アンタルヤ周辺の遺跡 <6日目>前日夜21時半すぎ、どこ始発なのかはわからないが、すでに8割がた席が埋まったバスがネヴシェヒルのオトガルにやってきた。トイレタイムもとらずにすぐ出発したので、何時間も走り続けてネヴシェヒルに着いたわけではなさそう。 車内は暖房が今一つ効いておらず、少しうとうとして寒さで目を覚ますというのを繰り返し、結果として最後の眠りに落ちかけたところでアンタルヤに着いた。 チケットを買ったときは7時半到着と言われていたが7時だった。 バスを降ろされた場所はオトガルではなかったような記憶がある(オトガルに寄らず路上の適当な場所で客を降ろしたり乗せたりするのはトルコのバスでは普通のことだ)。メモがないのでわからないが、どこかもっと遠くの街行きのバスだったのだと思う。 天気もよく何となく暖かいなか宿探しをする。前もって目星をつけていた、旧市街を抜けた海に面したところにあるホテルにあたると空室があり、まだ朝早いのにチェックインできた。予約なしの飛び込みなのでさすがに海に面した部屋は空いてなかったが。 チェックインしてすぐに朝食をとった。 レストランは海に面しており、テラス席もあってそこからの眺めがすばらしかった(例によってフィルム節約旅行をしていたので写真は撮っていない)。 この旅は88年に訪問した箇所をまた巡るというのが大きな目的だが、アンタルヤは今回が初めてで、目的は周辺の遺跡巡りだった。 ペルゲ、アスペンドス、スィデを回ろうと考えていたが、当時は交通の便が悪く自力で回るのは厳しかったので(今もこの3カ所を公共の交通機関を利用して回るのはきついか?)、とある旅行会社に行き翌日のツアーバスを申し込んだ。 さて、この日は夜行明けなので忙しく歩き回らずダラダラしようと思っていたが、急きょカシュへ行くことにした。今回は翌日のアスペンドスを始め多くの劇場跡をめぐることになっているが、カシュにも保存状態のよい劇場があるというので行くことにしたのだ。 オトガルでカシュ行きのバスに飛び乗ったが、ちょっと失敗だった。実はカシュまでの距離や所要時間を調べていなかったのだ。2時間かそこらで行けると思っていたのだが、あらためてガイドブックを読んでみると「アンタルヤから4時間」とあった。しかし、もう行くしかない。 カシュはこじんまりとしたよい街だった。遅い昼食としてサンドイッチををかじったあと劇場へ行くと、こじんまりとした劇場がひっそりとたたずんでいた(劇場のみが単独で残っているという感じの遺跡だった)。
カシュから、また4時間かけてアンタルヤへ戻った。さすがに疲れたらしく、この日のメモには「すぐに横になりたい」と書いてある。 <7日目> あいにくの雨である。 朝食後、旅行社がピックアップに来ると言っていた8時45分になっても車は来ない。 9時、旅行社からホテルに電話があり、雨で参加予定のグループがキャンセルしたため、今日のツアーは取りやめになったとのこと。 旅行社へ行ってツアー代金の払い戻しをした後、日本人旅行者を探した。効率よくペルゲ、アスペンドス、スィデを回るにはタクシーを利用するしかないが、かなり高い。仲間を募ってシェアして少しでも安くあげようというわけだ。しかし、そんなに簡単にツアー仲間がみつかるわけもなく、結局1人で出発。
写真ではわからないが、この日のメモにはアスペンドスの劇場にいた頃はかなりの土砂降りだったとある。晴れていれば客席に腰かけてしばしボーッとするところだが、それは不可能。 劇場の最上段の柱ところで一人のトルコ人のおじさんが手招きしていた。行ってみると「古代コインを買わないか」と言う。例によって偽物なのだろうが、本物らしく作ってある。そして、いかにも土の中から出てきたものという感じで、細かい模様の間に泥がつまっている。本物ならばもっと綺麗にしておけよと言ってやりたかったが、トルコ語がわからないので「ノー」と言ってその場を離れた。
これでこの日の観光は終了。雨のため、それぞれの遺跡であまりゆっくりしなかったためだと思うが、この日のメモには、3時すぎにはアンタルヤに戻ったとある。そして、アンタルヤのタクシーステーションに着くと、そこでチャイをご馳走になったとも記されている。 |