<目次>
 1.IRAの攻撃を受けてヒースローが閉鎖される(このページ)
 2.シーズンオフのコス・タウンは機能半停止?
 3.ボドルムは今日も雨だった
 4.プリエネで日本人旅行者に拾われる
 5.欧州人パッカーお勧めのサルトへ
 6.友人宅に行くついでにストーンヘンジへ

  IRAの攻撃を受けてヒースローが閉鎖される

1994年2月25日、ヨルダン川西岸地区ヘブロンで「マクペラの洞窟虐殺事件」が起きた。
マクペラの洞窟はユダヤ教徒、イスラム教徒双方にとっての聖地なのだが、同日朝、礼拝に集まったムスリムに対し極右ユダヤ教徒の人物が銃を乱射するという事件だった。事件後、各地で事件に抗議する暴動が起き、緊張状態が強まった。

実はこの春、ヨルダン川西岸地区・イスラエルを旅行することにしており、航空券も確保して出発まで2週間という状況だった(詳しい記録はないが出発2週間前なので航空券はすでに購入済みだったはず)。

どういう経路での旅を計画していたかも忘れてしまったが、パスポートにイスラエル入国記録が残ると他の中東諸国などに入国できなくなることから、ヨルダンからヨルダン川西岸地区に行くという形をとろうとしていたのかもしれない。ただ、もしかすると、その時利用していたパスポートの有効期限内は他の中東諸国への旅をしないであろうと考え、ヨーロッパのどこかからテルアビブに飛ぶということにしていたのかもしれない。

さて、そんな事件が起き治安状態も悪くなっていたので、もともとの計画は断念したが、この春の旅行自体を取りやめるという選択肢は自分にはなかった。そこで、あまり下調べなしで行ける国(行き慣れている国)トルコへ行くことにした。

利用した航空会社は英国航空で、成田発着のアテネ・イン、イスタンブール・アウト(当然往路復路ともにロンドンで乗り換え)という航空券を確保した。おそらくもともと英国航空の航空券を買っており(イギリス駐在中の友人に会うという予定がもともとあったはず)、本来は変更不可であったものを、上記事件の発生という事情で変更してもらえたのだと思う。



<1日目>
15時過ぎロンドン・ヒースロー空港に到着。

ここまでは順調だった。

ところがこの後とんでもないことが起こった。

空港がIRA(アイルランド共和軍)に攻撃されたという情報が流れてきた。

どの程度の規模のものか情報がなかった。

記憶が定かではないが、取りあえずアテネ行きの便が出るターミナルへ移動したと思う。

22時ころすべての便がキャンセルになったという情報が流され、深夜、イミグレ・税関を通り、到着ロビーに出た。

この時は大きな荷物を預けており、それがどうなるのかを航空会社の職員に尋ねたが、その際、アテネに行くことを確認され、行くのであれば荷物はそのまま、ということだったように思う。

ほとんど情報のないなか空港で一夜を明かした。



<2日目>
他の客が手にしている新聞(朝刊なのか前日の夕刊なのか?)の紙面には「戦車出動」という文字も見え、かなりまずいことになっているかもと思う反面、新聞が空港に届けられているということは空港外との行き来ができているということで、それほど大事にならずに済みそうという感じもした。

何時頃だったかは忘れたが(メモもない)、持っている航空券はいったんキャンセル扱いのような感じとなり、予約を取り直さねばならないらしいことがわかり、5時からチケット売り場の列についた(どうやらテロの被害は少なく空港の閉鎖は解除されるようだ)。

6時に窓口が開いたが自分の番がきたのは9時すぎだった。

前日の客とこの日の客を一つの便で運ぶだけ客席に余裕があるのか心配だったが、それは杞憂に終わった。

9時40分ころチェックイン。

12時15分出発、17時50分ころアテネ到着。

翌日のコス行きの便の航空券を購入してから、空港バスでシンタグマに出て、プラカ地区でホテルを確保。



<3日目>
シンタグマからバスで空港に移動。

定刻9時半のコス島行きの便に搭乗(10時、30分遅れて出発)。

11時ころコス到着。

バスで市内に出たが、その際、バスには釣銭がなく、何と只にしてくれた。

バスを降りると、すぐに旅行社をさがした。

コス島に来たのは、ここからトルコのボドルム行きの船に乗るためで、船の運航スケジュールを確認するためだった。

とある旅行社に行くと「港へ行け」と言われ、港の方へ歩いていると、ペンションの客引きのおばさんにつかまった。

おばさん情報ではボドルム行きの船は「月・水・金に出る」とのこと。ちなみにこの日は火曜日で翌日の出発だ。都合のよいスケジュールだ。

ホテルのあてがなかったので、この日はこのおばさんについていくことにした。

明日にはもうコス島を出なければならない。ということでおばさんのペンションに荷物を置いた後、昼食をとり、観光に出かけた。

18時、午前中に尋ねたのとは異なる旅行社に行き、ボドルム行きの船の便を再確認。

一つの旅行社は「月・水・金」、一つの旅行社は「月・水・金で、水曜の便は午後2時」と言う(水曜の便しか興味がなかったので水曜だけ出発時刻を尋ねたのかもしれない)。

2つの旅行社で情報が一致した。とりあえず明日はボドルムに向けて出発できそうだ。チケットは当日でよいということだったのだろうか、購入せずにペンションにもどった。



コス島は医学の父と呼ばれるヒポクラテスの出身地。そしてここには、紀元前4世紀、ヒポクラテスを記念して、アスクレピオス神殿や病気平癒のための施設を持つアスクレピオンが作られた。この時は、シーズンオフのためかコス・タウンからアスクレピオンまでの公共の交通機関はなく、コス・タウンからプラタニ(platani)村というところまでバスで移動し、そこから徒歩で遺跡へ向かった。写真はアスクレピオス大神殿跡(遺跡の最上段にある)。海の向こうの陸地はトルコ。




同じく神殿跡。




アスクレピオス大神殿のある段からアポロン神殿(柱が並んでいる所)を見下ろす。




並んでいる柱はアポロン神殿のもの。この時はというかこの時もろくに予習もせずに行ったので撮り逃してしまったが、左端に写っている柱はヘレニズム時代のアスクレピオス神殿のものらしい。




何だかわからない施設。ローマ時代の浴場跡?




遺跡を出た後、段々になった遺跡の様子がよくわかる場所で1枚(スズキの軽トラに注目して撮ったのか?)。




少し歩いて振り返ると並木がいい感じだったので撮った1枚だと思う。




アスクレピオンを後にしてプラタニ村へ向かう途中。