国東半島半日旅(2024.07)
<両親が訪れた場所を訪れる旅シリーズ>
両親のアルバムを見ると大分県の国東半島にある天念寺というお寺で撮った写真があった。
僕も国東半島を訪れたことがあり、富貴寺に2度、熊野摩崖仏と両子寺には1度行っているのだが、天念寺には行ったことがない。そこで、天念寺を主たる目的地とし、熊野摩崖仏と両子寺も含めて訪れることにした。例によって、あまり時間がとれないので、新千歳から東京乗り継ぎで大分まで移動、大急ぎで観光をして、夜の便で東京に移動して1泊し、翌日札幌に戻るというスケジュールとし、天気予報で雨にならないことが確実な日を選んで航空券を購入した。梅雨の時期のためと思うが、旅行客がやや少なく、飛行機の座席には割と余裕があった。

現在、国東半島の交通はとても不便で、公共の交通機関では観光がほぼ不可能という状況である。ということで、観光の足はレンタカー一択で、かなり久しぶりでの車の運転となった。

国東半島では古来六郷満山文化という仏教文化が栄えていて、この日の目的地である熊野摩崖仏、天念寺、両子寺は六郷満山文化を伝えるものである。ちなみに六郷とは国東半島の6つの郷(来縄・田染・伊美・国東・武蔵・安岐)のことで、伝承上は奈良時代の初めには寺院が成立していたことになっているが、寺院の成立がはっきりしているのは8世紀後半くらいからのようで、本格的な発展は平安時代に入ってからのようだ。

12時少し前に大分空港到着。ターミナルにあるコンビニでおにぎりと飲み物を購入してから、予約しておいたレンタカーに乗り込んだ(ターミナルから送迎車でレンタカー会社に移動というよくあるパターン)。

まず、向かったのは熊野摩崖仏。前に訪れたのは40年くらい前、学生時代のことである。そのころは便数は少ないものの路線バスが走っていた。



熊野摩崖仏への登り口。




この石段を登っていったところに目指す摩崖仏がある。摩崖仏=仏教であるが、石段を登り切った場所に熊野権現社という神社がある。いわゆる神仏習合である。




鳥居の神額に「三社大権現」とある。左の柱には「享保七年(1722)」と記されている。




鬼が一夜にして積んだというお話が残っている。熊野摩崖仏のパンフレットによれば次のような感じ→「紀州熊野からこの地域に迎えた権現さまの霊験はあらたかで、近郷は栄え人々は健康でよく肥えていた。そこへ一匹の鬼がやってきて肥えた人間の肉を食べたいと権現さまにお願いしたら、「日が暮れてから翌朝鶏が鳴くまでの間に鳥居から神殿までのあいに百段の石段を造ったらお前の願いを許してやる。しかしできなかったらお前を食い殺す」。権現さまは一夜では到底出来まいと思って無理難題を申しつけたのだが、鬼は人間を食べたい一心で石段を築いた。が、夜明け前に九十九段まででできてしまい、これはまずいと思った権現さまが、鶏の鳴き声を真似、それを聞いた鬼が、まずい権現さまに食べられてしまうと思い百段目の石をかついだまま逃げて行った。」
学生時代に訪れたときにはなかった金属製の手すりが設置されていたが、写真の通り石のサイズがバラバラなのでとても歩きにくい。







摩崖仏。左が不動明王像、右が大日如来像。大日如来像が平安中期、不動明王像が12世紀後半の製作と考えられている。




不動明王像の頭部に木の枝が覆いかぶさっており、良く見えなくなっている。見学の受付のあたりには、良く見えるように何らかの形で枝を除去することを検討中との掲示があったが、文化財を含む景観に手を加えるのは色々と難しいようだ。。




大日如来。不動明王像よりも立体的に彫られている。




摩崖仏からさらに石段を登っていったところにある熊野権現社。







帰り道、鳥居の下から見上げて1枚。




熊野摩崖仏への石段の入口のところにある胎蔵寺。国東半島特有の石造りの仁王像が並んでいる。水道がなく不便ということで、現在、このお寺には常駐する人はいないらしい。本堂・庫裡の屋根はトタンで覆われているが、茅葺屋根を保護するためにこうしているとのこと。