プリエネで日本人旅行者に拾われる

<7日目>
この日はプリエネ、ミレトス、ディディムという、このあたりの主だった遺跡を巡る予定。
公共交通のみでは1日で3カ所をめぐるのは難しそうな感じだが、なるようになるだろうという感じで出発。

まずは一番アクセスしやすそうなプリエネへ向かう。
クシャダスからショケへ移動し、そこで乗り換え。利用したのはドルムシュだったのか、それともミニバスか? メモには、クシャダスを8時半に出発、9時すぎショケ到着、9時15分にショケを出て10時頃プリエネに着いたとある。



プリエネのアテナ神殿跡(紀元前4~2世紀の間に建造された)。プリエネは碁盤の目状の整然とした街並みで知られる遺跡。




崩壊した柱の石材がゴロゴロと転がっている様子が個人的には好き。




劇場。




劇場の客席の最前列には身分の高い人用のひじ掛けつきの立派な椅子が。舞台から近すぎて見にくいのではとも思うが。




遺跡内を歩いていると、座席が直線的に並んでいる場所が目に入った。座席配置の形状からみると劇場ではなさそうだ。




直線的に座席が並んでいるところに行ってみると、こんな感じだった。後から調べてみると議場であるとのこと。写っているのは地元の学生グループか何かだろうか?




上のグループが移動するのを待って1枚。




プリエネは高台に位置する。確かこの写真に写っている小道みたいなところを下って行くとバス(ドルムシュ)が走っている道路に出たのではないか?



プリエネを一通り見たあと、バス(ドルムシュ)を捕まえるため道路に向かって遺跡から下って行くと、後ろの方から確か「すいませ~ん」と声をかけられた。

タクシーをチャーターして回っているが、この後一緒にどうかというお誘いだった。

この後はミレトス、ディディムへ行くとのことで目的地は一緒だ。ミレトス、ディディムと回ることができるかどうか微妙な感じだったので渡りに船である。同乗させてもらうことにした。

彼ら(HさんとKさん)はそれぞれ一人旅だがセルチュクのペンションで一緒になり、交通が不便なのでタクシーをチャーターしたとのこと。

ところで、ここで衝撃の事実を知る。この日から夏時間に移行したというではないか。そんなこと事前に調べておけよという感じだが、けっこう無頓着なのだ。そういえば、以前、同じトルコで夏時間に移行したことを知らずに、船を逃してしまったことがある(バスがあるルートだったので移動上の問題は発生しなかったが海上からの眺めが楽しめなかったので痛恨のミスだった)。

ということはメモにある8時半にクシャダスを出発というのは、実際には9時半ということか? それともメモを書いたのは、その日の夜で修正した時刻なのか?

メモには12時にプリエネを出たとあり、プリエネには2時間ほどいたことになっている。それくらいいたような感じもするので、メモに書いた時刻は夏時間補正をしたものか?

12時半ミレトス(ミレト)到着。ミレトスはこの日の訪問予定地のなかでは一番交通の便の悪いところだったので、タクシーに便乗させてもらい、本当に助かった。



ミレトスの劇場(紀元前4世紀創建、紀元前2世紀に大改築され現在残るような規模になったとか)。古代、この劇場の真下に港があり「劇場の港」と呼ばれたとか(現在海岸線は移動してしまい海に近い遺跡という感じはまったない)。ところで、ミレトスは「万物の根源は水である」と言ったターレスの出身地として有名だが、観光地としてはけっこう地味な存在。




野花が咲き乱れ「春」という感じ。







白い細かい模様は花。




アゴラのあたりか?




古代の水洗トイレ(だと思う)。



14時半、ミレトスを出発し、15時、ディディム着。



ディディムのアポロン神殿。ギリシャのデルフォイと並ぶ神託の地として栄えたとか。現在見られる神殿の遺構じゃローマのハドリアヌス帝の時代に改修されたものだが、かなり巨大。







ディディムの写真では必ずといってよいほど紹介されるメドゥーサの首のレリーフ。メドゥーサはギリシャ神話に出て来る魔女で、その目で正視されると人間は石になると恐れられたという存在。現在は遺跡の入口あたりに置かれているが、もともとはアポロン神殿に入って来る邪気払いのため神殿正面入口の梁に飾られていたとのこと。




逆光だけれど神殿の威容がうかがわるので別方向からの写真も1枚。



16時45分ころディディムを出発、18時45分ころセルチュク到着(残念ながらタクシーのチャーター料金のメモはない)。

Hさん、Kさんと別れ、クシャダスに戻る。


          

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