ぺトラ
(3月18日)
4時、すぐそばにあるモスクのスピーカーからアザーンが流れた。とにかくばかでかい音だ。ジェットバスターミナルに近いという利点はあるものの、これには少々まいる。なかなかのホテルの割には安いと思ったのだが、この騒音の分だけ割り引いているのだろうかとさえ思える。ヒーターでお湯を沸かしてコーヒーを入れ、前日買ったビスケットをかじって朝食とする。
6時少し前、ジェットバスターミナルに行った。ターミナルには自分を含めて日本人が6人。一人はウエストバンク(イスラエル)へ、あとはペトラだ。
6時、バスは半分以上の席があいている状態で定刻通り出発。その後、いくつかの高級ホテルに寄ってペトラツアーの客をピックアップしていくうちに、座席はほとんど埋まった。空港前のホテルにも寄って、その後はペトラに向けてハイウェイを突っ走った。
何もない砂漠の中を走ること3時間余り。やや細目の道に入り、しばらく行くと遠くに岩山が見えてきた。あのあたりがペトラなのだろう。
11時頃、バスはペトラ遺跡の入り口に着いた。
この時の入場料は1ディナールだったが、その後、値上げが繰り返され、2014年現在段階では、1日券50ディナール(7000円余り)、2日券55ディナール、3日券60ディナールとのこと。
馬に乗って遺跡へ向かう団体ツアー客を横目に、バスで一緒になった日本人の学生と遺跡への道を歩き始める。緩やかかに下っている石ころだらけの道をしばらく行くと、大きな岩山の裂け目が現れた。シークとよばれる数10メートルもある断崖の間の細い道を進んでいく。10メートルほど幅がある所もあれば、ほんの5~6メートルくらいしかなく、見上げてもほとんど空が見えないような箇所もある。何か別世界に迷い込んでしまったような感じがする。夢中でシャッターをきりながら20分ほど行くと、岩山の裂け目のむこうに突如として巨大な建造物が現れた。いや、これは正確に言うと建造物ではなく、岩を掘ったものなのだ。ペトラで最も有名なエル・ハズネという建造物で、高さは30メートルもある。
最初はこんな感じのところを進んでいく。 |
シークに入っていく直前。 |
シークの向こうにエル・ハズネが見えてきた。この瞬間はペトラ遺跡のハイライト。 |
珍しく記念撮影をしてみた。 |
中に入っていく人の大きさから(現在は中に入ることはできない)、エル・ハズネの大きさがわかると思う。 |
しかし、なぜこんなところにこんなものをと思わざるをえないが、19世紀前半にスイス人イスラム学者のよって発見されて以来、調査が続けられているのにもかかわらず、この遺跡の謎は解明されていないらしい。まず、この遺跡を築いたナバタイ人というものがよくわからないらしい。もともとは砂漠の遊牧民であったが、交易の要衝をおさえ、隊商の保護を保証する代わりに税を徴収して財政をまかなうようになったと考えられているようだ。このナバタイ人の国の首都であったのがペトラで、1世紀から3世紀くらいまで商業や交通の要地として、また神聖な場所として栄えたらしい。また、ペトラの建造物群の様式がどの文化の影響を受けたものなのか、また建造物のなかには何の目的で作られたかもはっきりしないものが多く、エル・ハズネにしても、何のために作られたものなのか不明だという。しかし、そんなことは僕にとってはどうでもよく、不思議な雰囲気に浸れるだけで十分なのである。
エル・ハズネからさらに奥へ進んだところにある、ローマ円形劇場(これも岩を削って造られている)。 |
王家の墓とよばれる岩窟墓群。 |
さらに奥へ進む。めざすは、山道を登った先にあるエド・ディル(修道院)とよばれる建物だ。ガイドブックには、アンマンからの日帰りでここまで行くのは少々きついとあり、団体は普通ここまでは行かない。
登り始めてから40分くらいたっても、なかなかそれらしきものは見えてこない。やはり、日帰りでは難しいのか? でも途中で引き返すわけにもいかない。一緒の学生氏と二人で「きつい」「きつい」を連発しながら、さらに進むと、ついに岩を削ってつくった巨大な建物が見えてきた。エド・ディルだ。高さは42メートルもあるとのことだ。
エド・ディルへ向かう途中にあるライオンの墓とよばれる岩窟墓。 |
エド・ディル。 |
時計を見ると1時半少し前。1時間くらいは、ここで休めそうだ。
エド・ディルに向かって左側には、ほとんど風化してしまった、これも石を削った階段があり、これを登っていくと屋根の上まで行けるようになっていた(今は登ってはいけないことになっている)。僕は高所恐怖症気味なので、途中まででやめておく。
エド・ディルを横から望む。 |
山羊(?)飼いがやって来た。 |
2時半ころ、エド・ディルを後にし、さっき登ってきた道を下った。道の横が断崖になっているところもあるのだが、そんな道のへりを、山羊たちがひょいひょいと走り抜けていく。まったく器用なものだ。
3時半少し前、エル・カズネの前にさしかかった。するとどうだろう。さっきは明るい黄土色だったエル・ハズネが、やや暗めのピンクに変わっているではないか。太陽光線の関係で微妙に色を変えるのだ。しかし、名残は惜しいが、すぐに歩きださなくてはならない。バスの出発まで30分しかないのだ。
僕らはゴロゴロころがる石ころに足を取られながら、シクをハイペースで歩いた(今はこの道もすっかり整備され簡易舗装のような状態になり、情緒がなくなってしまった)。病み上がりなのに、こんなにハードに歩いて大丈夫かとも思ったが、バスを逃すわけに行かないので、最後の力をふりしぼる。
シクを抜けたのが3時45分ころ。ぼくはそこにあった土産物屋で、砂をビンにつめてラクダの絵を描いたものを一つ買った。中東でよく売られている土産物で、たいていは着色した砂を使っているいるのだが、ここペトラのものは、様々な色の岩を砕いて作った砂で作られているので自然な色である。
3時50分ころ、バスが見えてきた。するとどうだろう。まだ発車まで10分くらいあるのに、乗務員が早く来いと手招きしているではないか。万事のんびりのアラブにしてはせっかちだ。
4時少し前、定刻より少し早く出発。バスは、帰り道もハイウエイを突っ走り、7時半すぎにはアンマン市内に入って行った。ずいぶん早く着いたと喜んでいたが、高級ホテル組のことを忘れていた。バスは、彼らをいちいちホテルまで送りとどけるのだ。僕ら貧乏旅行組が、ジェットバスターミナルに着くころには、時計は8時を大きくまわっていた。
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