遺跡と住民の居住エリアが混然としたボスラ遺跡 11日目(3月21日)6時半にホテルをチェックアウトして、ダマスカスへの乗り合いタクシーを出している会社へ向かう。 6時40分ころタクシー会社に到着(たぶん前日にここを訪れ何時に来たらよいか確認していたのだと思う)。 8時すぎ出発(人数が揃ってから出発という感じだったか?) (途中の出入国は何の問題もなかった) 11時45分、ダマスカス到着。 ホテル確保後、両替をしたり、2日後のパルミラ行きのバスのチケットを購入したりする。ウマイヤドモスクとか旧市街に行ったのだと思うが、ほとんど写真を撮っていない。一度来ているし、フィルムは節約したいしということだったのだと思う。 12日目(3月22日) ヨルダンで先を急いだことによって、今となっては実に貴重な一日となった(シリアという国が生きているうちに再訪できるかどうかわからない状態になってしまったので)。 この日はTさんとは別行動をとり、ボスラ遺跡へ向かった。 『地球の歩き方 フロンティア』にあったボスラ遺跡に関する記述はごくわずかで、保存状態のよい劇場が残っていることと移動手段以外はほとんど情報はなかった。 8時20分ころタクシーでバスステーションへ行き、バスでまずダラーへ、そこでバスを乗り換えボスラへ向かった。 ボスラには11時30分ころ到着(バスの終点が遺跡前だったか?)。 ボスラは紀元前1世紀からナバタイ王国(首都はぺトラ)の北の拠点として成長。2世紀初めにはローマ帝国の支配下に入った。ということで、多くのローマ時代の遺跡が残っているのだが、遺跡のエリアに一般住民が住んでいるユニークな遺跡だった。 そろそろ昼飯時だが、ラマダン真っ最中なので食べられず。
13時ボスラをミクロバスで出発。何と同乗のシリア人が運賃を払ってくれた。 ダラーで乗り換え、16時ころダマスカス到着。
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