クロアチア~イタリア~ギリシャ

<6日目(3月6日)>
前日の夜(メモがないので時刻は不明)ドブロブニクを出たフェリーは、7時45分ころバーリ到着(下船は8時10分ころ)。

軽い朝食をとり、チケットカウンターがあくのを待って、バーリからギリシャのイグメニッツァまでのフェリーチケットを購入。

さて、これからどうするか? 何も決めていない。乗船時刻の17時までバーリ市内をブラブラするのはもったいないので、一度訪問したことはあるが、アルベロベッロかマルチナフランカあたりへ行こうかと思い、とりあえずバーリ駅へ向かうことにした。

円錐形の屋根を持つトゥルッリという住居が並ぶアルベロベッロは、以前行ったときは天気が今ひとつだったし、その時ついでに行ったマルチナフランカは、今ひとつの天気に加え、昼休み時だったせいか、まるでゴーストタウンのようであった。それでもう一度行ってみようというわけである。

9時すぎ、地図をみるとそれほどの距離でもなさそうなので、バーリ駅に向かって歩き出した。ゆっくり歩いて30分でバーリ駅に着いた。

国鉄駅で荷物を預け、さっそくアルベロベッロへ向かうホームへ行って(こちらは私鉄)、列車の時刻を確認すると、どうもアルベロベッロまで行ってしまうと、船の時間に間に合わないということがわかった(マルチナフランカも同様)。列車の本数が少ないのだ。どうすべきか迷った結果、サッシと呼ばれる洞穴住居が並ぶ街、マテーラなら行けるかもと思い、今度は、そちらへ向かう私鉄駅(バーリ北駅)へ行った。時刻表を見ると、バーリ、マテーラ間は所要1時間半、列車本数も比較的多い。そこで、マテーラへ向かうことにした。

昼過ぎマテーラ到着。しかし、サッシの並ぶ街をズーっと歩いて回る時間はない。16時半にはバーリ港に着いておきたいので、14時すぎの列車に乗らなければならない。結局、サッシ群を見渡すことのできる箇所から街を眺めて、駅に戻ることにした。



マテーラのサッシ群(斜面に広がる普通の町並みに見えるが)。










バーリに戻り、港まで行く途中、旧市街を歩いた。写真はサン・ニコラ教会(だったと思う)。余計な装飾がなく、すっきりした感じが好ましく感じられた。




バーリから乗った船は巨大かつピカピカであった。僕はこの日もキャビン。シャワー・トイレ付の4人部屋(上段のベッドは折りたたまれていて、ツインルームという感じ。料金は86ユーロ)。




<7日目(3月7日)>
6時、まだ真っ暗なイグメニッツァに到着。船はパトラ行きだが、ここからの方が、次の目的地デルフィに近そうということで、イグメニッツァまでのチケットを購入したのだ。

イグメニッツァで降りた観光客は僕一人。港のイミグレは開いていない。車・トラックはどんどん走り去って行くので、入国の手続きは不要なのだろうが、なんのチェックも受けずにギリシア旅行を開始していいのかと若干不安になるが、考えてみるとイタリア、ギリシャともにシェンゲン条約の加盟国なので問題はないのだ。

ところで、ガイドブックにはイグメニッツァの地図は載っていない。街はまだ深い眠りの中にあり、静まり返っていて、バスターミナルの場所を尋ねるべき人もいない。しかし、適当に歩いて行くと、すぐに街の中心部に出、幸いパン屋が開店の準備をしていたので、バスターミナルの場所を尋ねた。同じ通りに面したすぐ先だという。バスターミナルが市街から近いとは限らないので、近くにあって助かった。

行ってみると、ターミナルとはいえないような本当に小さな発着所であった。
 チケット売り場で、デルフィに行きたいというと(英語はあまり通じなかった)、8時半のバスに乗り、パトラ近くのRIOという所で乗り換えになるという。しまった船でパトラまで行けばよかった。しかし、もう後の祭りである。



イグメニッツァ。写真はバス・ステーションか?



8時半、バスは出発。陸路だから割と早く乗り換え地点に着くだろうと思っていると、道は海岸線を丁寧にトレースするように通っており、つまり曲がりくねっており、どんどん時間が経過していく。今日中のデルフィ到着は無理かなと思い出す。さらに、途中、ものを通路に落としたので肘掛に胸をあてながら、無理やり拾おうとしたが、これがいけなかった。旅行中、どんどん胸の痛みが増していったのだが、帰国後医者に行くと肋軟骨骨折と診断された。思えばちょっと体重をかけすぎた。横着せず、立ち上がって拾えばよかった(しかし、何を落としたのかは忘れてしまった)。

14時40分、RIO到着。しかし、ただの道の分岐点のようなところではないか。一応、降りて周囲を見回して見るが、言葉もわからない一旅行者がスムーズに乗り換えできるような場所ではない。おまけにもう15時近い。これは予定を変更して、アテネに行った方がよい。そう思いいったん降りたバスに再び飛び乗った。

17時少しすぎアテネ到着。市バスでアテネで一番旅行者が集まる、アクロポリスの麓にあるプラカ地区の近くまで行き、ホテルに入った。