世界遺産登録前の白川郷・五箇山(1980年代半ば)
1980年代半ば(記録がないので正確な年は不明)の夏(たぶん8月の後半というか下旬)、白川郷、五箇山を訪れた。当時は世界遺産に登録される前で(1995年登録)、すでに有名な観光地ではあったが、まだ、大勢の観光客が押し寄せるという場所ではなかった。

どのような経路で行ったのかは記録がないのではっきりしないが、たぶん、夜特急列車で札幌を出発。函館から連絡船の深夜便で青森に渡り、朝4時50分発の大阪行きの特急白鳥に乗車したはず。

白鳥を下車した駅は高岡か金沢。

当時、白川郷、五箇山への公共交通機関を利用してのアクセスはとても不便で、金沢と名古屋を結ぶ路線、高岡から五箇山・白川郷へ向かう路線があったことを覚えている。たぶん、岐阜県内のどこかと白川郷とを結ぶバス路線もあったと思うが、そちらは利用する気がまったくなかったのだろう。記憶にない。

金沢からのバスは距離も長く、当然運賃もかさむので、高岡に一泊して、そこからバスで白川郷に向かったのではないか?(国鉄城端線で城端まで移動して、そこからバスに乗った可能性もある)。

白川郷に着くと、すぐに荻町城跡の展望台に登った。



展望台から望んだ白川郷。







展望台の一番高いところからか?




少し低いところから。




明善寺庫裏(郷土館)




郷土館からの眺め。

   



郷土館の中(のはず)。




郷土館の中(のはず)。




明善寺本堂からの眺め(だと思う)。




左が明善寺本堂、右が明善寺庫裏(郷土館)。




白川郷合掌村。何棟かの合掌造建築が移築されている。




白川郷合掌村を少し離れたところから望む。




和田家住宅。




水田と和田家住宅(のはず)。稲の生育具合から推定すると、ここを訪れたのは8月下旬くらいか?



白川郷からバスで五箇山の菅沼集落に移動。



五箇山菅沼集落。




電柱が目立ちます。近年の写真を見ると電柱はないので、世界遺産登録後、観光開発が進められるなかで電線が地中に埋設されたのか?




生活感があふれる感じ。合掌造の屋根の葺き替えは片側ずつ行われるようだ(色の違いからわかる)。









五箇山には菅沼から高岡方面に進んだところに相倉集落という有名な合掌集落があるが、相倉に寄ると次のバスがないので、高岡、もしくは城端に移動(金沢行に乗った可能性もある)。