インドではマックもカレー味



出発前にもう一観光。最上層が下層階よりも広い造りが印象的なサリーム・スィン・キ・ハヴェーりー。


11時すぎ、ゲストハウスを出発したが、ホテルの人間がバイクでバススタンドまで送ってくれるというが、有料。自分の乗るジョードプル行きのバスは、バスターミナルではなく、道路脇のちょっとした駐車スペースみたいなところから出るらしく、場所がよくわからないので、連れて行ってもらうことにした。50ルピー払ったが、バススタンドは、歩いても5分くらいのところにあり、なんだかとっても損した気分。

バスは12時半出発のはずだったが、12時半ころ、スタンドにやってきたものの、ほぼ満員の乗客を乗せて走り出したのは1時半。まったく、インドである。



1列・2列というゆったりとした座席配置。自分の席は左側の一人席。



座席の上の不思議なスペース。どうみても、ゆったり横になっていく場所だが、ここも座席だった。。。停車するたびに沢山の客が乗車してきて、どんどんこのスペースに入っていったのだ。一人当たりのスペースは相当狭そうだ。おまけに通路にも沢山の乗客。


18時すぎ、ジョードプル市内に入ったかなというところで停車した際、タイヤからものすごい勢いで空気が抜け、近くで立小便をしていた子供がびっくりして、飛び跳ねて逃げた(笑)。

さっそくタイヤの交換作業が始まった。同乗の西洋人客は先をオートリクシャーに乗り換え、市街地へ向かったが、タイヤ交換はかかっても30分くらいなものだろうと思い、席を立たず、タイヤ交換を眺めるインド人乗客たちの様子を眺めていた(空気の抜けたタイヤは僕の座っている側-つまり左側のタイヤだった)。

予想通り、30分弱の停車で出発。

しかし、鉄道駅近くのプライベートバス・スタンドまでは行かず、大分手前で降ろされた。これが普通なのか、スペアタイヤの問題なのか、そのまま修理屋へ行くのか。ということで、僕もリクシャーの世話にならざるを得なかった。



ゲストハウスの部屋。かわいらしいペイントが施されていた。



夜の列車まで時間があるので、街歩きへ。



改めて歩いてみると、ここジョードプルにもレリーフを刻み込んだ建物がけっこうあることに気がついた(通りの右側奥の方)。





ジョードプル駅のプラットホーム。


デリー行きの列車は定刻の19時半に出発し、翌朝、これも定刻の6時半に到着。

この日は23時50分の便で香港へ飛ぶ予定だが、荷物をどこかに預けて一日観光などというパワーはない。ということで、メトロでニューデリーへ移動して、メインバザール界隈のゲストハウスに部屋を取り、シャワーを浴びて一休み。

部屋の窓からは、ホテルの裏手が見えたが、およそ首都の繁華街の裏とは思えない、のどかな雰囲気の住宅街が広がっていた。経済発展が著しいインドだ、いずれ建替えが進んで行くのだろうか。それともこのままなのだろうか。10年後くらいにまた確認してみたくはある。

昼前、ニューデリーの中心の一つ、コンノートプレースに出た。19年前に泊ったインペリアルホテルがどんな感じになっているか見てみたかった。2011年度版の『地球の歩き方』によると、一泊2万ルピー以上ということで、3万円はくだらない宿泊料金らしい。

しかし、いざ、インペリアルホテルの敷地のゲート前まで行ってみると(建物までは少し離れている)、いかにも超高級ホテルのゲートということで、何かとても入りくい雰囲気。19年前、バックパックをかついで飛び込み、レセプションで「部屋はありますか?」と尋ねることができたような雰囲気は(宿泊料金はインドとしては安くはなかったが日本円で5000円くらいだった)、微塵も残っていなかった。

というわけで、インペリアルホテルでの昼食も考えてはいたのだが、結局、マクドナルドへ。
ハンバーガーに挟まれたパテは鶏肉。ヒンズー教における聖なる動物牛は使えないので、これにはそれほど驚かなかったが、何と味付けがカレー味。やはりインドはカレーの国なのである。



午後は、ムガール帝国時代の1639年~49年に、皇帝シャー・ジャハーンによって築かれた砦であるラール・キラー(通称レッド・フォート)へ。奥に見える赤い建物がラール・キラー。しかし、なかなか凄い交通状態だった。



ラーホール門。



正直言って、城内には、自分にとっての見所はなかった。そのなかで目を引いたのがこれ。



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