ヴォルビリス遺跡まで歩く(最後は走った)


<5日目>
このは、まず、ムーレイ・イドリスまで移動して、できればヴォルビリス遺跡へ行く予定。

朝食はホテルでとった(ラマダン期間中であり街中で朝食がとれるという保障がないので朝食を出してくれるレベルのホテルに泊った)。ラマダン期間中ということを考慮してか(昼間食事をとりにくいということ)、いつものことなのかわからないが、パン類の量がかなりのもの(ビッフェ形式ではなかった)。



アシラ駅へ向かう途中、アシラの街の方向を振り返る。




アシラ駅へ向かう道。




アシラ駅。もちろん、この日も道路側の金網の破られた場所から入ったが、一応正面に回って写真を撮っておいた。


11時6分の列車でまずメクネス・アル・アミールへ向かった(メクネス駅は街の中心から離れており、ムーレイ・イドリス行きのグランタクシー乗り場もアル・アミール駅からの方がずっと近く徒歩圏内)。

14時33分ころメクネス・アル・アミールに到着(定刻は14時28分)。

フォアール広場近くからムーレイ・イドリス行きのグランタクシーに乗車。ちなみに、ドライバーは「ムーレイ」ではなく、「ムレイ・イドリス」と言っていた。

運賃は予約してあるホテルからのメールにある通り10ディルハムで、例によって前払い。そして、セダンタイプの車の後部座席に乗ったが、やはり4人を詰め込む。久しぶりのモロッコだが、グランタクシーのこのシステムは変わっていないようだ。しかし、やはり後部座席に4人はきつい。

30分くらいでムーレイ・イドリスの街の入口に到着。

ホテルのホームページにある地図をプリントしたものを頼りにメディナを歩いく。



ムーレイ・イドリスの街も、またちょっとした迷路だが、そんなに複雑ではない。地図をみながら歩いていくと、割と容易にこの日の宿ダール・ザルフォーンの入口に着いた。写真は来た方を振り返って撮ったもの。




道から少し下ったところに入口がある。




宿の入口の方から下ってきた階段を撮った。何かすごい色彩感覚。



宿の中。古い建物を改装してホテルとして利用している。




これもホテル。




自分の泊った部屋。



ウエルカム・ドリンクとしてモロッコでは定番の甘いミント・ティーをいただきながら、ヴォルビリス遺跡へのアクセス情報などを聞き、16時半ころ宿を出た。明日の朝、遺跡見物をするという選択肢もあるが、メクネスのメディナを歩く時間も確保したい。



ホテルのスタッフから「ムーレイ・イドリスの街と谷をはさんで向かい側の道を通ってヴォルビリス遺跡へ行くと、道からの眺めも素晴らしくお勧め」と言われたので、その道を利用。ただし、この道は若干の遠回りで、危なくヴォルビリス遺跡を見物しそこなうところだった。




ヴォルビリス遺跡へ向かう途中。



ヴォルビリス遺跡はローマ時代の都市の遺跡で、前々から行きたいと思っていたのだけれど、アクセスが今一つなので後回しにしていたところ。

この遺跡へ行く公共交通機関はなく、一番メジャーな方法はメクネスでタクシーを雇って、ムーレイ・イドリスとあわせて回るというもの。

しかし、それでは面白くないので、今回はムーレイ・イドリスに泊って、遺跡往復のハイキング・もしくはサイクリングも楽しもうということにした。(ホテルで自転車も貸してくれるらしい)

しかし、相当急な坂があるので、はなからサイクリングはあきらめ徒歩を選択。

17時30分ころ、遺跡まではまだけっこうありそうという場所で、地元の農家のおじさんに声をかけられた。

「ヴォルビリス遺跡に行くのか? なら急げ。遺跡は18時で閉まる。」

夏季は20時くらいまで開いている思っていたので、「エッ?」と思ったが、今はラマダンなのだ。どういうことかというと、さっさと仕事を終わり、家に帰って食事のため日没を待つという生活パターンなので、18時には家路に着きたいということなのだ(と思う)。日没まで観光客に付き合っていては、食事が遅くなりすぎるから。

これはまずい、明日もう一度来ればよいのだが、ここまで歩きてきて遺跡を見ずにホテルに戻るのはもったいない。

で、どうしたのかというと、走りました。

遺跡の入口に着いたのは17時40分くらい。他の観光客は帰り支度。

しかし、入場券売り場へ行くと人がいないではないか。すこしその場にいると、遺跡の係員みたいな人が現れ(チケット担当者ではない)、「後で払えばよい」というようなこと言っている。

もう20分しかないので、小走りで遺跡へ向かった。



遺跡としては、正直いって大したことはなかったが、この周辺の景色と合わせるととても魅力的な遺跡だ。




オリーブオイルを絞る施設らしい。







バジリカ礼拝堂。




カラカラ帝の凱旋門(手前)。






遺跡に入って、すでに20分くらいが経過した。もう遺跡が閉められる時間だ。遺跡の雰囲気は味わうことができたが、この遺跡の見どころの大きい部分のモザイク画を見ていない。上の列柱通りの両側あたりに「〇〇の家」というのが並んでいて、そこにモザイク画が残されているのだが、急ぎで遺跡内を歩いたので、この時点で、実はモザイク画にまで頭が回っていなかったし、もし、モザイクがの存在に気が付いても、『歩き方』はホテルに置いて来てしまったので、どの辺にどんな絵があるのかがわからない。

そんなとき、遺跡を管理する人だろう。制服を着た男性がやってきた。もう時間がないから早く見て出るようにと言いに来たのかと思っていると、こっちへ来い、あれを見よ、この写真を撮れ、という具合に案内を始めた。うーむ、これはガイド料をせしめられるパターンじゃないか。何とか逃げたいが、でも、遺跡を閉める時間になっており、彼に従わなければ出ていくしかないし。

ということで、彼の案内に従うことにした。



こんな感じでモザイク画が残されている。














日時計。植物の茎みたいのを上に置いて「影が見えるか? これで時間がわかる」と説明してくれるが、写真には肝心の影が映らなかった。




フォーラム。




さらに見晴らしの良い場所に案内してくれた。




案内してもらわなければ、ごくごく短時間では見つけられなかった眺めだと思う。夕方になって太陽の光が斜めに当たるようになり良い感じになってきた。本当は夕暮れ間際がよいらしいが。



18時15分すぎ、遺跡を出た。案内をしてくれた彼は、まずありえないことだとは思うが、ただの親切心から案内してくれたのかもしれないので、「サンキュー」と言って、その場から立ち去ろうとすると、やはり、オイオイ、というリアクション。少ないかもと思って50ディルハム(600円くらい)を渡したが、不満そうな表情はなく、すごく良心的ガイド約にあたったというべきか。

ムーレイ・イドリスへの帰り道は、メインロードを選択。
ちなみに、この旅行記の各ページの一番上に配している写真は、ヴォルビリス遺跡から望んだムーレイ・イドリス。

19時半ころ、ムーレイ・イドリスのメイン・スクエアに到着。



ムーレイ・イドリスの街の入口にあたる通り。レストランや商店が並んでいる。




メインスクエア。真ん中に見えるトンネルの入口のようなところからメディナに入っていく。




ムーレイ・イドリスは聖人ムーレイ・イドリスの霊廟を中心とする街で、上の写真は霊廟へと続く通路。異教徒は入ることができないが、入口のところから写真をとることはできる。




ホテルの屋上のテラスからの眺め。テラスが食事の場所になっている。かなり冷え込み寒かったが、毛布を貸してくれた。




外へ食べに出るという選択肢もあったが、ホテルでチキン・タジンを食べた(料理に時間がかかるので、外出する前に注文)。タジンを食べて、モロッコに来たということを実感した。



          

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