ボートからガンガーの沐浴を見る(バラナシ)

<5日目>
9時にホテルをチェックアウト。
空港に行く前にエア・インディアのオフィスによって帰国便のリコンファーム(今ではほぼ必要なくなったが、昔は国際線では予約の再確認というものが必要でこれを怠ると予約が取り消されることがあった)。



デリーを出発する前にインペリアル・ホテルの入口を撮っていた。改めて写真を見ると立派なホテルだ。この時は1泊50ドルで泊ったのだが、手もとにある『地球の歩き方インド 10~11』を見るとシングルで「1泊2万ルピー(当時のレートで4万円くらい)から」となっており、気軽に泊ることができない料金になってしまった。



10時25分、空港到着。この日搭乗するヴァラナシ行きの便の出発は10時20分で、セキュリティチェックとかの勝手が違うのでやや不安になる時間である。しかし、出発時刻が遅れて余裕だったようだ。

12時15分、搭乗機が出発。

アーグラー、カジュラーホ―を経由して、16時頃バラナシ到着。

空港から市内行きのバスに乗る(『地球の歩き方インド 10~11』には空港バスはないとある)。

バスがどのようなルートを走り、どこで降りたのかのメモはないが、17時半、ヴァラナシ駅近く(とは言っても1㎞くらい離れている)のホテルに部屋を確保。この日のホテルも高級な部類に属するホテルである(料金のメモはない)。

さて、ヴァラナシは手もとにある2010~11年版『歩き方』には「バナーラス(ヴァーラーナスィー)」と表記されている。日本ではベナレスといった方が通りがよいのかもしれないが、これは英語名benaresベナリースの日本語読みで、バナーラスの方が発音しやすく現地でも確実に通じると、『歩き方』には記されている。正式な名称はvaranasiヴァーラーナスィーだが発音が難しい。「ヴァ」は「ワ」に近い音みたいだが、日本人旅行者の間では「バラナシ」という感じで呼ばれているようだ。ということで、バナーラス(ヴァーラーナスィー)と書くのは煩わしいので、ここから先はバラナシと書くことにする。

バラナシで最も有名な見どころは、早朝のガンガー(ガンジス川)で沐浴する人たちだと思っていた。早朝、オートリクシャーなりサイクルリクシャーでガンジス河畔へ行き、そこでボートの漕ぎ手と交渉して、川から沐浴の様子を眺めるというのがもっとも安くあげる手だとは思うが、いちいち交渉が必要で、そこで時間を食ってしまうと、すっかり日が昇ってしまい独特の雰囲気を感じることができないかもしれない。しかし、それ以上に夜明け前、早朝の治安面を心配したのかもしれない(昔のバラナシは治安が悪かったので)。ということで、この日のうちに河畔までの交通手段とボートを確保した。

詳細なメモがないのだが、微かな記憶をたどると、ホテル前にたむろしていたタクシーの客引きと交渉したようだ。10usドルと100ルピー(合計で15ドルくらいか?)という変な払い方で妥結したようだが(タクシーが10ドルでボートが100ルピーということか?)、けっこう割高な額だったのではないかと思う。『歩き方』情報だったと思うが、乗り物が”乗用車”になると料金が一気に高くなるというのを事前情報として持っていたので、「その程度なら」ということで手を打ったのだと思うが。
 


<6日目>
5時、ホテルを出発。

5時半、ボート乗り場に到着。(現在、バラナシでは交通規制により車やオートリクシャーが乗り入れることができない範囲があるようだが、この当時は規制がないか、緩やかだったのか、それとも規制のかかっていないエリアのボート乗り場だったのか?)。

写真とグーグルマップのストリートビューに投稿された写真をたよりに、どの辺を見物したのか探ってみたが、自分の乗ったタクシーは最も有名なガートであるダシャーシュワメード・ガートではなく、そこから少し上流に行ったあたりに着いたようだ(ガートとは河岸から階段になって河水に没している堤のことで人々はここで沐浴を行う)。

自分が乗ったボートは日本のあちこちの公園の池にあるボートを一回り大きくした程度のもので、漕ぎ手は10代前半という感じの少年。

最初、川の流れに逆らって上流へ進んでいき、もっとも上流にあるアッスィー・ガートへ。



アッスィー・ガート。




ボートの漕ぎ手の少年が画面の端に写っていた。自分の思い出として敢えてトリミングせずに載せておくことにします。ちゃんと顔が写るように撮っておけばよかった。










雨季なので水量が多い。乾季にはガンガー沿いを歩いてガート間の移動ができるようだが、写真の通りガンガー沿いを歩いて行くことは不可能な状態。




有名な安宿「久美子の家」。




これぞ雨季のガンガーという感じ。web上にあるバラナシの写真の多くは乾季のもので、かなり雰囲気が異なる。










ダシャーシュワメード・ガートのあたり。




ダシャーシュワメード・ガートのあたり。




ダシャーシュワメード・ガートからさらに下流へ。




ガンガーの対岸。もうかなり日が高くなってしまった。もう少し太陽の位置が低い時に撮っておけばと思う。左端に鉄橋が写っているというか、鉄橋を入れるつもりで撮ったのか? ところで対岸には何もない。不浄な場所とされていて人が住まないのだそうだ。




流れが速い感じはわかると思う。右端に写っているのはダシャーシュワメード・ガートのあたり。




ダシャーシュワメ-ド・ガートのあたり。そそろボートツアーもおしまい。どのガートでボートを降りたのかは忘れてしまった。



インドでは基本的に遺体は火葬する。そして、バラナシのマニカルニカー・ガートには火葬場があっていつも煙が立ち上がっている。

僕の乗ったボートも、ダシャーシュワメ-ド・ガートの前を通り、お決まりのコースであるマニカルニカ・ガート前まで行った(ここは写真厳禁なので写真はない、というかそういう厳粛な場面にカメラを向ける気ははなからなかった)。

ところで、遺体は基本的には火葬されるのだが、小さな子・妊娠中の女性など(寿命をまっとうできなかった人ということらしい)は火葬することができず、石をくくりつけてそのままガンガーに沈めるという。『歩き方』には時々沈まずに河を流れていく遺体も見られるというようなことが記されており、僕の乗っていたボートの横を布で包まれた物体が流れていった。ボート漕ぎの少年は「チャイルド、チャイルド」と言って指差した。

7時30分、ボートによるガート見学終了。

月並みな感想だが、ガンガーで沐浴する人々の姿はとても興味深かった。また、人の信仰に基づく行動をこんな風に見物することに対する後ろめたさのようなものも感じた。

ボート代の大部分はボートの親方みたいな人にいってしまうのだろうと思い、雨季で水量の増した川を一生懸命上り下りしてくれた少年にチップを渡して、タクシーでホテルにもどった。

8時頃、ホテル到着。

ホテルで朝食をとったと思うが、メモによると、9時にチェックアウトして近くのホテルに移っている(理由は不明)。