<目次>
 1.上海(このページ)
 2.北京(1)
 3.北京(2)
 4.北京(3)
 

  上海

1994年10月、仕事の休日がうまくつながり五連休ができたので、この休みを利用して中国へ行くことにした。

5日しかないから、そんなに欲張ることはできない。まず浮かんだのが北京である。万里の長城の八達嶺には行ったが、その後公開された慕田峪にも行ってみたい。それに10月の下旬なので、うまくいくと紅葉が見られるかもしれない。

しかし、単純に東京-北京を往復しても面白くないので、上海から中国に入り、北京から帰国しようと思った。日本で確保するチケットは、少々高いがノーマル(正規)運賃の東京-上海の航空券だけ。北京を最初にしなかったのは、東京-上海便の方が安いからである。

北京-東京の航空券は北京でノーマル運賃のチケットを買うことにした。1994年当時、中国で購入するとノーマル運賃でも日本で買うよりかなり安く、また夏の旅行シーズンではないので、ノーマル運賃ならば搭乗日当日でもどこかの航空会社に必ず空席があり、予定の日に帰ってこれないということもないだろうと考えた。今思うとけっこう危ない橋を渡ったなあという感じだが、当時、日中間の旅客の行き来はそれほどでもなかったのだと思う。

また、東京-上海、北京-東京というルートで格安航空券を買うという手もあったのだが、上海から北京への列車や飛行機のチケットが必ず買える保障がなかったので、帰国を北京からの便に固定してしまうと、その航空券を放棄せざるを得なくなるという恐れもあった。今では考えられないことだが、当時は、それくらい中国国内の移動手段のチケットの入手が難しかったのだ。

というわけで、この旅の成否は上海で北京までの列車もしくは飛行機のチケットが手に入るかどうかにかかっていた。



<10月22日(1日目)>
全日空機で上海入り(当時はまだJALに囲い込まれていなかった)。改革開放路線を推進する中国経済の中心、上海の発展は目を見張るものがあり、空港から市内へは高架の高速道路も通っていた。

ホテルは例によって予約していなかったが、上海駅に隣接する龍門飯店に上海駅のホームが眺められる部屋が確保できた。このホテルは中国国鉄の経営するホテルで、鉄道の切符を売る窓口もあり、席の確保がしやすいということだった。

さっそく窓口へ行くと、翌23日の北京までの軟臥があっさり確保できた。これで、この旅はうまくいったも同然である。あとは、台風で帰りの飛行機が飛ばないという事態にさえならなければ大丈夫だ。



<10月23日(2日目)>
この日は日曜ということもあり、上海一の繁華街、南京路は人があふれかえっており、上海の浅草、豫園もラッシュ時の駅という状態であった。そんな中、ここにある有名な小籠包専門店から伸びる長蛇の列に並んだ。7年前、上海に初めて来た時に食べた味をもう一度確認しておきたくなったのだ。

並ぶこと約1時間、ようやく店の入り口の食券売り場にたどりつき、「一人前」というつもりで指一本を立てて、食券を手に入れた。

しかし、これで一安心かというとそうではない。今度は席を確保しなくてはならない、店内には、一つにつき8人くらい(記憶が定かではないが)食べられる丸テーブルがいくつか並んでおり、早く食べ終わりそうな客のすぐ後ろの位置をキープしなければならないのである。この場所キープがなかなか大変だっった。こちらは一人なので、あとからドヤドヤとやってきた中国人グループにあっさり押し出されてしまい、第一次席確保戦は敗退。捲土重来を期して、より強い決意をもって場所確保に臨み、今度は成功。そして、店員に食券を渡し、小籠包が出てくるのを待った。

列に並んでから通算1時間半後、ようやく僕の目の前に、小籠包の入った蒸籠が運ばれてきたが、まわりの中国人に出されいる針生姜がない。どうやら、これにも食券が必要らしい。そういえば、食券売場にあった小さな料金表の中に一つだけ異様に安いものがあったが、あれが針生姜だったのだ。

さて、味であるが、7年前はものすごくうまく感じたのだが、それほどでもなかった。たぶん、7年前は、それまでの中国旅行で随分口に合わないものを無理やり食べていたから、うまく感じたのだろう。




ホテルの部屋から見た上海駅。




南京路。すごい人の数だ。現在、南京路の一部は歩行者専用になったと思うが、このあたりはどうなっているだろうか?




同じ場所を横長の画面で。




前の2つのカットはこの写真に写っている歩道橋の上から撮ったものだと思う。




南京路。




豫園商場近くの道。ラッシュ状態だった。




豫園という庭園の横に豫園商場がある。左手の急こう配の屋根を持つ建物は湖心亭という中国茶を飲ます茶店。







湖心亭。




豫園商場。



目的は達したので豫園を後にし、上海駅へ行き、軟臥車の乗客専用の待合室で列車の出発を待った。

15時46分発の北京行きの列車は、中国の鉄道で一般的に使用されている濃い緑色の客車ではなく、クリーム色の車体に赤いラインの入った新しい編成だった。

4人部屋のコンパートメントでは、オーストラリア人の女子学生と、スロベニア人の男性2人組と一緒になった。オーストラリア人の女子学生はSLが大好きといっていたし、スロベニア人男性たちも鉄道旅行を趣味にしているようで、日本の新幹線を、速くてクリーンだと、さかんに褒めていた。僕が「5日間の旅行だ」と言うと、「なんて馬鹿な旅行をするんだ」という顔をしていた。