欧州人パッカーお勧めのサルト(サルディス遺跡)へ

<8日目>
本日の目的地はサルト(サルデス遺跡)。
前日、Kさんが「同宿の欧州(どこの国だったかは忘却)パッカーに勧められた」と言っていた場所だ。サルトの後は飛行機でイスタンブールに移動する予定。
*手もとの『歩き方』には「サルト」とあるが、この時、Kさんが聞いた情報は「サート」で、トルコの人に色々と尋ねたときも「サート」で通じた。

9時ころのミニバスでセルチュクに移動。
9時半ころセルチュク到着、すぐにイズミル行きのバスに乗車。すると通路を隔てた隣の席にKさんが。ということで2人でサルトを目指すことにする。

11時、イズミル到着。
オトガルのエマネト(荷物一時預かり所)に大きな荷物を預け、サルト方面行きのバスに乗車。
『歩き方』には掲載されていない遺跡だったが(現在は掲載されている)、「サート」はよく知られているようでオトガルで尋ねると「サート」に行くバスはすぐにわかった。

12時半ころサート到着。のどかな田舎の中に突然現れるという感じの遺跡だった。



サルディス遺跡。紀元前7世紀(?)ころ成立し、世界で初めて鋳造貨幣を作ったことで知られるリディア王国の都だったところ。その後アケメネス朝ペルシア帝国の支配下にあった際、紀元前5世紀にはダレイオス1世によって王の道という公道が建造されたが、サルディスはその最西端に位置する都市であり、歴史的に重要な場所らしい。現在残る遺構はだいたい紀元後のものらしく、写真は遺跡の中心的建造物ジムナジウム(屋内運動場だと思う)。




ジムナジウムを近くから。




モザイクの残る床(シナゴーグの床だと思う)越しにジムナジウムを撮ってみた。




ジムナジウムの裏手(内側)だったか?




野花が咲き乱れ春爛漫という感じ。




シナゴーグ。




商店街跡か?




何の遺構か?




こんなのどかな田舎の村に隣接している。少し離れた場所にかなり巨大なアルテミス神殿跡があるらしいが、それは見落とした。



1時間余りの滞在後、遺跡を後にしてイズミルに戻った。

自分はトルコ航空オフィスに行き、21時45分発のイスタンブール行きの航空券を確保。

一方、Kさんはイスタンブール行きの夜行バスのチケットを確保。(正直なところ夜行バスを付き合う元気はなかったのだと思う)

Kさんとは、翌日、イスタンブールのボスポラスクルーズの乗り場のところで待ち合わせることにして、夕食後に分かれた。

イスタンブール行きの飛行機は25分遅れて出発。イスタンブールに到着したのは11時20分。空港からはすっかり定宿となったホテルへタクシーで移動。

23時50分、ホテル到着。満室だったらどうしようという考えはまったくなかったのだと思う(なじみのホテルなので何とかしてくれると考えていたのか)。ネットで予約しておくことが多くなった今(2020年4月にこれを書いている)となっては不思議な感じ。



<9日目>
エミノニュにあるボスポラスクルーズの乗り場へ向かう。
Kさんは、ホテルで一緒になったNさんを連れて現れたが、待ち合わせ場所がよくわからなかったのか(メモがないので不明)うまく落ち合えず、クルーズ船を逃してしまった。

仕方がないのでバスでクルーズ船を追い、サリエールでつかまえる作戦に。

エミノニュからもサリエール行きのバスがありそうだったが見つけられず、タクシムに移動してそこからサリエール行きのバスに乗車。

詳細なメモがないのでよくわからないが、サリエールでクルーズ船を捕まえられたのか、別の船に乗ったのかはわからないが、とりあえず対岸のアナドル・カヴァに渡り、そこで昼食。

アナドル・カヴァからはクルーズ船でエミノニュまで遊覧。(このクルーズ船には前年乗ったばかりなので、景色も目新しさを感じなかったためか、1枚も写真を撮っていない。デジカメを使っていてフィルムの残りを気にしなくてもよい現在だったらどんどん撮ったのだろうけれど。とても天気が良かった記憶があるので少し残念なことをした。)

エミノニュ到着後のメモがまったくないのだが、一人旅のNさんが「何人かでわいわい食事するのは楽しいが、別れた後はどっと寂しくなる」と言っていたのがなぜか記憶に残っているので、夕食までは3人で過ごしたのだと思う。



<10日目>
この日は、15時55分のフライトでロンドンに飛ぶことになっている。ということで観光する時間が少しとれるので、まだ行ったことのなかったカーリエ博物館を訪れた。



カーリエ博物館。ここはもともとは5世紀初めに修道院として建設されたところで、オスマントルコ時代はモスクとして利用されていた。13~14世紀に描かれたモザイク画は漆喰で塗りつぶされていたが、20世紀に発見されて補修され現在のようになった。













モザイクだけではなくフレスコ画もある。



11時すぎ、いったんホテルに戻り荷物を受け取り空港へ。当時は意外とバスの本数が少なくて12時までバスがなく、トルコ人3人とタクシーをシェアして空港へ向かった(そんなこと=地元民とのタクシーのシェアなんかしていたんだ自分、と意外に思う)。

15時55分発の英国航空便は定刻通り出発し、17時5分、ほぼ定刻でロンドン到着。

例によってこの日のホテルの予約はない。

空港のホテル案内でラッセルスクエア近辺のホテルを確保。ホテル案内のカウンターの人はフレンドリーでいい感じ(何となくイギリスはトルコなどと違って機械的な対応をされると思っていたが、先入観が強すぎたと思う、反省)