<目次>
1.エジプト再訪(このページ)
2.バハレイヤ・オアシスと黒砂漠・白砂漠
3.ヌエバからフェリーでアカバへ
4.ぺトラ遺跡再訪
5.遺跡と住民の居住エリアが混然としたボスラ遺跡
6.パルミラ再訪
7.ラマダン明けのアレッポ
8.旅の終わりはイスタンブール
1.エジプト再訪(このページ)
2.バハレイヤ・オアシスと黒砂漠・白砂漠
3.ヌエバからフェリーでアカバへ
4.ぺトラ遺跡再訪
5.遺跡と住民の居住エリアが混然としたボスラ遺跡
6.パルミラ再訪
7.ラマダン明けのアレッポ
8.旅の終わりはイスタンブール
エジプト再訪 1993年3月、エジプト-ヨルダン-シリア-トルコと移動する旅に出かけた。実はこのルートは90年3月にも旅をしたのだが、今となっては何故再度このルートを選択したのか詳細は思い出せない。このルートを選択した最大の理由はおそらく、エジプトのヌエバからヨルダンのアカバへ船で渡りたかったからだと思うが、90年にはエジプトへ行ったとはいっても、ごくごく基本的な観光地しかめぐっておらず、さらに色々と見たい、ヨルダンのぺトラやシリアのパルミラに是非再訪したい、そして当時一番のお気に入りとなっていたトルコのイスタンブールを歩きたいといったことだと思う。 <1日目(3月11日)> 21時45分カイロ到着。 このときどういうルートでカイロに入ったかはすっかり忘れていたが、この時利用した『地球の歩き方 エジプト』を見ると、この時刻にカイロに着く便としてトルコ航空の便が載っていたので、トルコ航空で成田-イスタンブール-カイロと飛んだのだと思う。 さて、現在のエジプトの入国がどうなっているかは知らないが、当時はビザ用のスタンプ(印紙みたいなやつ)を購入して、それとパスポートを入国審査官に提出すると、それがパスポートに貼られビザスタンプと入国のスタンプが押されるという仕組みだった。 この時は到着が夜遅くなるということで事前に初日のホテルと送迎もお願いしてあったのだが、まだイミグレも通過していないのに自分の名前を書いた紙を持った若い兄ちゃんが話しかけてきた。もう一度書くが、まだ入国審査も済んでいないのに、そこにオフィシャルな人間でも何でもないものがいていいのか? エジプトらしいといえばエジプトらしいが。 ここで彼につかまってしまったため、ビザ取得(印紙みたいのを買うだけ)も手伝われてしまったというか、既に手にしていた。エジプトでは無料のサービスというのはあり得ないので対価を払わねばならない。 入国審査、税関と何事もなく済ませて到着ロビーに出ると、彼の上司っぽい人間が待っていてビザ取得の援助は20ドルだという。言われるままに払ったが、メモには自分で購入する4倍くらいの料金だったような、とある。 出迎えの若い兄ちゃんに車のところまで連れていかれたが、彼も車に乗り込んできた。ホテルまで同行するのかと思っていると、途中で降りてしまった。どうやらホテルへ向かう途中、彼の家の近くを通って送るという、よくある公私混同のパターンだ。 23時ホテル到着。カイロ到着から1時間半もたっていない。ものすごく順調だった。しかし、ここからがまたエジプトだった。部屋の準備はできておらず「ちょっと待って」という。しかし、中東のこのちょっと(ワンミニッツ、ファイブミニッツetc.)が曲者でだいたいがしばらくお待ちくださいの意味なのだ。実際、1時間くらい待たされた。ようやく案内された部屋はとても広く、この時住んでいた東京の自分の部屋よりも広かった。 <2日目(3月12日)> 9時20分ころチェックアウト。 この日まず行わなければならないのは、モガンマアでの外国人登録。1週間以上滞在する者はビザ以外にこれも必要なのだ(現在どうなっているかは調べていません)。1週間以上エジプトにいるかどうかは微妙だが、念のため登録しておくことにしたのだ(結局は1週間以上滞在した)。 9時40分にモガンマアに到着、10時過ぎから業務が始まり、10時20分には登録完了。順調だったと書きたいところだが、ここで日本から持参したフィルムパックを一つ落としてしまった。荷物のエックス線検査のときバッグの口が開いていたらしく、そこからすりおちたらしいことに後から気が付いた。 フィルムは途中で買えないこともないが、まだ、36枚撮りを4本持っているので節約すると何とかなりそうと考えたのだと思う(この旅では荷物を軽くするためコンパクトカメラ1つしか持って行かず写真欲はあまり旺盛でなかったように思う。しかし、改めて写真をチェックするとかなりフィルムを節約したらしいことがわかる)。 外国人登録の後、目ぼしをつけておいたホテルに飛び込みでチェックインしてからバスでギザへ向かった。ギザには90年にも訪れているのだが、その時はスフィンクスに修理の足場が掛けられていて、足場なしのスフィンクスが見たかったための再訪だった。 ギザに着いた後、何を思ったのかラクダに乗ろうかと思ったのがまずかった。 ピラミッドの観光ラクダ引きの評判はとても悪かったのだが、自分が交渉したラクダ引きもひどい奴だったのだ。 「この辺を一回りして2ポンド。今はラマダンだしそれ以上もらわない」 しかし2ポンドは安すぎる。これは絶対途中で料金の変更を言ってくるパターンだと感じつつ、「2ポンドしか払わないよ」と断って、彼の連れの男の引くラクダに乗った。 彼の乗るラクダに先導されて、少し進むと彼の連れに「20ポンド払え」と言い出した。彼には2ポンド払えばよいので嘘はついていないといえばついていないのだが、そんなにまでして、と思った自分は怒りがフツフツと湧き上がってきて、ラクダから飛び降り、自分のラクダを引く男に2ポンドを渡してその場を立ち去った。ラクダ引きは「10ポンド」「5ポンド」とドンドン値を下げてねばるが信用できないので相手にしなかった。 ピラミッドの並ぶエリアから早々に出て、スフィンクスを見て昼食をとった。ラマダンだったので、こういう観光地の外国人観光客向けのレストランで食べるのが楽だった。
食事後カイロに戻ろうとしたところで、タクシーの運転手に声をかけられた。メンフィスとサッカラに行かないかという。80ポンドで帰りはホテルまで送ってくれるということになり乗車(交渉で決まった額以上は要求されなかった)。 メンフィスにはアラバスター製の小ぶりなスフィンクスが有名で、ラムセス2世像が横たわっている。また、サッカラには階段状のピラミッドがあり、ギザのそれよりも古いタイプのものらしい。
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