テオティワカン <5日目(3月6日)>朝7時、メキシコシティに向かうべく、ホテルをチェックアウト。バスの時刻は確かめていない。 7時半ころ、バスターミナルに着いたが、8時のシティ行きがあり、これに乗る。 12時40分、北ターミナル到着。 さて、ホテルをどうするか。別にケチケチ節約旅行をしているわけではないが、グアナファトの2泊で140ドル近く使ってしまったので、少し宿泊費の平均値を下げたい。そこで、日本人が経営する日本人の集まる安宿サンフェルナンド館に行ってみることにした。交通手段は地下鉄を選択。バックパックを背負っているから、スリグループの標的になりやすいと思いつつも、めざすホテルが地下鉄駅に近いので、用心に用心を重ねて移動した。 ところで、日本人の集まるホテルに泊るのは、80年代後半の中国旅行以来だ。ただ、あのころの中国は外国人の泊れるホテルが非常に限られていて、地方都市へ行くと一つだけなんていうこともあったから、選択の余地がなかったわけだが。 めざすサンフェルナンド館は容易に見つけられた。治安の問題があるのか、いちいち呼び鈴をならして玄関を開けてもらう仕組み。ホテルはオーナーが運営しているのではなく、長期滞在者が管理人として、とりしきっていた。 ホテルに入ると「予約した方ですか?」と聞かれた。予約が必要なくらい混み合っているようだ。 「いいえありません。部屋空いてます?」 「ドミトリーならあいてますよ」 ということで、1991年にパキスタンからフンジェラーブ峠を越えたときのタシュクルガン以来のドミトリー泊ということになった。部屋にはベッドが10くらい並んでいただろうか。料金は朝食つきで7ドル。 夜、オーナーにメキシコシティの治安について聞いてみると、確かによくないという。地下鉄でここまで来たことをいうと、地下鉄はやめた方がよいとも言われた。実際、このときの宿泊者のなかにも、地下鉄で押さえつけスリ(強盗)にあった人がおり、かなりの確率で被害にあうらしかった。地下鉄に乗るくらいなら、流しのタクシーに乗るとも言っていた。流しのタクシーも観光スポット近辺の車は先述のような強盗の可能性があるが、そうでないところでは可能性は低いということらしい(既に書いた通り、この治安状態は2000年当時のものです)。 <6日目(3月7日)> この日は、巨大遺跡テオティワカン訪問だ。8時ころ、オアハカに向かうという日本人男性と一緒に出発。ホテル近くでタクシーをひろい、北ターミナルへ向かった。おとなしそうな運転手が突然凶暴な男に豹変するかも、どこかで仲間が乗り込んできて銃を突きつけてくるかも、といった不安をいだきつつ、15分ほどのドライブを終えた。 テオティワカンへ行くバスは頻発しており、8時半のバスをつかまえることができた。所用約1時間で遺跡の入り口に到着。久々の初対面の巨大遺跡である。グアナファトの時には感じられなかった、わくわく感もあった。 テオティワカンは、紀元前2世紀ころ建設された宗教都市国家で、紀元350年から650年の間には繁栄を極めており、20万人以上の人口を抱えていたと推定されている(8世紀ころには滅亡)。 テオティワカンでは神制政治が行われ、その頂点には神官が位置した。テオティワカン遺跡には、その神官たちが宗教祭事を行うために建造したとされるピラミッド(神殿)が残されている。
テオティワカンからメキシコシティーに戻った僕は、サンフェルナンド館で預かってもらっていたバックパックを受け取り、空港へ向かった。ホテルは空港のヒルトン。翌日(8日)のグアテマラへ便の出発が朝6時と早いが、市内を3時半に出るガッツはなく、メキシコ入国後に航空券を手配した旅行会社で、いわく「お得な宿泊プラン(120ドルだから決して安くはない)」を紹介されて、すぐにグラッときてしまったのだ。 |