サナア-ホデイダ-タイズ

さて、旅程の練り直しである。段々畑を見ることは出発前から決めているが、ルートはどうするか。事前に調べたところでは、タイズのあたりの眺めがなかなかのものらしい。サナアからだと、日帰り、もしくは1泊2日で行けるところである。しかし、北部へ行けなくなったので、日程が余ってしまうことになった。サナア周辺の観光地はもう一度行く気はあまりない。ということで、サナアからいったん紅海沿岸のホデイダに出て、再び山岳地帯に戻ってタイズ・ジブラ(可能ならイッブも)を経由してサナアに戻るというルートを選択することにした。

公共の交通機関で回ることが可能なルートではあるが、段々畑を見るのにはバスや乗り合いタクシーは適さない。ということで、タクシーを雇って回ることにした。治安的にはそれほど問題のある地域ではないが、旅行社の4WD車に乗って、いかにも外国人観光客ですという感じで動くよりは、普通のセダン車で移動した方が危険が少ないという判断もあった。

タクシーは新市街のタージ・シェバホテル前で雇った。前回お世話になったのも、ここを拠点とするタクシーだった。ぱっと見、自分と相性のよさそうなドライバーに声をかけて交渉。料金は1日100ドル。色々聞いたが、サナア-タイズを日帰りする強行軍でも100ドル。ゆるゆるの日程でも100ドルということらしい。相場が今一つよくわからないが、一人で貸切になること、移動距離を考えるとものすごく高いわけでもないので、言い値でお願いすることに。

ところで、イエメン国内の移動は以前とは違って面倒になっていた。あちこちの検問を通る際に、旅行許可証を提出しなければならないのだ。許可証はツーリスト・ポリスで交付してもらわなければならないが、かなりわかりにくいところにあるらしい。幸い、ドライバーが「もう許可証はとったか」聞いたきたので「まだだ」と答えると、「これから行こう」と言ってくれたので、行ってもうらうことに。

結局、ドライバーがすべてをやってくれたが、この分の料金は請求されなかった(許可証発行自体は無料)。



<5日目>
4時ころ、各モスクのアザーン合戦ともいうべき騒々しさにより目を覚ます。
アザーンが静まったあと、もう一眠りしたあと、7時過ぎ起床。

9時ころホデイダへ向け出発。サナアを出るところで、この旅初めての検問。ドライバー氏は例の許可証を渡す(見せるのではなく渡すのである。ということで許可証はかなりの枚数が必要)。



ホデイダへの道から見た段々畑と点在する集落。ドライーバーには段々畑を見るのが目的の一つだと言っておいたので、見晴らしのよいところで、いちいち停車してくれた。










山の頂上部分に集落が見える(写真が不鮮明で岩のように見えるけれどイエメン建築群)。これはたぶんマナハから見たハジャラ。






ホデイダには13時過ぎの到着した。4時間ほどで本日のドライブは終了。これで100ドルは割高だ。途中、マナハあたり山岳集落に寄り道してもよかったかもしれない。

ホデイダの空気は沸騰していた。湿気もものすごい。大気中の水蒸気のせいなのか、青い空は見られず、日差しはそれほどでもないのだが、少し歩くとフラフラする。ということで、ホテルでおとなしくすることに。

しかし、ホデイダまで来たからには紅海は見ておきたい。夕陽がみられそうな時間帯になって外出したが、水蒸気のためか太陽は霞んだままで、奇麗な夕陽は見られず。



ホデイダのホテル。エアコンの電源を入れる前はものすごい暑さで、写真を見るとその時のムアッとした空気を思い出す。床のマットレスみたいなものはお祈りの際に使うもの?




部屋に置かれていた石鹸。イエメンと中国との関係の深さをうかがわせる。




ホデイダ海岸。海岸部にはホームレスが(岩の隙間などに簡単な日よけ兼屋根を設けて暮らしていた)。11年前には見られなかった光景だと思う。海岸に少し手が加えられて住むのに適した空間ができたからなのか? それともこの間、イエメンにも欧米型経済が浸透して格差社会の形成が進んだのか?




<6日目>


朝、ホテルの部屋から外を眺める。




泊ったホテル。




こんな道を進んでいった。




モスク。当たり前といえば当たり前だが、どんな辺鄙なところでも人が住んでいればモスクはある。




紅海沿岸のティハマ地方の伝統的な円錘形の屋根を持つ家。




一つ上の写真とは別の住居。建物をつなぐ壁があって、それに囲前れた中庭のようなものがあるのだろうか(砂嵐とかを避けるためには有効な形だと思うが、ただ思っただけで実際のところは知りません)。







ティハマ地方を走る車からの眺め(mp4=1.9Mb)。



ティハマには世界遺産に登録されているザビードという街があり、ドライバーは寄って行くか? 言うが、前に来たときに行っているし、コーハやモカ(かつてイエメンのコーヒーの積出港として栄えたところ。コーヒーの「モカ」はこの港町に由来する)に寄りたいのでカット。

しかし、車内でコーハ、モカに行きたいというと、ドライバーは難色を示した。貸切車だし、その場、その場の気分で行き先が決められるだろうと思って、大雑把なルートしか伝えなかったのがいけなかった。「コーハやモカは許可証がない」と言うではないか。ドライバー氏の英語も片言なので詳細は理解できなかったが、ザビードなどはルート上にあるので問題ないが、コーハやモカはルートから大きく離れるので、許可証を得る段階で申請しておく必要があるということらしかった。

しかし、コーハには行ってみると言ってくれた。幸いコーハへのルートには検問がなく、椰子が立ち並ぶ静かな村に入っていくことができた。



コーハ。




コーハ。小さな漁村という感じ。奥に見える砂浜みたいなところは、砂嘴か?




コーハ村。






結局、モカへは行けず、13時ころにはタイズに到着。

タイズも前に来たときに観光している。ということでスークや街中を何となく歩くだけで観光終了。



画面の奥の方がスークの入り口(ガビール門)。



タイズは標高1400mで、周囲には峻険な山並みが続いてる。街は斜面に広がっている。




スークのムーサ門。




少し離れたところからムーサ門を撮ってみた。




街のメインストリート。一応歩道もあるのだが、人々は道路に大きくはみ出して歩く。夜店も出ており、日本の祭りの夜のような雰囲気。