でターゲットを押さえ込んで、無理やりお金などを奪い取るという手口(これは最早スリとは呼べるレベルを超えて強盗である)。周囲の客は報復が怖いので見てみぬふりをするということだった。 また、タクシーも危険で、こちらはタクシー強盗というものがあった。危ないのはリブレと呼ばれる流しのタクシーで、盗んだタクシーを使って観光客をつかまえ、別の車でつけてきた仲間が人気の少ないところで(信号待ちの場合もあるらしい)、突然乗り込んできて有り金すべてを巻き上げるという手口。 比較的安全なのは、一定のブースで待機しており、電話などで迎えに来てもらうこともできるシティオとよばれるタクシー。一番安全なのは一流ホテルの前などで待機しているトゥリスモと呼ばれるタクシー。 すなおにホテルでタクシーを頼めばよいものを、それでは”負けた感”があるとでも思ったのか、かなりびびりながらも地下鉄で目指す国立人類学博物館へ行くことにした。賊は恐らく駅でターゲットを決め、そのターゲットとともに乗車するはずだから、電車がホームに入ってきたら、急に移動して乗る車両を変える。急に移動する先は女性が多めに並んでる列(女性が賊である可能性は低いのではと考えた)。乗ったら出入り口付近に立ち止まらず、車内の奥へすぐ移動(ドアに押し付ける形で押さえ込まれるのをさけるため)。こういう原則を自分自身で確認して乗り込んだ。また、ときどきキョロキョロしながら周囲に気を配った。これは無警戒ではありませんということを見せるため。さらにばかばかしいことを。。。何をやったのかというと、右手で握りこぶしをつくって、つり革や手すりを軽くたたいたりしたのだ。「自分は空手の国、日本から来たんだかんね」「下手な真似すると痛い目にあうよ」ということを示すため。。。まったく馬鹿である(ちなみに空手の心得はまったくありません)。 無事、博物館最寄の駅に到着。テオティワカン、マヤ、アステカなどの遺物が整然と展示されていてすばらしい。
午後、旅行会社へ行き、メキシコシティ~グアテマラシティ~フローレス~カンクンというルートの航空券(料金は4146.69ペソ)を購入したあと、ホテルに戻り一休み。 夕方、ソカロ(中央広場)と呼ばれる憲法広場へ行った。ここはアステカ帝国時代には神殿に囲まれた重要な場所だったところで、スペインもメキシコ征服後、中心地とした。アステカ時代の建物はスペインによって破壊されたので、今見られるのはスペイン風の建物。スペイン風の建物にはあまり興味がないが、知人からソカロ近くの露店で売らているらしいチェ・ゲバラのバッジを買ってきて欲しいと頼まれたので行ってみたのだが、残念ながら見つけることができなかった(なぜ、メキシコでキューバ革命の指導者チェ・ゲバラなのかはわからないが) ところで、ソカロでは1枚も写真を撮っていない。治安の問題でバッグからカメラを出すことがはばかられたのだったのだろうか? それとも、単にスペイン風の建物が並ぶ風景に興味を持てなかっただけだったのか? |