名古屋グランパス戦~五条・高取歩き(2018.10)
2018年10月28日、コンサドーレのアウェイの試合、名古屋グランパス戦の応援のために名古屋の瑞穂陸上競技場に行った(15時キックオフ)。


とてもよい天気に恵まれた。キックオフ直後くらい。まだ15時をすぎたばかりだが、秋の日はすでに傾きかけている。




後半開始前。




試合終了直後。試合結果は2-1でコンサドーレの勝利。



試合終了後、名古屋から近鉄で奈良へ向かった。

ときどき仕事で名古屋へ行くことがあるのだが、奈良から来る人が近鉄で来ていて「奈良∸名古屋は近鉄が安いし割りと早いので便利ですよ」といつも話していたので、近鉄を利用して奈良へ行ってみようと思っていたのだ。

目的地は奈良県の五条と高取(高取城)。

近鉄名古屋から難波行の近鉄特急に乗り、大和八木、西大寺で乗り換えて近鉄奈良駅まで移動し、予約しておいたJR奈良駅前のホテルで1泊。

翌朝、JRで五条へ向かった(王寺で乗り換えたと思う)。



五条駅で撮ったものだと思うが定かではない(写真データの撮影時刻を見ると五条駅という感じ)。青い電車が並んでいて綺麗だったので思わず撮ったのだと思う。




五条まで行ったのは古い街並みを見るため。コンサドーレを見るため、あちこちへ出かけているが、古い街並みを見る小旅行をふっつけることが多い。




風情のある餅屋さん。




郵便配達のバイクがいい感じで通り過ぎてくれた。




吉野川。




古い建物を利用したフレンチレストラン。まだ、ランチタイムにもならないので、外観を見るだけ。




柿の季節です。向こうの線路を青い電車が通り過ぎてくれると良い絵になると思うが、電車を待っている時間はない。




幕末、尊王攘夷の過激派による天誅組の変の舞台となった五條代官所跡(代官所があったということはこのあたりが幕府直轄領だったということ)。尊王攘夷思想はそもそも徳川御三家の一つ水戸藩で唱えられた思想で反幕府思想ではないが、尊王攘夷過激派は幕府は尊王攘夷を実行していないとして過激な行動を行った。五条を歩いていると、天誅組のことを「維新の魁(さきがけ)」と記したのぼりだったか看板だったか、そういうものが見かけられるのだが、「明治維新=偉業」という立場からの「天誅組推し」にはちょっと引いてしまった。観光資源になりそうなものならば何でも利用したいということなのだろうか? ちなみに個人的には明治維新が日本にとってよかったことなのかどうかは評価はできないと思っているので(近代化は進んだが19世紀末から20世紀にかけていくつもの戦争を仕掛けたのは維新の流れからだから)、この「天誅組推し」には引いてしまったというわけ。




五條代官所長屋門。民族資料館として利用されている。




古い醤油屋。



五条の後は、JR和歌山線の王寺方面行きの電車に乗り、吉野口で近鉄に乗り換えて壺阪山まで移動。

駅前で昼食を取り、高取町の街並みを見つつ、高取城をめざした。



高取も古い建物、街並みが残っている。




「かかし祭り」なるものが行われていた。













高取は「薬のまち」と呼ばれている。ここ高取は推古天皇が宮廷行事である「薬狩」を行ったということが『日本書紀』にあり、また、時代は下って、江戸時代には高取藩主が参勤交代の際、高取の薬を諸大名に贈ったということでも知られる。そして、江戸時代の末には「大和の薬売り」による配置薬の行商が盛んになり「薬のまち」として有名であったという。かかしは「薬売りの行商人」だと思う。




かかしと本物の人が混在する風景。




武家屋敷。




上の武家屋敷を違う角度で。




植村家長屋門(1826年建造)。この長屋門もとは高取藩の城代家老の役宅の門で(中に複数の部屋があり高取藩に仕える中間(ちゅうげん)たちが住んでいたとのこと。現在は旧藩主植村氏の住居となっている。ということで、このあたりは高取城の城下町なのだが、城下町と高取城とは標高差が446mもあるそうで、写真に見える道を登って行くと城址に行けるが、かなり遠かった。


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