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アテネ・オリンピック1 約3時間半の街歩きのあと、少し早いがフェリー乗り場へ向かった。すでに乗船が始まっており、すぐに乗船した。
17時、定刻通り出航。これからいくつかの島々に寄港しながら、アテネのピレウス港に向かう。 船の座席はリクライニングの角度は深いものの、あまり快適とはいえない。翌日の朝9時までの約16時間の船旅はかなり疲れそうだ。 当たり前のことだが、島が沢山ある地中海といえども、景色はめまぐるしく変わるわけではない。かなり退屈だ。船中を探訪してみるが、それほど大きくはない船なのであっという間に終わってしまう。仕方がないので、港で買い込んだパンをかじってを寝ることにした。 夜になると、隣の船室から乗客の大きな歓声と拍手が聞こえてきた。起きていってみると、オリンピックの重量挙げのテレビ中継が流されており、ギリシャの選手が活躍しているようだった。しかし、席はいっぱいでゆっくり見られない感じなので、また自分の席にもどり寝た。 深夜、気がつくと、テレビが置かれていないせいもあってか、やや空席のあった自分の船室もほぼ満席になっていた。
8月22日 9時30分、定刻より30分遅れでピレウス港に到着。9時55分に下船。他の乗客は、すぐに歩き出さずに日よけのあるところに固まってたっている。おそらく港の出口と連絡するバスでも待っているのだろうが、昔、ミコノス島に行ったときは、フェリーの乗下船口へは歩いていった記憶があるし、一部のバックパッカーも出口と思われる方向に歩き出している。歩いても10分かそこらの距離だろうから、満員のバスに乗るよりはいいと思い、自分も歩き出した。しかし、これが失敗であった。地下鉄のピレウス駅まで30分も要したのだ。どうやら、ピレウスの港のシステムは昔とは全然違うものになったようだ。何も調べずに来るとこういうことになる。 10時半頃の地下鉄で勝手知ったるアテネ観光の中心プラカ地区に近いモナスティラキまで出た。さっそくホテル探しだ。この日はあいにくの日曜日で、日本人が経営する信用のおける旅行会社が休みだし、全体に営業している旅行会社が少ない。ということで、とりあえず手当たり次第にホテルに入り、部屋がないか聞いてみることにした。7~8軒訪ねたがいずれも満室で、一箇所だけ「明日なら空室がある」とのことだった。さらに歩く範囲をひろげ、あるホテルのフロントで部屋はあるかと尋ねると、「うちは空いてない。最低150ユーロはするが、それでよければ紹介できる」といわれ旅行会社に連れて行かれた。 旅行会社のおじさんは随分と愛想がよく、オモニア広場の近くで1泊180ユーロのホテルが空いているという。これで宿無しにならずにすんだと思ったが、クレジットカード払いは駄目というではないか(ホテルが現金支払いを要求しているのだという)。EU域内の旅行会社でクレジットカード払い不可なんてありえない。何か怪しい。さらに怪しいことに途中で別の客がやってきて、ろくに会話もせずに、「ツイン一部屋ね。OK。」とか答えている。この客はサクラか? 超安宿のなかにはクレジット払いは不可というホテルもあり得るが、とんでもなく酷い安宿がオリンピックに便乗して1泊180ユーロで泊らせようとしているのだろうか? 疑いのスパイラルに陥ってしまった。 当時、アテネには悪徳旅行会社もあるやに聞いていたので、結局、別の旅行会社にも聞いてみると言って、そこは出ることにした。すると、その旅行会社のおじさんは、もういい、何も紹介できない、勝手にしろという態度に変わった。もしかしたら悪徳旅行会社にひっかからずにすんだのかもしれない。 次に行ったところでも部屋があるといわれた。1泊190ユーロと、さっきのところよりちょっと高いが、対応はずっとよかったので、すぐにお願いすることにした。もちろんクレジットカードでの支払いもOKであった。プラカに来てから1時間半弱でホテルを確保できた。まずは順調である。 時計は12時を指していたが、そういえば朝から何も食べていない。昼食は、ポーク・スブラキ(シシカバブの豚肉版)を食べた。豚肉にイスラム圏外に出たことを実感した。 ホテルに行ってみると最近改装したようでとても綺麗だった。部屋に2003年の料金表が貼ってあったが、それによると前年の夏季料金は80ユーロとだった。 ホテルで一休みしたあと競技のチケットを入手すべく外出した。 日曜日のためかチケット販売窓口が限られており、行ってみると長い列。列のそばではチケットの束を持った人が列に並んでいる人たちにさかんに声をかけている。どうせダフ屋だろうと思って相手にはせず、約1時間並んで、翌日の女子レスリングのチケットを入手した。「ファイナル」と言って買ったのだが、午前中のチケットで、後でプラカに出て日程を確認すると、午前中の試合はセミファイナルで、決勝と3位決定戦は夜だった。言葉が通じていなかったのか? それとも決勝は売りけれだったのか? ちなみに女子レスリングを選択したのは、日本選手の活躍が期待できたのと、選手以上に注目されていた(?)選手の父親にちょっと興味があったことが理由。 さっきはオフィシャルの窓口でチケットを購入したのだが(オフィシャルの窓口でしか買えないと思っていたので)、プラカを歩いていると、いたるところでチケットを売っていた。高く売っているのかと思ったが、その逆で安く売っているのだ。女子レスリング決勝のチケットもちゃんと売られていて、60ユーロのチケットを40ユーロで手に入れることができた。さっきの正規販売所にいたチケット売りもダフ屋ではなく、余ったチケットを売りさばこうという人だったようだ。
18時すぎ、早めの夕食をとり、今日の最大の目的、女子マラソンを見るべく、ゴールのパナシナイコ・スタジアムの方へ行った。スタジアムに入る直前の沿道から見ようというわけである。 19時ころ、よい観覧場所を確保。スタートは18時だから、1時間半弱で選手たちがやって来るはずである。かなり長い時間だが、幸いアテネ在住の日本人の方と一緒になり、退屈せずに時間をすごすことができた。日本人夫妻は携帯用のテレビも持っており、野口選手がトップを走っていることも確認できた。
20時25分ころ、野口選手がトップで目の前を走っていった。そのままトップでゴールしたことは日本人氏の携帯テレビで確認。
僕らのそばにもたくさんの日本人がいたが、日本の選手が通過すると、あっという間に姿を消してしまった。 野口選手のあとを追いかけるように、野口応援団と思われる一団が僕の前の人ごみを通っていった。その中に、この人応援団?という人もいたが、病気でアテネに来られなかった長嶋氏に代わって来たとうプリティ長嶋氏だった(このことは一緒にいた日本人氏に教えてもらった)。 21時少し前、日本人夫妻とお別れ。通過する選手がほとんどいなくなったので、僕もその場を離れた。帰り道、パナシナイコ・スタジアムの前を通ったが、まだ熱闘の余韻が残っていた。
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