<目次>
 1.武装強盗団の恐怖…このページ
 2.フンジェラーブ峠越え
 3.カシュガルからウルムチまでタクシーを雇う
 4.張掖の大涅槃仏と炳霊寺の石窟、そして北京の天壇
 

  武装強盗団の恐怖

1991年6月のある日、僕は仕事関係者に「秋には会えないかもしれない」と言って笑われてしまった。どうして「秋には会えないかもしれない」と言ったのか。それは次のようなわけなのである。

その夏は、中国シルクロードへパキスタンからフンジェラーブ峠を越えて入り、北京から日本へ帰ってくる計画をたてたのだが、パキスタンはなかなか問題の多い国だった。治安の悪さは相当らしく、その年の春、早稲田大学の学生がインダス川を下る冒険旅行の際、身代金目的の誘拐にあっていたし、ガイドブックには、ソ連(現ロシア)製の武器を持ったアフガニスタンからの武装強盗団が横行しており、バスがしばしば襲撃され、一部地域では警察の先導つきで走るとも書いてあった。だから僕も相当の危険を覚悟していて、先程の言葉となったのだ。

僕は、パキスタンの首都イスラマバードからバスでギルギットという街まで行き、そこからフンザを抜け、フンジェラーブ峠越えにかかるつもりだったっが、この武装強盗団の出没する地域は丁度、このイスラマバード(ラーワルピンディー)からギルギットへ行く途中なのだ。昼間に通る分にはそれほど問題はないらしいが、昼間の被害がまったくないわけもでもないらしい。

少々びびってしまった僕は、イスラマバード-ギルギットを飛行機で飛んでしまおうと思い、旅行会社に飛行機の予約を頼んだところ、この区間は現地で買うしかないということだった。後でわかったことなのだが、パキスタンの北部地域の便は天候の関係でフライトがキャンセルされることも多いので、事前の予約はできず、チケットは前日にならないと売り出さないらしいのだ。

確保できた旅行日程は最大18日。これだけの旅程をこなすにはやや無謀なくらい短い。というのは、無事パキスタンを通過できても、中国国内に入ってから順調に移動できるとは限らないからだ。

当時の中国国内は圧倒的に移動手段の数が少なく、チケットが手に入りにくかった。そのことを考えるとパキスタンでぐずぐずしている時間はなく、イスラマバード-ギルギットは飛行機がベストなのだが、すでに書いたように行ってみなければわからないという状況だ。バスだと15~16時間はかかるらしいが、飛行機のチケットが手に入るのを待っているよりは、早くギルギットに着ける。しかし、これは危険ときている。色々考えてはみたもののどうなるものでもない。現地に入ってからの出たとこ勝負だと割り切ることにした。

 8月19日。
パキスタン航空の北京経由イスラマバード行のジャンボ機に搭乗、途中K2峰を見ることもできなかなか楽しいフライトだった。

定刻の7時半に無事イスラマバードに到着したが、すっかり日は暮れていた。

ラワール・ピンディに出る前に、一応翌日のギルギット行きの便の空席の有無の確認をした。もし空いていればチケットも買っておきたいが、国内線のチケットカウンター氏に、「6時の便があり5時から窓口が開いているから明日買え」と言われた。

ラジャーンという名前のタクシーの運ちゃんに紹介されたホテルで1泊。料金はフロントに表示してあり明朗会計。翌朝の出迎えもラジャーンにお願いすることにして部屋に入った。

 8月20日。
4時少し前に起きた。4時25分頃フロントに出て行くとラジャーンはもう来ていた。外はあいにくの雷雨でフロントのお兄さんも、「たぶん今日はギルギット行きは欠航だろう」と言っている。まあそれでもいいだろう。だめならバスにすればいい。怖いが。

4時45分過ぎに空港に着くと、チケット売り場はもう開いていた。「ギルギットに行きたい」と言うと「6時まで待っていろ」と言うが、どうも彼の話す英語がよくわからない。ラジャーンに要領を得ないことを話すと、彼が窓口氏に尋ねてくれ、「もう少し待って飛びそうならチケットを買う、そして中に入って待ち、もし乗れたら(当たり前だが)そのままギルギットまで行ける。」ということだった。もし、だめなら飛行機はあきらめて、バスステーションまでラジャーンに運んでもらうことにした。外はまだ雷雨である。

5時20分頃、ギルギット行きの表示がチェックインになった。どうやら飛ばす気はあるらしい。この段階でチケットを買った。

ラジャーンには色々世話になったのでチップも少しはずんで、ひとまず別れた。しかし、やっぱり飛行機が飛ばなければ、彼の車でバスステーションに行くことになっている。

チェックインカウンターで航空券を見せると、それに何やら書き込まれただけで、搭乗券はくれなかった。ここでラジャーンが「もし乗れなかったたら、俺が出口で待っているから」と言った意味や、窓口氏が「6時まで待て」と言った意味がわかった。6時15分発のその便は6時搭乗受付け締切りで、その段階で乗れるかどうかがわかるということだったのだ。わずか40~50人乗りのプロペラ機だし、そんなにキャンセルが出るとも思えないが、空席待ちは僕を含めて4名いた。どの客の優先順位が上なのかわからないので搭乗受付けカウンターにかじりつくようにして待った。

6時になった。搭乗券の残りは5枚。全員無事乗れる。ラジャーンとももう会えない。予定通りに行けば、もうピンディーに戻ってくることはない。

搭乗待合室に入るとすぐに、「ギルギット行き1時間遅れ」の表示が出た。アナウンスを聞くと、「バッドウエザー(悪天候)」といっている。本当に飛ぶのかと思って心配していると、次第に雨も小降りになり、遠くの山も見えてきた。しかし、有視界飛行なので、まだ安心はできない。本当に天気が回復してくれることを祈る。

7時15分、「ギルギットなんだらかんだら」という、ウルドゥ語(だろう)のアナウンスが流れて、客が動き出した。どうやら飛行機に乗れるようだ。続いて英語の搭乗案内も流れた。これでギルギットに行ける。綱渡りだったが、ラッキーだった。

イスラマバードを飛び立つとすぐに険しい山が見えてきた。そして、ひときわ高い壁が右窓に見えてきた。ナンガーパルバット(8125メートル)らしい。この山のまわりは2000メートル級の山で、この山ひとつだけが突出して高い。飛行機はその山の高度よりはるかに低い所を飛んでいく。これでは、天気が悪いと飛行機が山腹に突っ込む恐れがある。

1時間位で飛行機は高度を下げはじめ、山腹をかすめるようにしながらギルギット空港に着陸した。翼が山にかするのではないかという感覚だった。
     
ホテルを決めるとすぐに街に出た。ギルギットは、山に囲まれた、ギルギット川に沿った細長い街だ。メインストリートには色々な店が並んでいるが、特に特徴的なものもなくいわゆる観光の街という感じではない。ここを訪れる外国人のほとんどは、付近の山々のトレッキングが目的で、団体ツアーが大挙して押し掛けるような街ではない。



ギルギットの街。山に囲まれた何もない街である。イスラム教国だけあって街行く人は男性ばかり。




チャイナセンターの看板をみかけた。中国との行き来が盛んであることをうかがわせた。




パキスタンの乗り合いタクシーである”SUZUKI” SUZUKIの軽トラの荷台を客席にしたもの。 







日本の中古車がそのまま使用されていた。パキスタンでは車は左側走行なので不便はない。




パキスタン独特のデコレートされたバス。パキスタンに来たばかりで珍しくて撮ったものだと思う。




ギルギット川。




ギルギット川畔で出会った子供たち。川畔をさらに歩いていくと川畔の石で囲ってプールのようにした場所があって、そこで子供達が泳いでおり、そのそばの水場では女性たちが洗濯をしていた。子供達が僕に手を振ったのでカメラを向けようとしたが、女性たちは恥ずかしそうに顔を手で隠したり、顔をそむけたりした。イスラム教の戒律が浸透しているようだ。僕はカメラをバッグの中にしまった。ちなみにパキスタンの子供・男性たちは概して写真を撮られるのが好きである。しばしば写真を撮ってくれと声をかけられた(上の子供たちも写真を撮ってくれと近づいてきた))。




ギルギット川にかかる橋。




ギルギットのホテル。冷房はないが天井にファンがついていた。トイレ・シャワー付きでシャワーはちゃんとお湯が出た。この旅では珍しくホテルの部屋の写真を撮っていた(フィルム節約のため撮らないことが多いのだが)。