バラナシとサールナート <6日目続き>ホテルを移った後、すぐにバラナシ駅へ向かった。 次の目的地、アジャンタ、エローラ観光最寄りの都市であるアウランガーバードまでの列車のチケットを買うためである。 メモにはないが、微かな記憶によると、一人の男から話しかけられ、そのなかでチケット購入の手助けをするとか言われた。駅の”偉い人(役職名を言われたが忘れてしまった)”が友達で、その人に頼めば簡単に買えるとかいう話だった。怪しさ満点である。普通ならここでバイバイなのだが、この時はなぜかこの男と一緒に、その”偉い人”の部屋まで行った。本当に偉い人ならば、ないはずのチケットが出て来るかもという期待があった。ちょっと余計な金がかかるかもしれないが。駅の中は乗客や職員など沢山の目があるから取りあえずは大丈夫、そんな判断だったのだろうか? ”偉い人”の部屋に行く途中、インドの駅特有のリタイアリング・ルーム(鉄道利用者用の簡易ホテルみたいな場所)の横を通ったことは覚えている。リタイアリング・ルームはどこかで利用しなければならなくなるかもと思っていて関心があったので覚えているのだと思う。しかし、この先のことは忘れてしまった。何せ30年近い年月が流れているので(これを書いているのは2021年2月)。たぶん、”偉い人”には面会できたんだったと思う。 しかし、結局、チケットは窓口へ行き自力で買うことになった。あの怪しい男は何だったのか? 詐欺をしかけようとかチケット購入の口利き料をとろうとかいう手合いではなく、ただ外国人とコミュニケーションをとりたいだけのフレンドリーなインド人だったのか? まあ、途上国では時としてこういう変な経験ができるのも確かではある。本当に親切な地元民に助けられたこともあるが、善人・悪人を見分けるのは至難の業ではある。特に世界的な観光化の進展のなかで、旅行者に親しく話しかけてくる人間のなかにおけるよからぬ輩の混入率が増大しているので、最初から相手にしない方が安全なのは確かではある。 メモによると10時に駅に着いて10時45分には駅を出ているので、チケットは割りと容易に買えたようである。売り場があまり混雑していなかったような記憶もあるが、外国人専用の窓口があったのか?(今はあるらしい) 購入したチケットはAC3段寝台の中段だったか? ただ、次の目的地アウランガーバードまでのものではなく、乗り換え駅であるマンマードまでのものだった。今となっては、なぜアウランガーバードまでのチケットが買えなかったのかわからないが、当時のインド国鉄の切符発券のシステム上、乗り継ぎの列車までは買えないことになっていたのだろうか? 駅を出た後、朝世話になったタクシーでサールナートへ向かった。 サールナートはバラナシから北東に10㎞行ったところにあり、ブッダが初めて説法した場所である。
この旅のメモは記述がとてもあっさりしているのだが、この日の午後については何も書いていない。おそらくホテルでダラダラとすごしたのだと思う。 <7日目> この日もメモも実にそっけない。午前中はホテルでだらだらしていたようで、何も書いていない。 昼食後、サイクル・リクシャーでダシャーシュワメード・ガートへ向かった。
近年、バラナシを訪れた旅行者の旅行記を見ると、かなりの割合で毎日日没後ダシャーシュワメード・ガートなどで行われるプージャーなる礼拝のことが記されている。インドに20年以上通っている人が書いたものによると、2000年代に入る以前は、それは少人数の信者が集まって行うものだったが、その後、観光客の見物が増えるとともに、どんどん派手になりショー化していったらしい。web上で見られる写真では、当たり前だが、見物人の圧倒的多数はインド人だ。インドも経済発展が著しく、旅行をする人が激増していることが想像に難くないが、インド各地からバラナシへの直行便がどんどん運行されるようになり、ガンガー近くの街の区画整理事業みたいなものも行われているらしい。 ガンガー河畔を離れた後、ヴィシュワナート寺院(黄金寺院)をめざした(ヒンドゥー大学構内にもヴィシュワナート寺院がある)。 ここはシヴァ神信仰の中心地として巡礼者がめざすところらしい。開基は5世紀で、17世紀にはムガール帝国のアウラングゼーブによって破壊されてモスクに改造されたが、18世紀にモスクの一角に金箔で覆われた黄金寺院(ゴールデン・テンプル)が建立されたとのこと。
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