ウンム・カイスでピクニック気分を味わう

<8日目>
さて、ヨルダンで確保した一日をどう使うか。行こうと思えばぺトラへも行けるが、今回は行ったことのない場所へ行くことにした。候補はサルトとウンム・カイス。サルトはオスマン朝時代に栄えた街で、当時の街並みが残っているという。一方、ウンム・カイスはローマ時代にデカポリスの一員として栄えた都市でゴラン高原を見渡せる立地。結局は、『歩き方』に乗っていた黄色い花が咲き乱れる遺跡の写真と「春はピクニックに最適」というキャプションにひかれて、ウンム・カイスに決定。

ウンム・カイスへ行くには、まず、イルビットに行かなければならない。シャマーリー・バスステーション(ムジャンマ・シャマーリー)までタクシーで移動して、そこからバスで約1時間半、イルビットに到着。しかし、イルビット、それほど大きな街とも思われないのだが、バスターミナルが目的地別に分かれている。それもかなり離れていてバスで移動。

ウンム・カイス方面へ行くバスの出るターミナルで、海外協力隊員の人たちと出会った。あちこちで勤務している人たちが、休日を利用してウンム・カイスまで行くとのこと。総勢8名(うち一人は協力隊員と仕事をしているヨルダン人で日本語ペラペラ、かつ本人曰く「ヨルダン人からもハローと声をかけられる」というアラブの人っぽくない人)。それに僕を加えた9人でウンム・カイス観光をすることになった。






劇場の椅子。背もたれがあるということは貴賓席みたいな席?







花が咲き乱れる遺跡。どうやらベストタイミングの訪問だったよう。















視界がいま一つで、はっきりは映っていないが、何とかガリラヤ湖を見ることができた。「ガリラヤ湖周辺で布教活動を行っていたイエス、ある日悪魔にとりつかれた女性に出会い、その悪魔を豚に乗り移らせたところ、豚が崖を駆け下りて湖に飛び込み頓死した」というガタラの豚の奇跡で知られる湖。かぎかっこ部分は『地球の歩き方』から拝借したのだけれど、豚が”頓死(とんし)”という書き方は、何か狙いましたか? 『歩き方』さん。




あちこちで花が咲いていて、遺跡見物というよりピクニックに来た感じ。













自然の花畑のなかで海外協力隊員の皆さんと記念撮影。


遺跡の中にはレストハウスがあり、のどかな景色を眺めながら協力隊員の皆さんと昼食。一人旅だとこういう機会は少ないが、とても楽しい時間をすごさせていただいた。

協力隊員の皆さんとはイルビットのバスステーションで別れた。

その後、もうひとつのバスステーションに移動。アンマン行きのバスをさがして、一台のバスを指差して、近くの人に「アンマン?」と尋ねると、答えは「ノー」。しかし、バスステーションのオフィシャルな人(?)が、「アンマンか? ならば乗りなさい(と言ったと思う)」と同じバスを指差した。本当か(?)と思ったが、オフィシャルな人のいうことだからといって信用した。しかし、これがいけなかった。行き先はアンマンではなく、アンマンは通るが街の中心には入らず、市街へ行くには乗り換えが必要というものだった。

全然中心部に行く感じがしないので、運転手に尋ねると、「ムジャンマ・シャマーリー? それならここでおりて向こうから別のバスに乗って」と言うではないか。当然、全部アラビア語だから、そういう雰囲気を感じることができたというだけ。

指差されたところまで行って、またその辺の人に声をかけて「ムジャンマ・シャマーリー」を連発して、そこへ行きたいのだということ伝える。バスは比較的簡単に見つけることができたが、けっこう時間をロスしたようで、ムジャンマ・シャマーリーに着き、アブダリ方面へ行くバスに乗って出発を待っていると、イルビットで協力隊員の人の職場に寄ってから帰ると言っていた、アンマン在住の協力隊員のかたの姿が見えた。

しかし、実はこういう面倒くさい移動が好きだったりする。

この夜も昨日に続き夕食をとるためダウンタウンまで行った。

ガイドブックに乗っている有名店でと思ったのだが、軒並み休みでチキン・シュワルマで夕食を済ませ、その後、インターネットカフェへ。ところで、いつ頃からだろうか?ホテルのWifiでインターネットをするようになったのは。

インターネットカフェを出た後、ジュース屋でオレンジジュースを飲んだが、メモには「うまい」と一言。もちろんその場でオレンジを絞ってくれるのだが、メモに味の感想を書くことはめったにないので、よほどおいしかったのだと思う。

ホテルへの帰り道は例によってずっと登り坂。あの坂を歩く日は再びやって来るのだろうか?