グアナファト

<3日目(3月4日)>
グナファトは中央高原に位置し、スペイン統治時代、16世紀半ばに銀山が発見され、その富で栄えたコロニアル都市。今回の旅の第一の目的は遺跡見学だが、街自体がユネスコの世界文化遺産に指定されているということなので、行って損はなさそうだということで行くことにした。

ホテルから北ターミナルまではタクシーで移動。グアナファト行きのバスは頻繁にあるということなのでチケットは予約せず、乗れるバスに乗ろうと思って早め(8時過ぎ)にホテルを出た。

8時20分ころターミナルに到着。運良く、8時45分のバスがあった。

メキシコはバスが発達しており、乗ったのはETNという会社のデラックスバス。料金は255ペソ(30ドル弱)で、乗車時にサンドイッチ、コーラなどのサービスがあった。

14時ころ、グアナファトのターミナル到着。ここから市バスで中心部へ移動。ラウニオン公園近くのSAN DIEGO ホテルというコロニアル風のホテルに部屋をとる。1泊610ペソ(70ドル弱)という結構な料金。

現在(これを書いているのは2022年)、グアナファトは「カラフルな」とか「宝石箱をひっくり返したような」などの形容詞が付されて紹介されることが多いようだ。実際、ネットでグナファトの画像を検索すると本当にカラフルな画像が沢山ヒットする。中にはかなり彩度を上げるといった加工が施されたもののあるようだが。そんなカラフルな街なので”映え”というものが重視されている現在、グナファトは大人気らしい。



グアナファトの街。確かに建物は色々な色で塗られている。




バシリカ。




写真が小さいのでわかりにくいが、丘の上にある像はピララ記念像。ピララは独立戦争時に活躍したインディヘナの坑夫で、メキシコ独立史における英雄の一人とのこと。ところで、グアナファトには地下道路が張り巡らされており、街のあちこちに写真のような出入口があった(地下道路については後述)。




ファレス劇場の前で何か大道芸のようなものが行われていた(左端に近い所に写っている黒い服の人)。ちなみに、ふぁれすファレス劇場自体、建物として価値があるようだが、まともな写真を撮っていない。




ファレス劇場の隣にあるサンディエゴ教会。



たぶん、バシリカ前の広場。




街を適当に歩き回った。斜面に建つ家々も様々な色でペイントされている。実は画像の彩度をアップさせるという加工をしてみた。ただ、あまり加工の強度を上げると、手前の車の色がかなり不自然なものになるので、やや抑え気味にしておいた。




これもちょっと彩度を上げている。




アロンディガ・デ・グラナディータス。もともとは穀物貯蔵庫だったが、1810年に独立戦争が始まると、政府軍はここを要塞としてたてこもった。これを解放軍が打ち破り(その時活躍したのが上述のピピラ)、独立戦争の流れが変わった。しかし、グアナファトは翌年政府軍が奪還し、1821年の独立達成までその支配下に置かれた。なお、現在は州立博物館になっている。




アロンディガ・デ・グラナディータス(だと思う)。




アロンディガ・デ・グラナディータス(だと思う)。




左手前がファレス劇場、その奥がサンディエゴ教会、さらにその奥がこの旅で泊ったホテル(SAN DIEGO)。




ピララ記念像が建っている展望台からの眺め。赤い屋根がサンディエゴ教会でその右がファレス劇場、左手の教会はバシリカ。サンディエゴ教会の前の緑がラウニオン公園。この周囲にはレストランが並び、よるにはあちこちの店からマリアッチ(メキシコ音楽を演奏する楽団というかグループ)の演奏が聞こえてきた。実はこの写真も少し彩度を上げているのだが、それほどカラフルではない。グアナファトはその後の観光ブームのなか、建物の色の塗り直しを相当やったのではないか?(想像だけれど)










口づけの小道。狭い土地を活用するため、道を挟んで、こんな感じで軒を接するように住宅が建てられている場所がある。ここの向かいあう家が犬猿の仲だったのだが、2軒の息子と娘が恋仲になり、2回の窓からか身を乗り出してキスをしたという伝説があるとか。




右の建物はけっこうヴィヴィッドな色。




メキシコシティと比べるとグアナファトの治安が格段に良いということだったので、夜の街を散歩してみた。







サンディエゴ教会前に開かれた”夜の画廊”










どこだ?



グアナファトは、奇麗な街で、治安も良く安心して街を歩き回ることができたが、訪れた時は何か物足りなさを感じていた。それはたぶんグアナファトのせいではなく、自分の旅行傾向が、途上国中心、ハプニング、そこそこの困難ならばむしろ歓迎という感じだったためなのだと思う。

ところで、グアナファトの街の地下には沢山のトンネル・地下道があり、上の方の写真にあるような出入口があちこちにあった。これについては、調べてみるとなかなか興味深い歴史があった。

建設コンサルタンツ協会誌『civil engineering CONSULTANT』の270号( 土木遺産ⅩⅢ ~ラテンアメリカ 古代文明から現代文明への転換を支えた土木技術~)の中に「銀鉱で栄えた都市『グアナファト』」(近藤安統)という記事があり、それによるとグアナファトのトンネルには次のような歴史・地理的な背景があるとのこと(ネット上で読むことが出来る)。

グアナファトの中心部は谷にあたり、街の中心を東から西に横切るグアナファト川が流れ、また多くの沢づたいに周囲の山々から谷に水が流れ込む。そのため、年平均降水量は700㎜程度だが、18世紀後半だけでも5回の洪水が起こった。それへの対策として、グアナファト川沿いの低地を約5m嵩上げし、多くのアーチ橋を造って川に蓋をして暗渠化した。しかし、これでも洪水が発生したので、20世紀初頭には鉱山技術を利用して、地下に排水用の河川トンネルを造った。その後、河川への汚水排出による衛生問題や、自動車交通量の増加による交通渋滞と駐車場問題が顕著となるなかで、1950年以降に河川を更に深い位置に切り替える整備が開始され、それとともに地下道路網の整備が行われ、1988年まで続けられた。

以上のような感じで地下道路網が整備され、その中には20世紀初頭に鉱山技術を用いて作られた河川トンネルを利用した古いものから、現代の土木技術を用いた新しいものまであり、そこには路線バス路線が走っていたりもする。

地下道路の総延長は8km以上もあり、実際に利用されているのはその一部だそう。また、古い地下道はレンガアーチでできているとされ、歩道を歩くとアーチが肋骨のような形状で張り出しているので、すぐにそれとわかるらしい。また、上空が見える堀割区間もあるとのこと。

ちょっと調べてみて、以上のようなことを知ったが、この旅行前から、この知識があったら、グアナファトの街歩きがもっと楽しいものになっていたのにと思う。