ジェノヴァ散歩 2011年4月、東日本大震災・福島第一原発事故の衝撃を受けた後だったが、3月に続き再び海外へ出かけた。旅の計画自体はけっこう早くから立てていたと思う。 地震・津波の被害、原発事故で避難生活を余儀なくされている人々がいるなか、うしろめたさを感じつつ旅に出たことを覚えている(これを書いているのは2022年1月末)。 旅の主たる目的はミラノでサッカー・セリエA、インテルとキエーヴォの試合を観戦すること。 前年、フィレンツェでセリエAの試合を見て、海外でのサッカー観戦もよいものだと思い、長友がインテルに移籍したこともあってミラノへ出かけようと計画した。 試合日程を調べてみると、4月上旬ミラノでインテル対キエーヴォの試合があることがわかった。ミラノ・ダービー(ミラノを本拠地とするACミランとインテルの試合)だったり、相手がユベントスだったりすると当日券の確保は難しいと思われるが、キエーヴォならば大丈夫だろう。 あまり長い旅程はとることができないので、試合の前日ミラノに入り、ミラノで3泊した後、帰国の途につくという旅程を作成した。 例によってJALに囲い込まれているので、ミラノへ直行便でいくという選択肢はなく、成田-パリ、パリ-ミラノ(リナーテ)というルートで行くしかなかった。 成田発は11時05分。出発2時間前までの空港に着くように行くには、ラッシュ時の都内の自宅を出る必要がある。ということで、成田で前泊することにした。 夜中、かなり強い揺れに襲われた。東日本大震災の余震だろう。実は、東日本大震災当日、自分は香港にいて、大きな揺れには合わずに済んだ。帰国後、知り合いたちからは「あの揺れは経験しておくべきだった」とか言われたが、この夜の揺れはかなり大きなものだったので、震災当日の恐怖はいかばかりだったろうかと、あの日、日本にいなかったことは、やはり幸運だったのだろうなあと思った。 <1日目> 大きな揺れでドキドキして、よく眠れぬまま出発の朝を迎えた。 11時5分に成田を出発したJAL便は16時45分(現地時間)パリ・シャルルドゴール空港に到着。18時45分発のミラノ行きの便(エールフランスとJALの共同運航便だったか?)に乗り継ぎ、19時半すぎミラノ・リナーテ空港に到着。空港からはバスでミラノ中央駅まで移動して(所要時間は20分ほどで、リナーテはマルペンサよりミラノ市街に近く便利)、予約しておいた駅近くのホテルにチェックイン。 <2日目> この日はサッカー観戦の日だが、キックオフは18時なので昼間はどこかを観光して時間をつぶさなければならない。 ミラノ市内にはそれほど行きたい場所がなかったので、ジェノヴァに行ってくることにした。 ちなみに荷物は20リットルちょっとのデイパック一つで、カメラはコンデジのみ。デイパックの中に入れておいた折りたたみ可能なショルダーを取り出し、それにデジカメやガイドブックなど必要最小限の荷物を入れてホテルを出た。 ミラノ中央駅から8時発の列車に乗車し、9時45分、ジェノヴァ・プリンチペ駅到着。 ジェノヴァはヴェネツィアと並ぶ海洋共和国として栄えたところで、17~18世紀には全盛期を迎え、街中にはそのころ築かれた豪華な館が残っている。が、16時くらいまでにはミラノに戻らなければならないので、ゆっくり見学している時間はない。今回は街の雰囲気を感じるだけと割り切って歩き出した。
14時19分発の列車でミラノに戻った(16時到着)。 |