トルファン

<6日目続き>
この日は夕方のバスで烏魯木斉に戻ることになっている。

午前中バザールに出かけ(前ページ)、昼ころホテルに戻り14時半ころ、昼食を取りに外に出た。

メモによると、烏魯木斉行きのバスには迎えのバスがセットでついていたようで(バス会社のサービスか?)、「16時10分、バスが迎えに来る」とある。メモには「16時半、街はずれのターミナル(?)からバスが出発」とあり、不便な場所からの出発なので迎えのバスのサービスがあったのかもしれない。

16時半に出発したバスだが、16時50分から18時50分まで公安によって足止めされてしまう(理由は不明)。

その後、サリム湖の手前でエンジントラブルがあり1時間ほど停車。

さらにサリム湖沿いの道で、ウィグルのお婆さんが具合が悪くなって娘さん(?)と降車。

メモによると、サリム湖を出たのは午前1時ということで、せっかくのサリム湖畔での停車ではあったが、すでに日が暮れた後だったようだ。というか、伊寧からサリム湖までの135㎞に8時間以上かかった計算になり、最悪のバスに乗っていたのかもしれない。

バスのトラブルはさらにあり、その後も2度パンク修理のための停車があった。



<7日目>


乗車していた寝台バス。乗車当日のものか2日目のものかは定かではないが、おそらく2日目の食事休憩だと思う。




上とは違う場所で。食事休憩だったか? それとも修理のための停車?



17時少し前、烏魯木斉到着。イーニン出発からまる1日以上かかり、かなりぐったりしていたという記憶がおぼろげながら残っている。

ミニバスで烏魯木斉中心部に移動して、17時半、紅山賓館にチェックイン(予約していたのに部屋は確保されおらず、2人部屋を日本人旅行者とシェアした)。



<8日目>
8時半にチェックアウト。

二道橋まで歩き、そこから9時半発のトルファン行きバスに乗車(烏魯木斉-トルファン間はバスが頻発していた)。

13時トルファン到着。

13時40分、トルファン賓館のドミトリーにベッドを確保(4人部屋だったか?)。他のベッドには先客の荷物があったが、どうやら自転車旅行者のよう。

バザールに食事にでかけ(またまたラグ麺…この旅の食事はラグ麺率がとても高かった)、部屋に戻ると先客は西洋人自転車旅行2人組で、チェックアウトするところだった。

彼らが出て行った後、フランス語を話す2人組がチェックイン。

夏のトルファンはものすごく暑く、最高気温40度越えというのは普通という感じだったと思う。ということで、ここトルファンでは午後歩き回るのはけっこう危険なので、87年に参加した近郊をめぐるツアーでは、午後はいったんホテルに戻って休憩して、暑さがおさまるころに再スタートしたという記憶がある。

18時20分くらいから外出。蘇公塔とホテルを往復した。



葡萄畑の向こうに見えるのが蘇公塔というモスク。1777年に建造されたもので、塔の高さは44m。




蘇公塔の行き帰りに通った道(解放路だと思う)で出会った子供たち。彼らから「撮ってくれ」と近づいてきたのだと思う。




トルファンの人たちの生活感が感じられる道(これも解放路だと思う)。木漏れ日がやさしい。こういう趣のある路地は現在(これを書いている2020年)は残っていないのではないか?










ところどころにモスクがある。










モスク。




一つ上の写真のモスクを正面から。



散策後、トルファン賓館の向かいにあるジョーンズ・カフェという店で夕食をとったが、そこで完璧な日本語を話すウィグル人青年に出会った。特にどこかで習ったわけではなく、日本人旅行者と話すなかで日本語を習得したとのこと。