バクー(アゼルバイジャン)

8月23日。
7時半にチェックアウト。乗り合いタクシーでバスターミナルへ移動。タシケントへは普通のバスでの移動となるだろうと思っていたが、個人経営なのだろうかミニバス(ワゴン車を利用したもの)が頻繁に出ているようだった。

ミニバスのそばまで行って聞くと、タシケント行きだというので乗ることにする。9時少し前に出発。ミニバスは快調に飛ばしていく。しかし、1時間半ほど走ったところで故障。どうなることかと思ったが、想像以上に多くのミニバスが走っており、ミニバスをチェンジしてタシケントへ向かうことができた。乗り換えに要した時間は1時間に満たなかった。

1時半すぎタシケント到着。しかし、タシケントのどこに着いたのか皆目見当がつかない。幸い、ミニバスに同乗していたウズベク人の若者が少しだけ英語を話したので世話になることができた。ミニバスを降りた場所はメトロの駅のすぐそばであった。


8月24日。この日はバクーへ移動する日である。出発は2時半ころ(だったと思う)で、若干時間がある。手持ちのドル・キャッシュが少なくなってきたので、ドルT/Cをキャッシュに代えるために銀行へ行った。例によって移動は地下鉄だが、ティムール広場駅で警察に呼び止められてしまった。ついに来たかという感じである。ガイドブックには地下鉄駅などで警察の取調べがかなり行われていると書かれており、覚悟はしていたのだが、小さな荷物しか持たずホテルと中心部を往復するだけだと目をつけられない感じだった。しかし、バックパックをかついで移動していると目立ったようで、ついに声をかけられてしまった。駅の構内での簡単な職務質問だけかとたかをくくっていたが、しっかし別室へ連れて行かれた。部屋には警官2人と僕の3人。パスポートはもちろん、荷物は隅から隅まで調べられた。ガイドブックによると、何かケチをつけられるところを見つけ出して、賄賂を要求するのだという。幸い向こうがつけいる隙がなかったようで無罪放免。しかし、ちょっと緊張する時間だった。

予定通りドルキャッシュを手に入れ、空港へ向かった。バクーまでの便はエコノミーが満席だったためビジネスクラスである。立派なラウンジが容易されていた。

14時10分すぎエアコン付のバスで機内に案内される(エコノミー客用のバスとは違うバスであった)。

飛行機はなかなか動き出さなかったが、14時55分、いよいよ滑走路を走りだした。ところがである、もう離陸というところで急ブレーキ。故障のようであった。15時半に飛行機を降ろされ、ターミナルビルへ戻された。今日のフライトはキャンセルなのだろうか、と思っていると、17時半、出発できることがわかった。

バスで搭乗機に案内されているが、機材が変更されていた。席はエコノミーのみで、ビジネスクラスの客は客室乗務員に激しく文句を言っている。僕はこの日バクーへ移動できるだけでラッキーと思っていた。

18時、いよいよ離陸というところでまた停止。また故障か? 今度こそフライトキャンセルだな、と思っていると、急病人が発生したとのこと。滑走路に出る前に気づけよという感じ。まったくヤレヤレである。

18時45分、ようやく離陸。機材はアエロフロートから引き継いだもののようで、何か長距離バスという雰囲気がただよう代物だった。

21時15分、バクー着陸。バクーに着けたのはいいが、遅くなってしまった。初めての国にこんな時間に着きたくはなかったのだが。ビザの問題もあるし、市内への移動の心配もあるし。

さて、入国審査である。ビザはもっていないが、ビザなしの場合、空港でパスポートを預けて預り証を受け取り、翌日バクー市内の外務省のビザオフィス(オヴィール)へ行ってビザの取得の手続きをすればよいということになっている(99年当時のことで現在はわかりません)。係官はパスポートを見てビザがないとわかると、すぐに預り証をくれて、「明日11時にビザオフィスへ行きなさい」と言った。

22時10分すぎに仮入国完了。空港ロビーの出るとさっそくタクシーの客引きに声をかけられた。しかし、空港から市内へのタクシーの相場がわからない。昼間ならばバスという選択肢もあったかもしれないが、高い料金をふっかけてくるドライバーとの攻防が必要である。

声をかけてきたドライバーらしき人間が二人。一人が20ドルを提示。もう一人はもう少し高かったような。そこでいうまでもなく安い方のドライバーを選択。しかし、車のところへいくと、さっき自分をめぐって争っていたもう一人のドライバー(と思われた人間)が助手席に乗ってくるではないか。やられてしまった。客の前で芝居をうつというかなり古典的な方法の白タクにひっかかってしまったのだ。どこまで料金を吊り上げてくるか?

さらに、後悔したことには、ちゃんとしたタクシーが発達しているではないか、バクーでは。頭には、最初に中央アジアへ来たとき、同じ夜遅くに到着したカザフスタンのアルマトイの空港のイメージしかなかったのだ。きちんとしたタクシーがあることを知っていれば、空港ビルを一回りしてタクシー乗り場をさがしただろうに。しかし、そう考えたところで後の祭りである。この白タクで行くしかない。幸い、パスポートは入国審査のところで預けているから、パスポートまで取られてしまうという最悪のケースは避けられた。

で、料金だが、車が走り出すと「20じゃなく30ドルだよ」と言ってきた。一瞬耳を疑った。実に良心的な白タクではないか? ここで言い争っても仕方がないので、あっさり承知して、アゼルバイジャン・ホテルへ行ってもらった。一応高級ホテルである。

もちろん予約はなかったが、無事チェックインを済ませ部屋に落ち着くと、チェックインの応対をしてくれたおじさん(ホテルマンと呼べるような感じの人ではなく、服装は普段着)から「もう一人日本人が泊っていて日本人と会いたがっているから会いに来い」という電話。長旅の日本人が日本人に会いたがっているのかなと思い、彼の執務室みたいなところに行ってみると、その日本人のところに電話をかけてくれて、会うことになった。会ってみると、ヒヴァのホテルで一緒だった日本人の一人だった。トルクメニスタンからカスピ海を渡ってバクーに来たのだという。別に彼も日本人に会いたがっていたわけではなく、ホテルのおじさんが勝手に日本人同士会わそうとしたのだということがわかった。かなり余計なお節介だったが、僕の部屋で、ヒヴァ以降のことや、この後の旅の話などをして別れた。

8月25日。
11時にオヴィールに行かなければならないので、朝はホテルのまわりと少し散歩するだけにした。

ホテルのすぐそばがカスピ海で、海岸というか湖岸を歩いた。ここを船で渡って来たかったが。。。遠くに油井が見える(このページの一番上の写真に油井が見られますーかなり不鮮明ですが)。昔、地理で習ったバクー油田のことを思い出した。

10時40分ころオヴィールに行って並ぶ。11時くらいから受付が始まり、手続きはすんなり終わったが、「17時に来い」と言われる。その場でビザ発行とはならないのである。

さて、この先の旅である。アゼルバイジャンから陸路、グルジア、そしてトルコへというルートも考えたが、ただ移動するだけの旅になりそうだ。以前は、ただ移動するだけの旅もしたが、せっかくの休暇だし、観光もしたい。ということで、バクーからイスタンブールへ飛ぶことした。旅行社へ行ってみると、翌日のイスタンブール行きの便の席があっさりとれた。ノーマル運賃だが。


午後はビザ受け取りまでの間、バクーの旧市街を散策した。



高いところカスピ海を望む。しかし、どこから撮ったものか、すっかり忘れてしまいました。たぶんクズ・ガラスゥ(乙女の塔)からだと思うのですが。




バクー旧市街。




バクー旧市街。




バクー旧市街にある伝統的な建築。




イチェリ・シャハル(内城)の城門(だったと思う)




シルヴァン・シャー朝の宮殿(15世紀の建築)だったと思います。




どこだ? ここは。写真の順序から考えて、シルヴァン・シャー朝の宮殿。




シルヴァン・シャー朝の宮殿。




何てことはない風景ですが最後にカスピ海の写真を(自分の旅の記憶を呼び起こす材料として)。遠くにうっすらと油井が見える。



8月26日。
なんと午前3時起床。飛行機の出発時刻が6時なので仕方がない。タクシーは前もって予約しておいたが、15ドルだった(もちろん正規料金)。ということで、バクー到着時に乗った白タクはかなり良心的な(?)ぼったくりタクシーだったのである。


          

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