クサール・ウレド・スルタン

<4日目(3月3日)続き>
シェニニは小さな村なので、見物はあっという間に終わってしまった。

道端に腰を降ろしてボーッとしたり、村の周りに広がる荒涼とした大地を眺めたりしながら時間をすごしたが、さすがにやや飽きてきた。

12時50分、約束の時間まではまだだいぶ間があるが、村の麓に降りて行った。

そこにはレストラン兼休憩所みたいなところがあり、朝僕をここまで運んでくれたドライバー氏が働いていた(というか、そこの経営者か?)。自分の仕事場に向かうついでに僕を連れてきてくれたという感じか?

そうか、2時というのは、この店を閉める時間なのか。

ちょうど昼の営業中で、客がいたと思う(村では観光客は見かけなかったので、ジェルバ発のツアーか何かでこの辺りを回り、その途中ここで昼食をとるということか?)。

その店でドライバー氏はコーラとクスクスをご馳走してくれた。早目に待ち合わせの場所に降りてきてラッキーだった。

しかし、2時には店は閉められず、14時半、ようやくシェニニを後にした。

タタウィンには14時50分頃戻った。しかし、日はまだ高いし、このままホテルで休むのももったいない。

そこで、クサール・ウレド・スルタンというところにも行ってみることにした。中央の広場を囲むように方形に建てられた穀物倉庫(ゴルファ)の集合体で、単なる穀物倉庫群ではなく外敵に襲われた時には城塞的役割も果たすようになっており、外側から見ると壁しか見えない建造物だという。

(なお、クサールとしてはクサール・ハダッダというところがスターウォーズの撮影地として有名)

ホテルのレセプションで、「ロンリー・プラネット(だったと思う)」のコピーを見せて車をアレンジしてもらった(『地球の歩き方、フロンティア』ではクサール・ウレド・スルタンは紹介されていなかった)。

車はさっきと同じ車だった。

タタウィンから約30分、起伏の多い岩砂漠の中の曲がりくねった道の向こうの小高くなった場所に、壁だけで窓のない建物が見えてきた。運転手に「あれか?」と尋ねると、「そうだ」という。

クサールの内側に入って行くと、非常に面白い構造だった。断面がやや縦長のロールケーキ型をした倉庫がいくつも積み重ねられたといったらいいだろうか。一つ一つの倉庫は独立していて、それぞれに穀物の出し入れ口がある。個々の倉庫の高さはだいたい1.5~2メートルくらいで、それが場所によっては4段も重ねられている一方、2段しかないところもあって総高は一定しない。綺麗に修復された箇所とそうでない箇所があるが、そのうち全体が修復され貴重な観光資源として利用されるのだろう(と当時思った)。

少しだけある扉のついた倉庫の前には、麦だと思うが、穀物がちらばっており、この時はまだ使っていたのだろうか?



クサール・ウレド・スルタン。水色っぽい車が僕が乗って来た車だろうか。車を降りて少し歩いてから撮った写真。車を降りてすぐ撮ればよかったが、影を見ると完全な逆光だ。たぶん、それで入口のところからは撮らなかったのだろう。クサールはゴルファという倉庫の集合体のようなもので、このクサールは単純な四角ではなく、四角い部分に入る前にも倉庫がある。上の写真はその四角い部分に入る前に振り返って撮ったもの。クサールに隣接する集落には必ずモスクがあり、この写真にモスクが写っている。集落も撮っておけばと、後悔している。




方形に倉庫が並んでいるところにつながる通路。




小さな倉庫が積み重ねられたような構造。裏側はただの壁なので、外から見ても美しくはない。しかし、なかなか興味深いものなので、外からも撮っておけばと悔やまれる(ネット上には外から撮った写真もある)。なお、クサールは外的から攻撃されたとき砦としても使われるものであったとのこと。




少年たちがサッカーをしていた。




あちこちのページに載っているこのクサールの写真を、(この写真で)ボールを持っている少年がいるあたりに、何か植栽みたいなものがなされており、こんな感じで遊べるような場所ではなくなってしまったようだ。



クサール・ウレド・スルタンを出て帰ろうというとこ、集落の小さなモスクから白いゆったりとした服を着た十数人の男性たちがぞろぞろと出てきた。何かとても不思議な、夢でも見ているかのような光景だった。カメラに収めたいという欲求にかられる一方で、無神経にカメラを向けてよいものか、という疑問も沸き上がってきた。結局、バッグからカメラを出すことはできなかった。

ホテルに戻ると、まだ明るいのにレストランが開いていた(昨日のこの時間には開いていなかったのに)。「そうか今日でラマダンが明けたのか」 実はいつまでラマダンなのかということは意識せずに旅に出たのだ。

ラマダンが明けるとイスラム教徒の正月だ。さっきモスクから出て来た白装束の男性たちは正月の礼拝を終えた人たちだったのだろうか。