ジェラシュ
(3月17日)
5時頃、目が覚めた。熱は下がっている。何とかなったなと思う。
せっかくのきれいなバスルームだ。使っておかなければ損だと思いシャワーを浴びる。
8時、朝食のルームサービスの指定時間になった。僕は「8時から8時15分」の部分をチェックしておいたのだが、まもなくノックの音がした。どうしようもない安宿ばかりを泊り歩いてきたわけではないが、どちらかというと貧乏旅行の部類に入る旅をしてきたから、こういう世界もあるのか、という感じだった。
しぼりたてのオレンジジュースが実にうまい。しかし、パンケーキは思うようにのどを通らない。やはり食欲がでないのだ。紅茶で流し込むようにしてむりやり食べた。
10時に出発しようと決めて、またベッドに戻った。
予定通り10時すぎにチェックアウト。料金は税・サービス料合わせて、日本円に換算すると約2万円だった。
タクシーでダウンタウンに出てホテルを探したが、思うようなホテルが見つからない。タクシーで下ってきた道を登って、まず、主要幹線を走るジェットバスのターミナルへ行き、翌日のアンマンーペトラ往復のチケットを買った。往復6ディナール(約1300円)。この国の物価は、まだまったく把握していないが、片道300キロ以上あるらしいから、高くないと思う。
その後、ジェットバスターミナルに割と近い中級ホテルにチェックインした。
さて、病み上がりだしゆっくり休みたいところだが、やならくてはならないことがある。シリアへの航空券の手配をしなけらばならない。ヨルダンーシリアの陸路での国境通過は難しいと聞いていたからだ(今となっては信じがたいことだが、レバノンに日本赤軍のメンバーがいたことから、陸路の国境越えをする日本人旅行者に対する警戒が強く、シリアからヨルダンへ陸路で入国するのは、困難であるという情報があった。僕の場合逆コースだったが、当時は詳しいガイドブックもなく、行って見なければわからないという状況だった)。
ヨルダン航空のオフィスへ行ってみると、2日後(19日)の便はなく、その翌日の便は満席だった。なんで、こんなに混んでいるのだろう? 日本人以外も陸路の国境越えは難しいのだろうか? しかし、これはかえってラッキーだった。陸路は無理と思ってあきらめていたのだが、どうもそうではないということがわかってきたのだ。
どこかの旅行会社が航空券を握っているのではと思い、一軒の旅行代理店を訪ねると、「アンマンーダマスカスの空路だと32ディナールもかかるが、陸路だと4~5ディナールで行けるよ」という。尋ねてみると、陸路に問題はないという。そこでダマスカス行きのバスのチケットを買いに、再びジェットバスターミナルへ向かった。
その途中、タクシーの運ちゃんに声をかけられた。ジェラシュへ行かないかという。ジェラシュは、ローマ、ビザンチンの支配下の都市として栄えたところで、是非見ておきたい遺跡だ。体調が悪くて乗り合いバスで行く気はなかったので、すぐに話に応じた。往復15ディナールで行ってくれるという。 アンマンからジェラシュまでは50キロほどで、15ディナール(3000円強)はちょっと高いかもしれないが、値切る元気もないし、時間も惜しい。ジェラシュに行って、帰りにジェットバスターミナルによってもらい、ダマスカス行きのチケットを買おう。そう思って、「OK」と言った。
やたらと明るいこの運転手のおじさん。100キロくらいのスピードで飛ばすし、手放し運転をして人を驚かせて喜んだりしている。そして、「名前は? 国は? 年齢は?」と聞いてくる。これはどこへ行っても聞かれるものだ。適当に答えておく。 そのうち、「あと10ディナールプラスしてアジュルン城(正式にはカラート・アル・ラバトというらしい)に行かないか」といい出した。ジェラシュだけで十分だと思っているのだが、このおじさん相当強引だ。「とにかくジェラシュに行ってくれ。アジュルン城のことはそれから考える」そう答えた。
ジェラシュは写真で見る以上にすばらしかった。南門の所の入口から少し行くと、ジェラシュのシンボルともいうべきフォーラムがある。円形の広場を囲むように列柱が並んでいる。この広場から北門に向かって、まっすぐ石畳の道が続き、両脇には列柱が並んでいる。エジプトの遺跡の柱よりずっと細くきゃしゃな柱だが、ごろんとした感じで、柱と柱も近接して窮屈な印象を受けたエジプトの遺跡のものよりも、洗練されたような感じを受ける。
列柱通りのバックは、相変わらず真っ青な空である。乾燥地帯なのでめったに雨は降らないのである。しかし、遺跡の周りは緑の芝におおわれていて、ところどころに名はわからぬが黄色い小さな花が咲いている。そういえば、空港に出迎えに来ていた日商岩井の現地駐在員が、「この季節は少しだが降雨があり緑がみられる」と話していたような気がする。
腹の方は落ち着いたみたいで、昼にに無理やり流し込んだサンドウィッチもなんとか消化しているみたいだ。空は青いし、緑はあるし、暑からず寒からず、小一時間の遺跡内の散策はじつに気持ちのよいものとなった。
列柱に囲まれたフォーラムとよばれる円形の広場。 |
南劇場(遺跡の北にも劇場がある)。 |
南劇場から望んだ遺跡。 |
劇場からフォーラムへ下ってきたら、親子だろうか? 写真を撮れというポーズ。ということで一枚撮らせてもらう。 |
ジェラシュの列柱道路。石畳の隙間の緑が美しかった。 |
遺跡のすぐ横には現代の街がある。 |
タクシーにもどると、運転手のおじさんの「アジュルン城に行こう」攻撃が待っていた。「早く帰ってダマスカスへのバスのチケットを買わなければならない」と言うと、「俺の会社でもダマスカスまでタクシーを走らせている。料金は4ディナールだ」という。乗り合いタクシーらしい。それならば、それでもよいだろう。このおじさんの誘いを断りきるのも相当のエネルギーが必要そうだ。アジュルン城に行ってもらうことにした。
アジュルン城は、遠くまで見渡せる高みにある荒れ城だった。シリア・ヨルダンに多くある十字軍関係の城の一つで、十字軍に備えて造られた要塞。日が傾き始め、寒風が吹いていたこともあり、観光は早々に切り上げた。
アジュルン城からの眺め。この辺は水源に恵まれ、いつも緑に囲まれているらしい。 |
アンマン市内に戻ったころには、日もとっぷりと暮れていた。おじさんのタクシー会社の小さな事務所に連れて行かれ、翌々日のダマスカス行きのチケットを買った。
事務所からホテルまでは歩いて5分とかからない距離だが、おじさんにタクシーで送ってもらった。ホテルに着き、25ディナールを渡すと、「チップはいらないよ」という。心のなかで「25も払っているんだからチップなしはあたりまえだ」とつぶやきながら、笑顔で「マアアッサラーマ(さようなら)」といって車を降りた。
僕の泊ったホテルには小さいながらもレストランがあった。こう書くと何故そんな当たり前のことを書くのだろうと思われるかもしれないが、安ホテルは、できてもせいぜい朝食だけで、その他の食事は外でというのが基本である。というわけで、そのホテルはちょっとしたランクのホテルなのだ。しかし、ツインルーム、もちろんトイレ・シャワーつきで一泊日本円にして1800円位。ピカピカというわけではないがそれなりに清潔でもある。ヨルダンの物価も日本人的感覚だと、やはり安いと感じる。
ところで、レストランがあるといっても、そんなにちゃんとしたレストランを想像してはいけない。メニューは壁に一覧がはってあるだけで、サービスもフロントの人がしてくれるというものだった。「腹具合が悪いので軽い食事がしたい」というと、パン・オムレツ・バター・ジャム・紅茶という、朝食のような食事を勧めてくれた。パンはホブスという、円形の堅いやつで、やっとのどを通るという感じだが、一枚は何とか食べることができた。腹はもう大丈夫のようだ。明日はいよいよペトラだ。
|