梅雨の晴れ間の飛鳥散歩(2024.06)
<2日目>
両親が桧原神社から桜井方面に向かって山の辺の道を歩いたということで、桧原神社がとりあえずの目的地だが、2人はどうやって桧原神社へ行ったのだろう。というか、そもそもなぜ桧原神社をスタート地点としたのだろう? 時間の許す範囲で歩くことができる区間を考えた結果、桧原神社から桜井駅まで歩くという結論になり(桜井駅に出れば空港への移動にも便利だし)、桧原神社まではタクシーでも利用したのだろうか?

僕は桧原神社へは、JR万葉まほろば線の巻向(まきむく)駅から歩いて向かうことにした。





大和八木から近鉄電車で桜井まで行き、そこからJR万葉まほろば線に乗り換え、巻向(まきむく)へ向かうことにしたが、ホテルからそんなに遠くはない所に万葉まほろば線の畝傍(うねび)駅があるということが頭になかった。畝傍といういかにも飛鳥地方という名の駅から乗ればよかったかなと思う(大和三山の一つ畝傍山の”畝傍”)。近鉄線には大和八木の東隣に「耳成」という駅(耳成山=これも大和三山のひとつ)があり、なんとなくゆかしい感じがする。



万葉まほろば線を北上します。




巻向駅。名所案内には有名な”箸墓古墳”も記されている。



巻向駅のあたりには古墳時代初期の集落跡である纏向遺跡(まきむくいせき)がある。



箸墓古墳。3世紀後半の築造とされ、前方後円墓が出現した(完成した)時期ではもっとも規模の大きい前方後円墳(墳丘の長さは約280m)。纏向遺跡の大集落跡の存在ともあいまって、邪馬台国が畿内説を主張する人たちにとっては、説を補強するものととらえられているよう。また、箸墓古墳を卑弥呼の墓と考える向きもあるようだ。墓の回りを一周したい気もするが、帰りの飛行機の関係で12時すぎには桜井駅に着いていなければならない。どこかで時間をくってしまうと危ないので、箸墓古墳をちょと見ただけで桧原神社へ向かった。




こんもりした森みたいな場所は箸墓古墳(桧原神社に向かう途中振り返って撮影)。




箸墓古墳を背に桧原神社方面へ向かう。




國津神社。この裏手に学術的に重要な古墳であるホケノ山古墳がある。




ホケノ山古墳(写真手前の墳丘:全長は約80m)。写真だと円墳っぽく見えるが前方後円型で、前方部分は小さい。墓の近くに桜井市教育委員会による解説パンフレットが置かれており、それによると「纏向遺跡には箸墓古墳など古墳時代初めに築造された前方後円墳が点在しており、前方後円墳発祥の地と考えられています。ホケノ山古墳はその中でも全体像が判明している唯一の古墳です。発掘調査委により埋葬施設の詳細が明らかになり、多量の副葬品が出土したほか、段築と葺石をもつこともわかっており、日本における古墳が出現する過程を考える上で貴重な事例です」とある。また、同パンフレットによると「副葬品などから」「築造時期は3世紀中頃、箸墓古墳築造以前と考えられています」とある。ちなみに写真の奥に映っているこんもりとした緑は箸墓古墳。




ホケノ山古墳平面図(『桜井市文化財解説パンフレット② 史跡纏向古墳群 ホケノ山古墳』桜井市教育委員会発行)




桧原神社へ向かう道。




桧原神社。祭神は天照大御神。『日本書記』には、崇神天皇の時代、宮中で祀っていた天照大御神を豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託して、天照の神霊を迎える依り代がたてられた「倭笠縫邑」(やまとかさぬいむら)と記されている。天照御大神はその後、伊勢に遷されたが(伊勢神宮)、伊勢遷幸後も、天照の神霊を迎える依り代がたてられた跡は尊崇され、桧原神社として引き続き祀られて「元伊勢」として今に伝えられている。なお、この神社は山そのものが御神体ということで、社殿がない。



さて、この近くに父が母の姿を入れて写真を撮った「大和の青垣」の案内板があるはずで、それをめざして歩いたが、その案内板がないではないか。



「大和の青垣」の案内板を探しながら歩いている際、いくつかの歌碑を目にした。これは柿本人麻呂の歌。




ちょっと立派な古民家というか旧家があったので1枚。




昔ながらの信仰が守られているようだ。仏様に供えられた花が新しい。




「大和の青垣」の案内板は見あたらなかったので、ネットで見られる案内板の背後に見える景色と実際に景色を見比べながら歩いていると、ほぼ同じ眺めの場所を見つけることができた。どうやら、その案内板は、近年なくなったようだ。 ちなみに、奈良盆地の四周を囲む山地は、昔から青垣山と称されていて、奈良盆地の東部に発達する丘陵地帯を中心とした地域は1970年に大和青垣国定公園という国定公園に指定されている。




桧原神社から西の方向を望む。遠くに見える三角の頂きが二つ並んで見える山は二上山(たぶん)で、桧原神社から二上山に沈む夕日を眺めるのが人気だとか。



「大和の青垣」の案内板にこだわったため、随分と時間をくってしまった。

大神神社への道を急ぐ。









奥に見える鳥居をくぐったのだったか、それとも横目で見ながら進んだのだったか?




大神神社。三輪山が御神体のこの神社にはやはり本殿はなく、奥に見える建物は拝殿。この拝殿を通して三輪山を拝むようになっている。




大神神社拝殿。




山の辺の道を歩いていくと、大神神社の拝殿の前の鳥居の下あたりに出るので、参道を見ていない。ということで、参道を歩く。




参道入口の鳥居。



大神神社最寄りの三輪駅から万葉まほろば線の列車に乗ると、桜井駅のあたりで昼食をとる時間的余裕があったのだが、できる限り両親の歩いた道を歩きたいので、再び拝殿の方に向かい、山の辺の道に戻った。これで、昼食はコンビニおにぎりでも買って、駅のホームでかじるしかなくなった。桧原神社の周辺で時間を使いすぎなければ、もう少し余裕があったのだが。



たぶん右の小さな山が耳成山で左が畝傍山。




平等寺。大神神社の神宮寺で、明治初年に廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた際、廃寺となったが、1977年に復興された。







伝承によれば平等寺は聖徳太子により開かれたとされており、境内には聖徳太子の像があった。ただし、寺の歴史として明確にわかるのは鎌倉時代初めくらいからとのこと。






このあと、金屋の石仏を見たが(鉄筋コンクリート(?)製の覆い屋の中に納められており、中を除くことはできるが写真はとりにくい状態だった)、さらに古道を行くと、桜井駅到着が遅くなりそうだったので、現代の道に出て桜井駅へ急いだ。



桜井駅へ向かう道。下を流れる川は栗原川。



桜井駅から大和八木を経由して難波方面に出て、環状線、紀勢線を乗り継いで関空へ向かう、もしくは大和八木から橿原神宮前に出て、そこから近鉄南大阪線にのって阿部野橋まで行き、天王寺から紀勢線に乗るという選択肢があったが、後者を選択(空いていそうだったので)。

さて、関空に着くまでは腹がもちそうになかったので、昨日に続き、大和八木駅構内で柿の葉寿司を買って乗り継ぎ時間を利用してホームでかじることにした。2日連続となるが、おにぎりよりは味気なくはない。しかし、乗り継ぎ時間が短く、3個だけかじって終了。あとは関空でということにした。