サナア(1)

<3日目>
イエメン行きの便の出発は6時半(だったか?)。ということで、4時15分ころチェックアウトして、空港までタクシーを飛ばした。

4時半ころ空港到着。空港に入る際に荷物のX線検査があり、そこをすぎるとすぐにチェックインエリア。

なんの問題もなくチェックインは完了したが、搭乗券に印字された出発時刻はなんと13時10分。チェックイン・カウンターの女性は家に帰って休んで出直してもいいですよと言うが、旅行者なのですよ僕は。ドバイで働いている日本人に見えたか?

空港で時間をつぶすしかない。

13時すぎ、ようやく出発ゲート内にうつり、13時半すぎ出発。


ドバイの空港。



16時、サナア到着。約50分で入国完了。タクシーで市の中心部タハリール広場近くの安宿へ。あいにく表通りに面した一部屋しかあいておらず他をあたろうか迷ったが、結局、面倒になってチェックイン。ドバイで待ちくたびれて、よい宿を捜そうというガッツが湧いてこない。まあ、サナアの喧騒にどっぷりつかるのも悪くないだろうと自分を納得させてチェックイン。



 旧市街と新市街とのあいだの道路(1996年に来た時には建設中だった)。夕食を食べるため出かけた際に撮った写真か?




サナア1泊目のホテル。




<4日目>



1泊目のホテルの部屋から。




同じく1泊目のホテルの部屋から。



チェックアウト後、旧市街のイエメン建築を利用したホテルへ移動。チェックインの際、「日本人か」というので「そうだ」というと、最上階の部屋を用意してくれた。日本人は最上階を好むからということらしかった。



案内された客室(豪華な感じだが1泊20ドルくらい)。実は南側の部屋で非常に日当たりがよく、けっこう暑かった。欧米人は暑さを避けて「上階」にはこだわらず、涼しさを優先しているよう。「見晴らし優先の日本人」の僕は少々の暑さは我慢だ(笑)。まあ、窓を開けるとそれなりに風は通るし、僕は幸いにして暑さには強い。




部屋の外にはサナア旧市街のイエメン建築群が。




窓の外はこんな感じ。




これもホテルの部屋からの眺めか?



荷物を置いた後、さっそく旧市街探訪へ。



泊ったホテル。










泊ったホテルではないが、掲げられている看板に片仮名が。当時、イエメンは日本人旅行者のけっこう人気の目的地だったのだ。







伝統的なイエメン建築の模様は多様で美しく、撮っているときりがないほど。




市場は活気が満ち溢れていた。










あてずっぽうに歩いているうちに一度旧市街から出てしまい、歩いているうちにイエメン門の前に出た。




イエメン門の前を通り、城壁に沿って旧市街の南側を歩いていくと、ワジを道路にした部分に出た(旧市街の西側に立派なワジ・ロードが通っている)。




こちらは1996年3月に撮影した建設中のワジ・ロード。




昔ながらのイエメン建築群と近代的な道路が対照的。




サルタというイエメン料理。熱々、ピリ辛のスープだが、左側の小鉢は何だったか?







泊ったホテルの写真をもう1枚。



さて、旧市街探訪は適当なところで切り上げて、やらなければならないことがある。今回の旅の目的その1、緑の段々畑を見ること。その2、前回は観光客には開かれていなかった北部のシャハラへ行くこと。あちこちにある段々畑には、車を雇えば比較的容易に行けることがわかっているが、問題は後者だ。前回の旅では、サナアで出会った日本人が「そこは写真だけで我慢しておきなさい」と旅行社で言われたという場所。

イエメンは部族社会で反政府部族が活動を活発化させると、その地域の治安が悪化する。反政府勢力は政府への嫌がらせや、交渉材料として外国人観光客の誘拐を行うこともあり、本当に危なくなる場合がしばしばあるのだ。これに最近ではアルカイダ系のグループの活動も加わり、観光はいろいろと制約をともなう。サナアの街を歩いている限りは、緊張感は微塵も感じられないのだが。

結局、シャハラには行けないということがわかり、ホテルに戻って旅程を練り直すことに。。。