梅雨の晴れ間の飛鳥散歩(2024.06) |
<2日目> 両親が桧原神社から桜井方面に向かって山の辺の道を歩いたということで、桧原神社がとりあえずの目的地だが、2人はどうやって桧原神社へ行ったのだろう。というか、そもそもなぜ桧原神社をスタート地点としたのだろう? 時間の許す範囲で歩くことができる区間を考えた結果、桧原神社から桜井駅まで歩くという結論になり(桜井駅に出れば空港への移動にも便利だし)、桧原神社まではタクシーでも利用したのだろうか? 僕は桧原神社へは、JR万葉まほろば線の巻向(まきむく)駅から歩いて向かうことにした。 大和八木から近鉄電車で桜井まで行き、そこからJR万葉まほろば線に乗り換え、巻向(まきむく)へ向かうことにしたが、ホテルからそんなに遠くはない所に万葉まほろば線の畝傍(うねび)駅があるということが頭になかった。畝傍といういかにも飛鳥地方という名の駅から乗ればよかったかなと思う(大和三山の一つ畝傍山の”畝傍”)。近鉄線には大和八木の東隣に「耳成」という駅(耳成山=これも大和三山のひとつ)があり、なんとなくゆかしい感じがする。
巻向駅のあたりには古墳時代初期の集落跡である纏向遺跡(まきむくいせき)がある。
さて、この近くに父が母の姿を入れて写真を撮った「大和の青垣」の案内板があるはずで、それをめざして歩いたが、その案内板がないではないか。
「大和の青垣」の案内板にこだわったため、随分と時間をくってしまった。 大神神社への道を急ぐ。
大神神社最寄りの三輪駅から万葉まほろば線の列車に乗ると、桜井駅のあたりで昼食をとる時間的余裕があったのだが、できる限り両親の歩いた道を歩きたいので、再び拝殿の方に向かい、山の辺の道に戻った。これで、昼食はコンビニおにぎりでも買って、駅のホームでかじるしかなくなった。桧原神社の周辺で時間を使いすぎなければ、もう少し余裕があったのだが。
このあと、金屋の石仏を見たが(鉄筋コンクリート(?)製の覆い屋の中に納められており、中を除くことはできるが写真はとりにくい状態だった)、さらに古道を行くと、桜井駅到着が遅くなりそうだったので、現代の道に出て桜井駅へ急いだ。
桜井駅から大和八木を経由して難波方面に出て、環状線、紀勢線を乗り継いで関空へ向かう、もしくは大和八木から橿原神宮前に出て、そこから近鉄南大阪線にのって阿部野橋まで行き、天王寺から紀勢線に乗るという選択肢があったが、後者を選択(空いていそうだったので)。 さて、関空に着くまでは腹がもちそうになかったので、昨日に続き、大和八木駅構内で柿の葉寿司を買って乗り継ぎ時間を利用してホームでかじることにした。2日連続となるが、おにぎりよりは味気なくはない。しかし、乗り継ぎ時間が短く、3個だけかじって終了。あとは関空でということにした。 |