サマルカンド(ウズベキスタン)

8月21日、この日はブハラからサマルカンドへの移動。足は観光客用の乗り合いタクシーのようなもの(別のホテルに泊まっている他の旅行者と一緒ということで料金を提示された)。

8時20分ころブハラを出発して12時半ころサマルカンド到着。リーズナブルな料金で評判だったホテル・ザラフシャンの前で車を降りる。部屋がなければ、ブハラ同様、歩いてホテル探しをしなければならないが、幸い部屋はあいていた。1泊20ドルで、スム払い可。もちろん正規レート。しかし、スムは闇両替で手に入れたものなのでものすごい割安感がある。

チェックイン後、ホテルの前にあったフラミンゴ・カフェというレストランへ。いかにも西洋人旅行者向けに作ってみましたというレストランだ。前回の訪問ではこういうところはまったく期待できなかった。観光化がどんどん進んでいるのだ。

昼食後、まず。ティムール一族の墓(グリ・アミール廟)へ。93年とはまったく様変わりしていた。



グリ・アミール廟。ティムールと彼の息子たちの眠る廟。




同じくグリ・アミール廟。




93年8月に撮影したグリ・アミール廟。この間、かなり修復されたことがわかると思う。




青の都と呼ばれるサマルカンドの観光のハイライト、レギスタン広場。シルクロードの中心都市として紀元前の昔から繁栄したサマルカンドは、13世期前半、モンゴルの攻撃で壊滅的な打撃を受けた。その打撃から復興させたのがティムール。向かって左側の建物はウルグべク・メドレセ(1620年ティムールの孫ウルグベクによって建設)。中央はティラカリ・メドレセ(1660年建設)。右はシェルドル・メドレセ(1636年建設)。この写真は93年8月に撮影したもの。このときはこの広場で催されるイベント用にステージと観覧席が設営されていて、残念ながらこの眺めを再度堪能することはできなかった。




98年8月撮影のシェルドル・メドレセ。うっすらと数本ロープのようなものが見えるが、イベントに使用するためのものなのだろう。




ビビハニム・モスク遠景。1399年、ティムールが建設に着手、1404年に完成。しかし、建設を急ぎすぎたこと、巨大すぎたことなどもあって、すぐに崩壊してしまったという。1970年代に始められた修復作業は99年になっても進められていた。




93年に撮影したビビハニム・モスク遠景。この時はモスクの中庭には入れず、遠くから眺めるよりほかなかった。




ビビハニム・モスクの中庭。



ビビハニム・モスクの中庭。奥の入り口の向こうにドームがある。壁の模様が美しい。手前の石はコーランを置く台ということらしい。




裏道から見たビビハニム・モスク。幾何学模様、青い空に青いタイルのドームが印象的だった。



          

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