少しだけ砂漠をのぞく <5日目>この日の目的はサハラの砂砂漠を端っこを少しだけ見ることだったと思う。 8時15分ころタタウィンを出発(ルアージュを利用したはず)。 8時50分、メドニン到着。 9時15分、メドニンを出発(ルアージュを利用したはず)。 10時20分、ガベス到着。 10時55分、ガベスを出発(ルアージュを利用した-ここはけっこうはっきりと覚えている) 目的地はサハラの最砂丘への入口として有名だったドゥーズ(現在はクサール・ギレンというところが有名だが、この頃はその情報を目にすることはなかった)。 12時10分、ケビリでに着き、ここでルアージュを乗り継ぎドゥーズに向かう(12時10分ころケビリを出て12時25分ころドゥーズに着いた)。 『歩き方 フロンティア』にはドゥーズの街の中心部から20分くらい歩くと砂丘が見えて来るとあり(ツーリスティック・ゾーンという)、そこまで行ってみることにした。。
砂漠の端っこを見た後、ドゥーズの街に戻りネフタを目指して移動を再開。 14時50分、ドゥーズを出て15時10分ケビリ到着(ルアージュを利用)。
ケビリの後はトズールへ向かったが、客の集まりが悪かったらしく(ルアージュは基本客が集まってから出発する)、ケビリを出たのは16時50分。 車はショット・エル・ジェリドとショット・エル・フェジャという塩湖の間に位置する道を進んで行くのだが、途中、猛烈な砂嵐に襲われて前方がほとんど見えない状態になった。しかし、ドライバーは何食わぬ顔で車を走らせた。 18時10分、トズール到着。 ここから少し離れたネフタという街があり、『歩き方 フロンティア』には、「コルベイユ(ネフタの花カゴ)」と呼ばれるナツメヤシの林があり「砂漠からの風もコルベイユを通して浄化されたように肌に心地良い」と旅心をそそられる文章があった。ということで、日が暮れかかっていたが、そんなネフタへ移動(朝からこの日の最終目的地をネフタと決めていたのかもしれない)。 トズールからネフタへはルアージュは使わず(ルアージュが待機していなかったのかも)、地元の人に教えられてローカルバスの停留所へ移動。 待つこと15分くらいでバスがやって来た(そこそこ混んでいたと思う)。 18時30分、トズールを出たバスは18時50分、かなり暗くなったネフタに着いた。 19時半ころ、そこそこ立派な、グループツアーも利用するリゾートホテル(オテル・ネプトゥス)に飛び込みチェックイン(夕食は団体客で賑わうホテルのレストランでとった)。(例によって『歩き方 フロンティア』のホテル情報は貧弱だったので、『ロンリープラネット』情報をもとにホテルを探したのだろうか?) <6日目>
旅の最後にイタリアに寄るなどという計画を立ててしまったので先を急がねばならなかったからか、「花かご」を見るだけで、ネフタの街を見ることもなくトズールへ移動(9時50分ネフタを出て10時5分到着)。
トズールから先は何も決めていなかったと思う、というか移動手段の情報がなかったので出たとこ勝負でいくしかなかった。 地図を見るとガフサに移動すると、そこから南部の中心都市スファックスへの交通の便がよさそうな感じがした。スファックスまで行けばチュニスへの移動も容易だろうと思えた。 10時20分、トズールを出発し、11時30分、ガフサ到着(ルアージュを利用)。 しかし、ガフサからの交通の便は思いのほか悪かった。 スファックス行きのルアージュはなく、バスもない感じ(バスターミナルで尋ねたと思う。すぐに出る便がなかっただけかもしれない)。 幸い、13時発のスース行きのバスがあることがわかり、チケットを購入。
13時発のバスは13時には出ず、13時半になって乗車開始。席は自由席で、乗車口に客が殺到して大混乱。乗車に出遅れたので、立って行かなければならないかもという不安がよぎったが、チケットは座席分しか売っていなかったようで、ちゃんと座れた。 バスは定刻から1時間遅れの14時に出発し、18時30分、スース到着。メモがないのではっきりしないが、ラッキーなことに、このバス、スースの鉄道駅の近く(街の中心部近く)に停まってくれたよう(メモによると19時にはホテルにチェックインしているので、バスを降りたあとさらに乗り物を利用しての移動はなかったと思われる)。 城壁に囲まれたメディナに入って割とすぐのところにある、『ロンリー・プラネット』で評価の高かったホテルに部屋を確保した後、港のそばにある小奇麗なレストランに入って夕食をとった。店の名前はLe Lido(ル・リド)。後でガイドブックで知ったのだが、割と評判のよい店らしい。 |