フェズ

3月7日、9時半ころホテルを後にした。できれば今日中にフェズに着きたい。バスの時刻は調べていないが、おそらくグランタクシーを乗り継いでいけば、なんとかなるだろう。

エルラシディアへ行くグランタクシーには、すでに客が集まっており、9時40分には出発。順調だ。10時40分、エルラシディア到着。ここもわずか20分の待ち時間で出発。12時50分、ミデルト到着。ここで少し待ち時間があった。グランタクシー乗り場には客待ちの車はなく、車を求める客もいなかった。バスターミナルに行ってみたが、こちらもしばらくは便がない模様。しかたがないので、長期戦を覚悟して昼食をとった。

昼食時間のため、タクシーも客もいなかったのか、結局、ミデルトを出発したのは14時50分。車は猛スピードで走り、あっという間にアトラスを越え、15時半ころアズルー到着。ここでは、30分弱の待ち時間で客が集まり、16時少し前に出発、17時15分ころ、フェズに着いた。ちょっと順調すぎという感じ。

車を降りたとたん、やけに上手な日本語を話すモロッコ人男性につかまった。奥さんが日本人だとか言っているが、本当なのかどうかは不明。「日本人とコネクションを持ちたいんだ」としつこく話しかけてきたが、面倒なので無視。

フェズでは、大奮発してパレ・ジャメイに泊ろうかと思っていたので、その男を振り切ってタクシーをつかまえて、窓から「パレ・ジャメイ」というと、その男があとから着いてきて、「最近、火事になり休業中だ」というではないか? しかし、この男のいうことは、信用できない。

タクシーの運ちゃんには英語は通じず、ホテルの名前をもう一度言って、身振りで営業しているかどうか尋ねたところ、どうも運ちゃんも「営業していない」と言っている感じだ。しかたがないので、その男を振り切って、近くのホテルにチェックインした。

フェズの最大の目的はメディナ探訪であるが、91年の春は、自称学生の2人組につかまり、一応有名どころは見て回ったが、どこをどう歩いたのかまったくわからない状態。おまけにマラケシュの自称学生とは違い、こちらの自称学生は、一通り見て回ったあと、最初「報酬はいらない。自分たちは外国人に親切にしたいだけなんだ」と言っておきながら、「何か俺たちにお礼をしたくなっただろう」と言い出すしまつ。煙草を買ってやると、やっと離れてくれた。

それで、今回は自力で歩くことが第一の目標である。ガイドブックの説明だけでは物足りないので、珍しく『迷宮都市モロッコを歩く(今村文明、NTT出版)』という本でメディナの構造について予習していった(一部コピーして行った)。

フェズのメディナ探訪も、主要な箇所だけではあるが、自分のものにして終了。十分満足した。



メディナの入口、ブー・ジェルード門。門をくぐると早速ガイド(政府公認のガイド)が案内すると寄ってきたが、これは断るとあっさり離れてくれ、しつこくついてくる自称ガイドもいなかった。91年とは大違いだった。





91年撮影。



ネジャリーン・フンドーク(フンドークは生産・加工・売買・宿泊・家畜置き場などの複合商業施設)。



ネジャリーン・フンドークの上の方の階から見たネジャリーン広場。ご覧の通り「広場」とはいうものの広場ではない。



カラウィーンモスク。増築に増築を重ねた結果、北アフリカ最大のモスクになったとのこと。メディナから中が見える(モロッコでは異教徒はモスクの中に入ることができない)。



カラウィーンモスク。


アッターリンのメデルサ(神学校)。14世紀創建。壁面の繊細な彫刻が見もの。



メルズーガの砂丘に近づくにつれて、車は道なき道を進んで行った。


メディナ内の荷物運搬役は馬やロバ。商店の並ぶ道をはずれると、途端に人通りが少なくなり、確実に迷子になるので(人の流れに乗って歩くということができなくなるので)、深入りは避けた。



2時間余りメディナ内を迷いつつ歩いたあと、メイン・ストリートから脇道に入ったところに出ていたレストランの案内板(矢印)にしたがって、そのレストランに行ってみた。当時のメモには「Palas Vizir」とあるが、これがレストランの名なのかどうかは、記憶が定かではない(入り口の上にある白いプレートには、フェズの典型的なレストランとあるだけで、店名は記されていない)。大学(たぶん神学校)の教授の邸宅だったところを改造したもので、迷路の中にこのような大きな邸宅があったのかと思わせる建物だった。チキンを食べたが、ロースト(だったと思う)したチキンの上に、よーく炒めて甘くなった玉ねぎをかけてあるもので、とても旨かった。サラダ、メイン、コーラ、食後のミント・ティーでしめて216ディラハム(税込み)。別の部屋はカーペット屋になっており、「見ていかないか」と誘われたので、「見るだけ」と言って、のぞいた。この時、この建物がどのような建物なのかの説明を受けた。しかし、しつこいセールスは一切なし。「それでは、どうもありがとう」というと、あっさり解放してくれた。



なめし皮の染色場(タンネリ)。





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